前回にこのブログでご紹介した☆『痛みのペンリウク−囚われのアイヌ人骨』(草風館)の著者である土橋芳美さんの講演が自由学校遊にて9月1日に行われたので聞きに行きました。何度も聞き直しました。その一部を紹介させて頂きます。
ジョン・バチェラーのことを書こうと2016年1月から道新の文章教室に通われ、そこでペンリウクさんが自分の先祖であることや彼のことを書きたいと表明。すると同じ受講生の若者がすぐさまインターネットで検索し、ペンリウクさんの遺骨が北大にあることを教えてくれた。驚きと共に、一刻も早く返還を望み、北大と交渉を始めた。そんな中から本が出版されたとのこと。
ご両親のことやお姉様、妹さんのこともお話くださり、お若い頃に差別を受け、鳩沢佐美夫さんの遺稿集の編集を手伝っていた時に草風館社長に勧められて訪米。「わたしとは何か」を探す旅でもあった。アメリカ先住民族の強制移住の道のりを歩く涙の旅に参加する予定が中止になり、招いてくれた日系米人のための新聞社を見学して感動し、アイヌの新聞を作ろうと決めた。紹介されて佐々木昌雄氏との出会い、新聞『アヌタリアイヌ(われら人間)』を出版。
砂沢ビッキさんともつながり、新聞の題字を書いてもらった経緯なども教えて頂きました。
また、ある経緯から活動の舞台から退いた。その要因の一つは、激しい差別ゆえにアイヌであることを言わない(言えない)で生きている同胞に出会ったことだった、と。
土橋さんはペンリウクさんの晩年の写真が多く残っているのを過去に調べたことがあり、いずれの写真も見るのが辛くなるような苦しげな痛みに耐えているような表情の写真(明治35〜6年)だったと言われていました。アイヌとして生きることが辛い中で死んで土に埋められて、それから30年後に北大が掘り返し研究用として持って行き、返して欲しいと訴えたのに、まだ北大の「研究資料室」に置かれている。どんなことをしてでも取り返そうと思う、と訴えられました。
『アヌタリアイヌ(われら人間)』を調べたところ、創刊号(1973.6)から19・20合併号(1976.3)まで発行されています。わたしも何号かあったはずですが見つけられませんでした(残念)。あらためて佐々木昌雄著『幻視する〈アイヌ〉』(草風館)を読もうと思いました。この書の中には『アヌタリアイヌ』編集後記1号(1973.6.1)から4号(1973.10.1)まで等が収められています。
本日(19日)、午後6時40分ほどから「イチオシHTB」で、遊講座の模様と土橋さんの思いが報じられました。
北大の「アイヌ納骨堂」を土橋さんは「研究資料室」だと言われました。今もその建物は北大の医学部駐車場の片隅にひっそりと建っています。
少し前に、ドイツ人により盗掘された遺骨がドイツから「返還」されたというようなニュースが流れました(官邸、毎日新聞)。しかし、その遺骨はこの建物の中に収められることになりました。すなわち、「返還」ではなく、単なる「移管」でしかないのです。いずれのご遺骨ももとのコタンへと返還されることを祈ります。