朝録画したBSの番組をさきほど見ました。
小林愛実ちゃんのリサイタル(昨年11月のもの)。
メインがショパンのソナタ2番、ベートーヴェンの熱情という意欲的なものでした。
彼女は8歳のころから演奏活動を始めたいわゆる「天才少女」で、私もその8歳の時に演奏を聴いてあやうく卒倒しかけたひとりです(笑)。
高校1年生の今は、EMIからデビューして、本格的にピアニストとして活躍しておられます。
私の場合、およそ自分の弾けないような曲を聴いた場合の評価の基準は、「好きか嫌いか」でしかないわけですけど、
その基準でいきますと、今日の演奏は〇でした。
彼女は身体の動きも表情の変化も大きいピアニストで、そういう視覚的な面からも、もしかすると好みが分かれるところがあるかもしれませんが、
天性の器用さがありながら、器用さに流されず、じっくり1曲1曲に時間をかけて弾きこんできているようすが見て取れますし、
いわゆる「ノイエス」といいましょうか、聴きなれた曲なのにハッとさせられるような瞬間や音があります。
われわれ凡人が困ることのひとつに「ひとつの曲を長く弾いているとマンネリしてくる」ということがあり、
ある曲を何回も弾く機会があった場合、ひとつのピークを越えてしまうと、同じ人間かと思うほどしょうもない演奏に堕ちてしまいがちです。
我々素人の話はどうでもいいですけど、演奏家として長持ちするかしないかはこのあたりのキープあるいは変化の仕方にかかっているんじゃないかといつも思うわけです。
人間、同じ相手に一生ときめいているのは至難のことで、それは演奏についても似たようなものではないかと・・・。
1回コンサートを聴いて、「完璧!」「すごい!」と思った場合の次のステップが問題で、
2回目も3回目も同じように「完璧!」「すごい!」でしかなければ、そのうちCDを買うかあるいはコンサートに足を運ばなくなると思うんですよね。
まあ人間のことですから、毎回判で押したように同じに弾く方が難しいといえばそうですけど、
その変化の仕方になにか引力がなければ、その演奏家は「もういいや」になり、別の演奏家を聴くわけです。
ただ、あまりに変わってしまってしまうのも問題で、「変わらないもの」「予定調和的なもの」もないと、<ある演奏家>を継続して聴く楽しみが失われてしまいます。
そういう意味で、愛実ちゃんは8歳のころこちらの度胆を抜いた「なにか」は変わっていないように思いましたし、
ある一定のファンを引っ張っていける熱さがあり、歌もある(実際どうも歌ってたようでした・・・・笑)。
世の中にでるには、本人の実力、+師匠スジ、あとマスコミへのアプローチ等々があるはずですが、
それもこれも含めて、末長く頑張ってほしいなあ、と思っております。
まだ16歳、これからですねえ~~。