~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

叩かれる・褒められる

2012年01月28日 19時57分13秒 | 見る・読む

別に文芸春秋社の回しモノではありませんけど、今発売中の週刊文春がおもしろい。

とくに 「芥川賞77年【全舞台ウラ】」は、既知のエピソードをふくめて、相当おもしろいです。

そっちの記事のほうは、買うなりなんなりしてお読みいただくとして(笑)、自分的になるほどと思ったのは、

宮藤官九郎さん(脚本家・構成作家・俳優)のエッセイ。

内容は、<褒められて伸びる>かどうか・・・・というおハナシです。これまで官九郎さんは「自分は叩かれて伸びる人間、反骨精神で這い上がるタイプ」と思っておられたそうです。

以下、一部引用させてください。

「娘がバイオリンの練習をサボりたがる。・・・(中略)・・・・褒めるのがお父さんの役目。しかし、朝8時という、一番眠い時間なので褒めながらソファで寝てしまいます。・・・(中略)・・・それでも褒められたら悪い気はしないのか上達も早いです。

思春期を迎えると褒められる事が次へのプレッシャーになって来る。この前あんなに褒められたけど、次も同じように褒められるだろうか。次第に褒められるのが怖くなる。褒め言葉が重圧になって来る。だったら欠点を指摘された方が次の目標が具体的になりプレッシャーも軽減される。

やがて叩かれて立ち直るのに時間がかかるようになる。今の僕がまさにそう。41歳。2,3日ヘコむ。批判に対する体力が落ちてしまった。もはや褒め言葉はプレッシャーじゃない。いい思い出です。

要するにタイプではなく時期だと思う。人は褒められて伸びる時期を経て、叩かれて伸びる時期に突入する。やがて叩かれても褒められても1ミリも伸びない時期を迎える。どうせ伸びないなら褒められたい!

長い長い思春期が終わりました。宮藤官九郎、もう叩かれても伸びません。褒めてください!

そう言えば、やたらとダメ出しを要求する俳優が結構います。厄介なのは、そういう人に限って実は褒めてほしいと思っている。・・・・・・(中略)・・・・望み通りダメ出ししたら露骨に不機嫌になる。・・・・・(中略)・・・・素直に褒めて下さいって言えばいいのに。」

 

これまでも官九郎さんのエッセイは愛読してまして、

「この方はいったいどれだけの才能があるのだろうか、俳優さんとしてもすごいし、マルチな方というのはほんとに何をされてもすごい。(その<マルチタレント>についてもついこの間エッセイを書かれてました)」

と常々感服しておりましたけど、今回またまたグイグイくる文章。おみごとです。

「褒めてください」っていうか、褒めるしかないですよ、これ(笑)。


アイドル

2012年01月28日 04時07分13秒 | 雑感

たしかお正月のトーク番組でだったと思いますけど、さんまさんが、

「昔の芸能界好きやったわ、・・・・・プロフィールなんかウソばっかりで」

とおっしゃっていました。妙に同感(笑)。

私、別にそこまで芸能界に詳しいわけでも、好きなわけでもありませんけど、

発表されている年齢もウソなら、恋愛経験も大ウソ、好きな食べ物も尊敬する人も全部ウソ・・・みたいな時代があって、

こちらもそれについてはおおよそ知っていながら一緒にだまされて楽しんでる、それでいいじゃないか~~~って思ってました。

今だって、週刊誌なんかどこまでほんとかわかりませんけど、それいうならテレビだって新聞だって、「ウソはついてないけど、トリミングしてみました」的なところはおおいにあって、

そこはやっぱりこちらもすべてを鵜呑みにできるものではありません。

 

今やネット時代で、facebook,twitter,blogなどで誰でも、個人的な情報を発信でき、

受け手はついつい「真実」思ってしまうわけですけど(もちろん真実のことのほうが多いでしょうけど)、

考えてみれば「真実」の根拠はなにもないわけです。

ブログでセレブな毎日を綴ってる一方で詐欺を働いたなどという事件もありましたけど、「ブログの内容は真っ赤なウソだったのか・・」とこちらが言えたものではない。

詐欺はいけませんけど、ブログでセレブな日々を綴るのはたぶん罪には当たりません。

 

話戻ってですが・・・

 

今の世の中、景気のいい話題というのは少なくて、お先真っ暗なことが大部分です。

どんな仕事についても先が見えないのはほんとのことですし、それを理解した上で職業は選択しないといけませんけど、

短い子ども時代だけでもある程度夢見させてあげてもいいんじゃないかな~~と時々思います。

昔の芸能界にはいわゆる「アイドル」という存在がいて、それこそ、ふつうに食事をすることとか、お風呂やトイレに行くことすら想像できない、というかしてはいけないような感じがありましたけど、

それはそれでよかったんじゃないかと思うわけです。

以前も、ここで書いた記憶がありますけど、

私が子ども心にショック、というかとても残念だった事件に

「ドン・ジョバン二が超ふだん着で銀行に来てて、しかも赤ん坊をあやしていた」というものがあります。

それはどういうことかというと、ある日地元のオペラを見に行ったわけです。モーツァルトの「ドン・ジョバン二」ですね。

地元の声楽家さんではありましたが、そりゃもうカッコ良かった。若いてカッコいいというよりは、手だれたオッサンに見えましたけど、

こんなオッサンにならだまされるだろうし、だまされてもいいや・・・と10歳にして思いました。

自分のなかでは「アイドル」ですよ。

それがたまたま親と銀行に行きましたところ、昼の日中に(当時、成人男性が昼間に銀行にいるということ自体が珍しかったんですね)、フツーのオッサンが超ラフな格好で(私の記憶のなかではステテコ・・・・・まさかそんなことはないと思うんですが)、赤ん坊を高い高いしてました。

今の私が目撃したとしたら、「ほほえましく、いい夫でありいいお父さんじゃん・・・」と別の意味で超高得点ですけど、

当時の気持ちを一言で表すとすれば・・・・・「幻滅」でした。

いや、別にいいんですけど・・・・・・声楽家でも音楽家でも、ふだんは普通の人なので。

 

いざ大人になってみると、なかなか難しいことだと思いますし、微妙な経験なんですけど、

やっぱり<芸>の文字がつく職業についておられる方は、「プライベートの範囲は狭いぞ」と私は思っております。

地元の音楽家でも世界的な音楽家でも、子どもから見たら「ステージの上の人」であり区別はないわけですから。

ここで例としてあげていいのかどうかわかりませんけど(でも子どもにとっては同じくらい大事なことなので)、

たとえば、ウルトラマンショーとか仮面ライダーショーを見た直後に、着ぐるみの頭だけ脱いで「暑~い、やってらんねえ」とぼやいている役者さんに遭遇してしまったら、ショックで泣きます。

 

それもこれも・・・・・あくまでも、私個人の意見ということですのでどうか悪しからず。