~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

楽しくピアノを弾くために

2010年09月05日 21時29分50秒 | ピアノ
最近おじゃまさせていただいている「ブラームスに愛をこめて」というブログに、とても素敵な記事がありましたので、許可を得て一部ご紹介いたします。

Authorのrinさんは、イギリス在住の2児(4歳&6歳)のママさんで、ご主人に伴い渡英、この10月までの2年間滞在されています。
2008年10月に10年ぶりにピアノを再開され、お子さんと共にロシア人ピアニストからレッスンを受けていらっしゃるそうで、ヨーロッパでのコンクール入賞(1位、2位、など)、ニューヨークカーネギーホールでのコンサートとすばらしいご活躍でいらしゃいます。

この夏サマースクールに参加された日記から~
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<マンチェスターのサマースクールはヨーロッパ最大と言われていて2週間で400名を超える受講生が参加します。ピアノのコースには専門的にピアノを学んでいる人向けのコースの他に、アマチュアの大人向けコースがあります。
    *****(中略)*****
今回、マスタークラスを聴講に行ったら、最初の受講生は1人のおばあちゃんでした。60代半ばくらいかな?髪は真っ白、痩せていて、背中は丸まっていて、もうピンと伸ばしては座れないという感じ。
このおばあちゃんが弾いたのはラフマニノフのプレリュードop.32-10。背中の丸まったおばあちゃんとは思えない程しっかりした音で弾き終わり、みんな拍手。「ソフトペダルを使ってみたら?」という先生からのアドバイスに「使ったことがないから怖くて踏めないんです。」と。「何も怖くないわよ~。足をソフトペダルに乗せておいて、私がココと言ったら踏んで。」と先生がいい、ソフトペダル初体験。嬉しそうでした。このおばあちゃん、ご近所の方にピアノを教えているそうです。でも音大を出ていないので、今は地元の大学の生涯学習のようなコースで音楽の勉強をしていると言っていました。偶然ですが、私は去年、このおばあちゃんのコンサートも見ていて、去年はハイドンのソナタを楽譜を見ながら一生懸命に弾いていて、その姿が印象的でした。なので、今回、一目見た瞬間、「あ、去年のハイドンのおばあちゃんだ!」とすぐにわかりました。60半ばで大学で音楽の勉強をして、ご近所の方にピアノを教えて、毎年夏にこのコースに来て刺激をもらって帰って行く、なんだかそういう老後の過ごし方って素敵だなーと思いました>

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実に理想的な老後、ピアノとのかかわりで、自分もぜひかくありたいと思います。

そういえば、昨日は区民文化センターのピアノ開きで、午後の2時間ほど聴きに行ってまいりました。
子どもから大人まで、「始めたばかり・再開したばかり」という方から、先生とおぼしき方々まで、さまざまな方が弾いておられました。
思いがけず私の知人がプログラムにのっていて、きけば、ピアノを始めて1年(子どものころは電子オルガンを習っていたそうです)、ピアノ初ステージとのことでした。
子どもさんがある程度大きくなられて昨年から始めたとのことでしたが、にこやかに堂々としたステージマナー、あふれるリズム(バルトークを弾かれました)で、とても素敵でした。
「今ここでこうしてピアノが弾けてうれしい~」というオーラ全開。なかなかこのような演奏は聴けないものです。
素人でも年数がたっていくと、巧くはなるのですけど、一方でなんとなくコーティングされた感じになり、それは悪いことではなくむしろ良いことなのですが、鮮度が落ち気味になります。
(自分の演奏もそれに属するはずなのですが)聴く立場としてはそういう演奏にはちょっと食傷気味だったりもします。まして「世間・生徒の手前、ヘタなことはできない。ごまかしも間違いもしない」という演奏になると、「勉強になった」とは思えても、「いい音楽に接した」という感動はもひとつ・・・・。

超のつく一流の演奏を聴きに行く一方で、こういう催しにもしげしげと私が足を運ぶのは、もちろん知り合いが出演するということが最大の理由ですけど、そうでなくてもだいたい掘り出しもの(?!)というか、新鮮な出会いや意味深い演奏に接することがあるから。
よく「良い演奏会にいきましょう」ということがいわれますけど、そういうものはチケットの値段でわかるものではなくて、自分でマメに足を運んで出会いを求めるしかないのじゃないかな、と思います。
私、ある一時期毎週末ビデオを4本ずつ借りていたことがあり(それはなにかというと、名作・新作・ホラー・ア〇ルト・その他だったりしたわけですが・・・・汗)、多くはハズレというか、毎週末ムダ金をビデオに注ぎ込んでいました。
その後ふりかえるに、ハズレのハズレ「あれはくだらなすぎた~」というものがミョーに心に残っていたりすることもあって、なにがハズレなのかなにがアタリなのかは今となってはよくわからなかったりもします。何回見ても記憶に残らない名作もあれば、カルトムービーと呼ばれるジャンルのもので、変に記憶に残ってるものもありますし・・・。
演奏会をそれと同列にはできないのですけど、地方でも、無料有料、古楽・邦楽・現代、器楽・声楽、プロ・アマいろいろ聴いてると、それなりになにか面白いことがあるように思います。(最近は娘もなんとかガマンできるようになってきたので、時々は連れて行けるようになりました。)

そういう中で、初心の喜びに満ちた演奏に接すると、自分の原点に帰ることができるような気がします。そして自分の足元・目指す方向・周囲の景色をもう一度確認し、アマチュアとして楽しく末永く弾いていくためにどうしたらいいか・・・気持ちを新たにいたします。

9月スタートにあたり、いろいろと意義深い週末でした。


知ってる曲

2010年09月03日 17時17分19秒 | ピアノ
ほかに言うことはないのか・・・というほど、9月になっても挨拶は「まだまだ暑いですね~」ばかり。
仕方ないです、ほんっとに暑いですから。
学校では運動会の練習が始まっているようですが、熱中症対策で大変。昨年の今頃はインフルエンザで大わらわでしたけど、今年は「熱中症もインフルエンザも両方警戒」なんてことにはまさかならないよね・・・(汗)。


本日、某所でシューマンの小曲を6曲聴かせていただきました。難易度としてはそこまでのものではないですけど、それぞれ興味深く、興奮気味に聴かせていただき、大変楽しい時間を過ごしました。
そこで話をしていて思い出したのですけど・・・・
先日行ったリサイタルでのこと。「子どもの情景」の曲がすすんで、<トロイメライ>にきたとき、近くにすわっていたご婦人が「あ~、この曲知ってる!」とおっしゃたわけです。独り言ではなく、隣に座っておられた方と「知ってる、知ってる!トロイメライ、そうそうトロイメライ!」とマナー的には違反音量の域、ふたりではしゃいでおられました。
マナーうんぬんはこの際おいといて・・・の話ですが、「トロイメライ」が聴けたことで、ここまで喜んでいる方がいらっしゃることに、私、少なからず感動を覚えました。
もちろん演奏はすばらしかったのですけど、おそらくそのお二方は「素晴らしい演奏だから」感激されたというよりは、「あ、知ってる曲!」ということで非常に喜んでおられた。
こういう感動に応えるためにも、やはりプログラミングというのは大事なことなのですね~。

ここで自分のことを持ち出すのはちょっとアレなんですけど、私にも、自分の思惑とは違うところで感動していただいた経験というのはちょっとだけあります。

たとえば
「幻想即興曲」・・・・いやあ、指がすごく動いて感動した~。ありがとう!!
「展覧会の絵」<バーバヤガー~キエフの大門>・・・・こんなところで、この曲を、しかもピアノで聴けるとは思わなかった
「運命(第1楽章)」・・・・コンペでこの曲を聴けるとは~!いい選曲です!(←審査員のコメント・・笑)

「運命」はコンペですけど、あとのふたつは無料のロビーコンサートみたいなところで、ふらりと立ち寄られた方が、たまたま私の演奏に遭遇した、という状況です。
いずれもよく知られた曲ではありますよね(ピアノ曲かどうかはまた別問題として)。
私は名曲好きでもなんでもないし、とくにウケ狙いで弾いたわけでもないのですけど(そもそもウケる自信がない・・汗)、「知ってる曲だ~!」という感動は、こちらが想像している以上のものなのだなあ~と特に最近思うようになりました。


「親しみ易い曲」や「子ども向けの曲」を並べることについては、いい面そうでない面両方あると私思っておりますけど、「めったにコンサートには行かない」「無料のコンサートなら行く」方々との距離がただただ広がってはいけない・・とくにアマチュアは・・・とも思います。


いろいろゴタクを並べずとも、私も「トロイメライ」は好きです。
死ぬ前に1曲弾いていいよ~と言われたら、たぶんこれ弾くんじゃないかな・・・。



シャイなおじぎ

2010年09月02日 12時40分11秒 | その他音楽
学校が始まってやっとひとりの時間ができました・・・・めでたい。
別にひとりでいることが好きなわけではないのですが、娘の「現場監督」時間が減っただけでもありがたいです。
「旅行もしたし、花火もしたし、映画も見たし、すっごい遊んだよね~~。なのに、ちゃんと宿題も終わったよね。直しもいっぱいあったのにね~。すごいよね~」と娘自画自賛(?)であります。・・・こっちがどれだけ、毎日毎日宿題やるように仕向けていたのかわかってないのか・・・・、「直しがいっぱいあった」こと自体ゆゆしきこととは思わんのか・・・・言いたいことは山ほどありましたけど、気分よく学校に通っていることだけでまずはよしということで。


7~8月、自分の演奏機会は3回でしたけど、聴くほうについては、コンクール・発表会・リサイタル・コンサートと5~6回は行ったように思います。有料・無料、古楽器から邦楽までいろいろで、それぞれに楽しめましたが、どんな演奏会でも、演奏者がステージに出てくるときから下がるときまでトータルなのだなあ・・という感想を強くもちました。
演奏そのものはいうまでもないことですけど、服装・歩き方・お辞儀・・・・どれも大事なんですね。
人によって演奏の聴き方はさまざまでしょうけど、私は演奏者が出てくるときと下がるときだけじっと見ていて、演奏中は目を閉じていたり、もし開けていたとしても視覚的なものをあまり気にしないようにしていることが多いです。
そうすると、袖から真ん中に出てくるまでの歩き方、お辞儀、弾き終わってからのお辞儀、下がるときの歩き方を見ているわけなのですけど、これがなかなか素敵にできるのは難しいことなんですね(もちろん自分を含めてです・・汗)。
ドレスを着てヒールを履いて歩いているときはやはり背筋が伸びていないと、「う~ん・・ちょっと」な感じ。
「日本人だから似合わない」とか、「背が・・・」とか「スタイルが・・」とかつい思ってしまうのですけど、ステージで拝見して「背の高い方だなあ~」と長年思っていた方が、実は150センチあるかないかだった、ということはよくあります。そういう方は姿勢がとてもいいんです。
演奏中はまあ、いろいろクセや事情があるでしょうから、「姿勢良く」ということが難しいことはあるかもしれませんけど、「歩いているほんの数十秒」については自分でも気をつけていこうと思いました。

お辞儀については、深さや角度よりも気になったことがあります・・・
それは、頭を上げたときの視線。
頭を下げる前は気をつけておられるのか、みなさんきちんとお客様のほうを向いておられるのですけど、上げたときがいい加減というか視線が泳いでいるといいますか・・・。
特に演奏後のお辞儀だと「終わった終わった~」の安心感の場合も、「がっくり・・早くこの場を去りたい」の時も、気持ちが急いてしまっているのか、どうかすると正面に直らず、上げたとたんに横を向いてしまっている場合も多々あり。
これ意外に大人のほうができてなかったりします(さすがにリサイタルをされるようなプロの方々についてはそんなことはありませんが)。子どもはしつけられてきちんと出来ている場合が多いのですけど、大人は緊張しているのか、逆に慣れ過ぎてしまっているのか、目が合わないまま、そそくさと去られる場合がかなりの確率であります。

聴いているほうとしては、これってけっこう残念なものです。拍手はしっかり受け取っていただきたいな~といつも思います。・・・それも願わくば笑顔で。


人前で、にこやかにゆとりのある立ち居振る舞いをするのは大変難しいことですけど、よほどの巨匠で無い限り、演奏も一種の接客であると私思っておりますので、演奏で至らない分を付加価値でカバーしていきたいな・・・と考えてみたり(逃)。
それはもう、愛想が悪かろうが、マナーが悪かろうが、「演奏がすごいから許しちゃう」レベルであればそれに越したことはないんですが(汗)、まず自分に関してはそんなことは有り得ないわけなので、ほかもなんとかしなきゃな・・・・と思ったこの夏でありました。