以前(3年前くらい)録画した、音楽関係番組を、たまたま見ておりました。
音楽番組と言っても、演奏中心のものではなく、トークやドキュメンタリー系のもの。
ひとつはバイオリニストの庄司紗矢香さん、もうひとつは指揮者の大野和士さんが出ておられ、内容はもちろんそれぞれ大変おもしろかったのですが、
「ああ、自分はこういうものがたまらないんだな」とあらためて自覚したことがあります。
それは、このお二方の譜面を見ているときの横顔。「譜面を見ている」といっても、演奏しているときではなく、読譜している時の顔。
頭の中は最大限に働いているはずなのに、表情としてはほぼ動くことなく、透徹した視線が楽譜を追っている・・・
これは音楽家だけではなく、自分が学生のとき、テキストに目を通している教授もそういう横顔でしたし、おそらく、ほかの職種の方でもそういうことはあると思います。
私が、「これは・・・・プロだ」と感じるとき。
ひとつのことに膨大な時間と労力をかけてきた人たちの、凝縮された一コマ。
一分の感傷もない、透明ささえ感じるとき。
演奏も結局はそういうものかもしれません。聴く側は、のた打ち回り天を仰ぐような、演奏者個人の喜怒哀楽を見聴きしたいわけではなく、「演奏者を通してこちらに伝わるもの」を受け止めたい。・・・少なくとも私はそうです。
その場で「わあ~」と感動するのも悪くないですが、時間がたてばたつほどジワジワ効いてくるタイプの感銘のの方が、いつまでもいつまでも記憶に残る。
表現するほうが深いところから発していると、受け取るほうはもしかするとその場ではすぐに反応できないかもしれませんが、実は、気づかないうちに深いところに届いていて、時間がたつにつれ効いてくるのかもしれません。
大量の刺激にはもう対応できない年齢になってきましたので(汗)、静かに深い方向にいきたいと思えども、私にはまだまだ無理のようです。いまだにアバレ馬・・・・