つい数日前まで「暑い暑い」といっていたのに、テレビを見ると札幌で雪だとか、
東京では薄手のコート一枚では寒いだとか言っていて、ほんとにびっくりです。
あ、もちろんこちらも寒いです。さすがに半袖ではいられない(笑)。
・・・なに着ていいかわかんないんですけど・・・・
ところで、私が一年でもっとも頭を抱える本番・・・、娘の発表会が近づいてまいりました。
親が「頭を抱える」と言ってはいけないのですけど、抱えるもんは抱える、仕方ないです。
いつも先生にまるっきりお任せしていて、練習もバイオリンほどはちゃんと付き合ってないのですが、さすがにですね・・・ええ、さすがにほっておけない。
あらためてみてみると、「毎日じっとついていて、指やら手やら矯正したほうがいいのかな?」とも思うのですけど、そういうことは「がるるる・・・しっぽバン!!」で断固拒否しそうな娘だし、いやはやどうしたもんか(汗)。先生のおっしゃることもほぼスルーなのは想像に難くありません。
こういうときに出る言葉・・・「どこから手をつけたもんか」(殴)。
なんせ相手がソナチネとはいえべートーヴェンですからね。極端なこというと、「気持ちよくゆらゆら」のものよりは、「機械的にテンポどおり」の方が聴く方にとってはまだマシなわけです。
さらに、指の弱さ、手の小ささも手伝って難点続出。あまり無理すると手に負担もかかります。
最初はこういうことの矯正に終止していたのですけど、どうも上手くいかない。強弱も毎回上書き書き換えされてしまう。
・・・もう方向転換ですね、こうなったら。
とりあえず、お話作らせました、猫の。
こういうことすると子どもって面白いこというなあ、と思うんですけど、
たとえば、<属七から六の和音(レファ♯ラド→ミソシ)>という偽終止のところは
「こっそり通り抜けようと思ったのに、カサっと音がして主人に気づかれそうになった」だとか、
装飾音(今、草食音、と誤変換・・・爆)のところ、つまり「(ラシ)ドシラ」というところは「カーテンに耳が引っかかった」とかいうわけです。
・・・・そんだけ面白いこと考えてるんだったら、もちっと楽しそうに弾かんかいっ!!
子どももいろいろでしょうけど、私が関わった範囲では、慣れたところで自由にしゃべらせるとだいたいどの子も驚くほどしゃべるし、イメージもわんさかあるんですが、
イメージ先行だとちゃんと弾けないし、先生に注意されるし、みたいなところで、妥協点を見いだせず、しまいこんでしまうか、なかったことにしてしまうみたいなんですよね。
あまりにも勝手なことをされても上達しないし、かと言ってそういうものを封じ込めるような示唆をしてしまうと(だいたい知らず知らずのうちにやってしまってます・・汗)、演奏することに楽しみを見出せないし・・・。
ほんとに難しいです。これはピアノに限らず、日常の生活でも勉強でも同じこと。
ここを按配よく育てていくには、やはり親が大人が、年長者の視線をキープする一方で、どれだけ柔軟な頭と感性を持っているかにかかっているのでしょう。
そういうものを保つ努力をするのも、親の仕事のひとつかもしれません。
現実には・・・
8月末にちゃんと履けていた(娘の)発表会用の靴が、昨晩まったくはいらなくなっていることがわかり、ネットで探してもこれはというのはすべて売り切れ(泣)。
これから靴探しに走らねばならぬという・・・・これも親の仕事(汗)。
東京では薄手のコート一枚では寒いだとか言っていて、ほんとにびっくりです。
あ、もちろんこちらも寒いです。さすがに半袖ではいられない(笑)。
・・・なに着ていいかわかんないんですけど・・・・
ところで、私が一年でもっとも頭を抱える本番・・・、娘の発表会が近づいてまいりました。
親が「頭を抱える」と言ってはいけないのですけど、抱えるもんは抱える、仕方ないです。
いつも先生にまるっきりお任せしていて、練習もバイオリンほどはちゃんと付き合ってないのですが、さすがにですね・・・ええ、さすがにほっておけない。
あらためてみてみると、「毎日じっとついていて、指やら手やら矯正したほうがいいのかな?」とも思うのですけど、そういうことは「がるるる・・・しっぽバン!!」で断固拒否しそうな娘だし、いやはやどうしたもんか(汗)。先生のおっしゃることもほぼスルーなのは想像に難くありません。
こういうときに出る言葉・・・「どこから手をつけたもんか」(殴)。
なんせ相手がソナチネとはいえべートーヴェンですからね。極端なこというと、「気持ちよくゆらゆら」のものよりは、「機械的にテンポどおり」の方が聴く方にとってはまだマシなわけです。
さらに、指の弱さ、手の小ささも手伝って難点続出。あまり無理すると手に負担もかかります。
最初はこういうことの矯正に終止していたのですけど、どうも上手くいかない。強弱も毎回上書き書き換えされてしまう。
・・・もう方向転換ですね、こうなったら。
とりあえず、お話作らせました、猫の。
こういうことすると子どもって面白いこというなあ、と思うんですけど、
たとえば、<属七から六の和音(レファ♯ラド→ミソシ)>という偽終止のところは
「こっそり通り抜けようと思ったのに、カサっと音がして主人に気づかれそうになった」だとか、
装飾音(今、草食音、と誤変換・・・爆)のところ、つまり「(ラシ)ドシラ」というところは「カーテンに耳が引っかかった」とかいうわけです。
・・・・そんだけ面白いこと考えてるんだったら、もちっと楽しそうに弾かんかいっ!!
子どももいろいろでしょうけど、私が関わった範囲では、慣れたところで自由にしゃべらせるとだいたいどの子も驚くほどしゃべるし、イメージもわんさかあるんですが、
イメージ先行だとちゃんと弾けないし、先生に注意されるし、みたいなところで、妥協点を見いだせず、しまいこんでしまうか、なかったことにしてしまうみたいなんですよね。
あまりにも勝手なことをされても上達しないし、かと言ってそういうものを封じ込めるような示唆をしてしまうと(だいたい知らず知らずのうちにやってしまってます・・汗)、演奏することに楽しみを見出せないし・・・。
ほんとに難しいです。これはピアノに限らず、日常の生活でも勉強でも同じこと。
ここを按配よく育てていくには、やはり親が大人が、年長者の視線をキープする一方で、どれだけ柔軟な頭と感性を持っているかにかかっているのでしょう。
そういうものを保つ努力をするのも、親の仕事のひとつかもしれません。
現実には・・・
8月末にちゃんと履けていた(娘の)発表会用の靴が、昨晩まったくはいらなくなっていることがわかり、ネットで探してもこれはというのはすべて売り切れ(泣)。
これから靴探しに走らねばならぬという・・・・これも親の仕事(汗)。