~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

星の数ほどの「スター」

2010年08月27日 01時13分31秒 | ピアノ
ピティナの動画をヒマなときに見ています。

G級、特級はまっさきに見たのですけど、今日はA1とB級、小さい子どもたちのものを見てみました。
小さい子の受賞は指導者次第とか、親次第とか言われなくもないですけど、いやもうそんなことはおいといて・・・という感じです。聴き入りました。
こんなに音数の少ない曲をこのレベルで弾けと言われても、私とうていムリでございます。まして、こんな風に弾けるよう指導するなぞ・・・・ありえない。
娘もこの子らと同じ年頃でありますけど、あははは・・・・笑うしかない。

いやすごいもんですね。
毎年毎年こういう子たちが続々と出てきて、その頂点に当たる特級グランプリも毎年ひとりずつは必ず出るわけです。特級グランプリはコンサートピアニストへの道が開かれていますけど、それでも、10年たったら10人出る。コンクールは国内だけでも他にもありますし、海外のコンクールで上位の成績をとった方がたも国内外でデビューされる。
少子化といえども、どれだけのピアニストが毎年デビューしているのか・・・と考えるだけでもくらくらきます。
そしてそのデビューできた幸運な人たちは、ピアニストを志したおびただしい数の人間のほんとにほんとに一握りだということを考えるとこれまためまいがいたします。

またそういう過程を経なくてもポッと(と傍目にはうつる)デビューされる方もまれにおられるわけで、たとえば子ども時代ほぼ独学でピアノをやっていて、大人になっていきなり真剣にやり始めてアマチュアの国際コンクールで優勝してプロとしてデビューしたとか、そこまで「独学」でなくても、似たようなケースはたまに見聞きいたします。

ピアニストもですが、一般に名の知られるような指揮者になるなぞ、いったいどれだけの確率なのか???

「そうりだいじん」になりたいとか「プロやきゅうせんしゅになりたい」とか「しきしゃになりたい」などという夢は大変すばらしいですし、ぜひそれに向かって子どもたちはがんばってほしいと思うのですけど、親としては「じゃあ、一緒にがんばろうね!!」と心の底からは真顔で言えないわけです。
(このなかでどれかと言われると、今の世の中だと「そうりだいじん」が若干確率が高そうに思えたりもする・・・・・いや、そんなことは・・・・・汗)

何事も志さないと始まらないわけではありますけど、実際踏み入れてみると、筆舌に尽くしがたい心身および経済面の消耗があるのも事実。親にもしてやれることとどう考えても無理なことがあるし、子どものやる気がまぶしければまぶしいほど、親の苦悩も深まるでありましょう。
それとやはり、各ジャンルにおいて「適性」とか「才能」というものはついて回ることであり、このあたりの見極めもいるし、その子における伸び期を待つ必要もあるかもしれません。


私自身は、大学の専攻も就職も音楽とは無縁で、しかもまったく音楽のことなんか考えずに過ごした時期も長いのですけど、今になって振り返るに、そういう生活歴であったということ自体、そもそも音楽家への強烈な適性はないよな・・・と思うわけです。
現在有名な音楽家になっておられる方の中には「とにかく一刻も早く音楽漬けの生活に入りたかったので音楽高校に行った」とおっしゃるかたもおられますし、普通の高校とか大学に進まれたとしても、それは音楽へ至る道として深慮の末でいらっしゃるケースが多い。
人間ってほんとにやりたい、やろう、やらねばと取り憑かれると、少々の反対や環境で志は曲げないと思うし、なにか困難な道に入ろうと思うのであれば、そのくらいで淘汰されるようではまず先はないのではないか・・・・とも思うわけです。
いつでしたか、なにかのコンクールのドキュメンタリーで若きピアニストたちが出てました。そのなかの一人、女性でしたけど、緊張のあまりできがよくなかった。ショックで泣いてました、たしか。そのときの彼女言葉が忘れられないです・・・・「私にはピアノしかないんです。ないからこれからも頑張ります」・・・・
なんとなく「〇〇しかない」というのはネガティブな語感なんですけど、そのとき思いました・・・「これがダメならあれがあるし・・・じゃダメなんだ」と。

世の中、「幅広く教養があり常識がある」ことが良いように思われるところがあり、また私自身もそういう意識は強いのですけど、少なくとも強烈にある一芸に秀でるとかあるジャンルに通じるということは、そういうバランスのとれたところで成し遂げられないことも多々あるように思います。「教養の幅は狭く非常識」くらいでないと、やっていけないだろうし、また必然的にそういう人間になる可能性もあります。

・・・・・そういう意味においても、とても常識人で、良き妻やさしい母である私には、およそ何かを強烈に極める適性は無いのでありました(逃)・・・・