アンサンブル大会が終わって、ピン芸人に戻った私です。
・・が、やってる曲は、オペラのトランスクリプション「イゾルデ愛の死」(殴)。いい加減にしなさいっ、って感じです。
実は本番は来月末なのです。
今やっと楽譜が頭に入ってきてなんとか曲らしく弾けるようになってきたかな・・というところなのですが、ある程度弾けるようになったらなったでかなり気分が悪い。
・・・・自分の思っていた仕上がり方向と違う感じ・・・
これはワグナーの原曲をリストが編曲していて、リストはどういうつもりでこの曲を書いたのかわかりませんけれど、私が聴いたいくつかのピアノ版はわりあいリスト寄りというかヴィルトーゾ&オシャレ系で、どうかするとサロンでのBGMにもなりかねないような雰囲気でした。
・・で、私は絶対そのようには弾きたくないと思っていたのですが、どうも自分が弾いてる感じとか他人に聴いていただいた反応からすると、「それっぽい」。
弾いててどこが気にいらないかというと、「フォルテがそこそこ音量は出ていても、楽器が鳴っている感じがしない」「流れるような部分が流れすぎて、どうも軽すぎる」。
弾くのと聴くのはまた違うからと思って、昨日録音して聴いてみましたら、さらにその傾向は顕著で、特にいわゆる「きれい」な箇所が、「きれい」なだけで軽薄というか「毛先かる~くしておきましたよ」というスラーのしまい方。
で、1月にまだ譜読みもたどたどしく弾いて録音してみたものを聴いてみたのですが、部分的にはこちらのほうがずっといい。今の演奏はいわゆる「指は回ってるんだけどね・・」というアナに落ちてます。
先日、古いビデオを取り出して、初めて「トリスタンとイゾルデ」全幕を見てみました。
私にかけているものがわかりました。
・・・・・体重・・・・・(爆)
私の見たイゾルデはワグナー歌手にしては細身でしたが、トリスタンは樽というか牡牛というか。
だいたいですね、第3幕で死にかけてから30分だか40分だか歌い続けるわけです、トリスタンは。それも、死にかけているというのに、生い立ちから何から何まで振り返っての熱唱。熱唱したあげくに死ぬ。
そしてそれを見てびっくりしたイゾルデが一回は死にかけるのですが、気を取り直してやっぱり歌わなくちゃと歌うのが「イゾルデ愛の死」。
これは7分くらいなので、この楽劇のなかでは、もうほんとに短いというかあっという間の歌なんです。
ただ、実はこの元歌がありまして、第2幕で二人があんなこともこんなこともしながら、もう延々延々と同じようなフレーズを、上がったり下がったり喜んだり悲しんだり、生きるとか死ぬとかいいながらこれでもかこれでもかと歌うわけです。
それにくらべれば「愛の死」なんか、オカラに近い淡白さなんですが、そうはいってもこれだけの内容を背負った曲、もっというと全幕のダイジェスト版なので、かる~く弾くのはやはりいかがなものかと・・・・。
そう思いつつ、今日レッスンに行ってきました。
ええもう、予想どおりというか、まったく同じ感想でした、先生も。
編曲ものを弾くときはわりにこういうことがあって、以前の「運命」のピアノ版もブラームス「六重奏」も似たようなアナに落ちてましたが、ただベートーベンやブラームスはいわゆるここぞと「きばる」部分がはっきりしているので、まだ音を出しやすいような気がするのですが、この曲はどうも一気にたたみかけたりとか、どーんと低音をきかすとかいう箇所がはっきりしているわけでなく、それこそ一音一音の質で勝負していかねばならない。
もちろん、それはなんとなくわかっていて、そういう勉強をしようと思ってこの曲を選んだのでしたが、これがなかなか難しい。
先生からは細かい音符も一度初見状態に戻って、一音一音ゆっくりはっきり発音する練習をすすめられましたけれど、これはまさに私の感じた「ろくに弾けなかった1月ときのほうがまだいいじゃん」ということの再現であって、シャギーな毛先にせず(笑)、「先端まで充実した音で、だが音量はppで」ということなんですね。
私はワグナーの音楽も弦楽器のことも詳しくないですけれど、弦の部分を聴いたとき「弓圧高し、全弓、でもpp」(?)みたいな感想を持ちましたので、たぶんピアノで弾く場合もそれに似たような音が要求されるのだろうと思います。
この曲を録音して自分で聴いたとき「いつの間に自分はこんなイイ人に」と思いましたけど(笑)、どこがどうという指摘ができないのですけれど、リストのトランスクリプションは原曲ベートーベンのものにしてもちょっとだけ「イイ人感」が漂うような気がします。
ほんとに原曲に忠実な編曲であるのですが、この私の感じる「イイ人感」は、今日先生から指摘があった「アルペジオ」の弾き方にもかなり責任があるように感じています。
ピアノの特性上、和音がアルペジオになっている部分が多いですが、これをどう弾くか、どう積み上げてみるか・・・なかなか考えどころ。
来月のことはまあひとつのイベントとして、なかなか楽しい音楽の時間です。
・・が、やってる曲は、オペラのトランスクリプション「イゾルデ愛の死」(殴)。いい加減にしなさいっ、って感じです。
実は本番は来月末なのです。
今やっと楽譜が頭に入ってきてなんとか曲らしく弾けるようになってきたかな・・というところなのですが、ある程度弾けるようになったらなったでかなり気分が悪い。
・・・・自分の思っていた仕上がり方向と違う感じ・・・
これはワグナーの原曲をリストが編曲していて、リストはどういうつもりでこの曲を書いたのかわかりませんけれど、私が聴いたいくつかのピアノ版はわりあいリスト寄りというかヴィルトーゾ&オシャレ系で、どうかするとサロンでのBGMにもなりかねないような雰囲気でした。
・・で、私は絶対そのようには弾きたくないと思っていたのですが、どうも自分が弾いてる感じとか他人に聴いていただいた反応からすると、「それっぽい」。
弾いててどこが気にいらないかというと、「フォルテがそこそこ音量は出ていても、楽器が鳴っている感じがしない」「流れるような部分が流れすぎて、どうも軽すぎる」。
弾くのと聴くのはまた違うからと思って、昨日録音して聴いてみましたら、さらにその傾向は顕著で、特にいわゆる「きれい」な箇所が、「きれい」なだけで軽薄というか「毛先かる~くしておきましたよ」というスラーのしまい方。
で、1月にまだ譜読みもたどたどしく弾いて録音してみたものを聴いてみたのですが、部分的にはこちらのほうがずっといい。今の演奏はいわゆる「指は回ってるんだけどね・・」というアナに落ちてます。
先日、古いビデオを取り出して、初めて「トリスタンとイゾルデ」全幕を見てみました。
私にかけているものがわかりました。
・・・・・体重・・・・・(爆)
私の見たイゾルデはワグナー歌手にしては細身でしたが、トリスタンは樽というか牡牛というか。
だいたいですね、第3幕で死にかけてから30分だか40分だか歌い続けるわけです、トリスタンは。それも、死にかけているというのに、生い立ちから何から何まで振り返っての熱唱。熱唱したあげくに死ぬ。
そしてそれを見てびっくりしたイゾルデが一回は死にかけるのですが、気を取り直してやっぱり歌わなくちゃと歌うのが「イゾルデ愛の死」。
これは7分くらいなので、この楽劇のなかでは、もうほんとに短いというかあっという間の歌なんです。
ただ、実はこの元歌がありまして、第2幕で二人があんなこともこんなこともしながら、もう延々延々と同じようなフレーズを、上がったり下がったり喜んだり悲しんだり、生きるとか死ぬとかいいながらこれでもかこれでもかと歌うわけです。
それにくらべれば「愛の死」なんか、オカラに近い淡白さなんですが、そうはいってもこれだけの内容を背負った曲、もっというと全幕のダイジェスト版なので、かる~く弾くのはやはりいかがなものかと・・・・。
そう思いつつ、今日レッスンに行ってきました。
ええもう、予想どおりというか、まったく同じ感想でした、先生も。
編曲ものを弾くときはわりにこういうことがあって、以前の「運命」のピアノ版もブラームス「六重奏」も似たようなアナに落ちてましたが、ただベートーベンやブラームスはいわゆるここぞと「きばる」部分がはっきりしているので、まだ音を出しやすいような気がするのですが、この曲はどうも一気にたたみかけたりとか、どーんと低音をきかすとかいう箇所がはっきりしているわけでなく、それこそ一音一音の質で勝負していかねばならない。
もちろん、それはなんとなくわかっていて、そういう勉強をしようと思ってこの曲を選んだのでしたが、これがなかなか難しい。
先生からは細かい音符も一度初見状態に戻って、一音一音ゆっくりはっきり発音する練習をすすめられましたけれど、これはまさに私の感じた「ろくに弾けなかった1月ときのほうがまだいいじゃん」ということの再現であって、シャギーな毛先にせず(笑)、「先端まで充実した音で、だが音量はppで」ということなんですね。
私はワグナーの音楽も弦楽器のことも詳しくないですけれど、弦の部分を聴いたとき「弓圧高し、全弓、でもpp」(?)みたいな感想を持ちましたので、たぶんピアノで弾く場合もそれに似たような音が要求されるのだろうと思います。
この曲を録音して自分で聴いたとき「いつの間に自分はこんなイイ人に」と思いましたけど(笑)、どこがどうという指摘ができないのですけれど、リストのトランスクリプションは原曲ベートーベンのものにしてもちょっとだけ「イイ人感」が漂うような気がします。
ほんとに原曲に忠実な編曲であるのですが、この私の感じる「イイ人感」は、今日先生から指摘があった「アルペジオ」の弾き方にもかなり責任があるように感じています。
ピアノの特性上、和音がアルペジオになっている部分が多いですが、これをどう弾くか、どう積み上げてみるか・・・なかなか考えどころ。
来月のことはまあひとつのイベントとして、なかなか楽しい音楽の時間です。