~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

イメージと記憶

2007年08月11日 23時55分49秒 | 見る・読む
昨日の続きになりますが、マーラーのアダージェットを弾いてみたところ、
このなんともなにかを掻き立てられるような和音にハマリ、
ほかにも、少し慣れない響きに手を伸ばしたくなり、棚にあったバーバーの「弦楽のためのアダージョ」のスコアを弾いてみました。

これこそ<弦楽器のための>曲なので、ピアノで弾くのは邪道と思うのですが、和音を一人でやれるのはピアノならではのことなので、相当堪能いたしました。
複雑な和音はちゃんと分析することもできませんが、8月にはいってから、ラヴェル、フランクと私にとっては新しい和音と出会い、遊び弾きではありますけど、マーラーやバーバーも弾いてみて、自分のなかで少し時代が進みました(笑)。
・・・・やっと19世紀末くらいの人間になれたような気も・・・
そこまでいってみて、またバッハにかえってみると、これがまた斬新に感じます。なかなか楽しい時間旅行です。


話変わりますが・・・
けさ、教育テレビで特殊な能力を持った人の話をやっていました。
どんな人かというと、たとえば「13÷97」を瞬時に小数点以下30ケタくらいまでいえる、また円周率を小数点以下2万ケタくらいまで暗記できる英国青年です。
また、まったく初めて耳にするアイスランド語(大変難しい言語らしい)を一週間でマスターしてました。
彼はどうも数字がひとつひとつイメージとして頭のなかに表れ、そしてそのイメージは1万くらいまでの数字すべてに伴なっているらしいのです。
たとえば<1>は明るくはっきりしており、2は右から左に動くものであり、6は大変小さくてブラックホールかなにかのよう、9は大変大きくて直立しているとのこと。粘土で<253>とかいう数字のイメージを作らせると、それはいつも同じ形をしていました。
また瞬時に計算しているようにみえるものも、実は計算をしているわけではなく、たとえば<283×893>という計算の場合、視界に浮かんだ283と893の間に、次第次第に答えが浮かび上がってくるのだそうです。
こういう特殊能力を有する人は、ほかの面での社会適応に難のある人が珍しくないのですが、彼の場合は、普通に社会生活もおくれているし、自分の能力を言語できちんと説明することもでき、これは科学者にとっても大変貴重な資料となるようでした。

そういえば、なんですが・・・・・
先だってリヒテルの番組をみたとき、彼自身が自分の記憶力について語ってました。
なんでもリヒテルは世界各国行く先々で会った人の名前が、アルファベット順にきちんと記憶されているのだそうです。自分でもイヤになるくらい記憶されてしまっているらしい。
なのに一方で数字はまったく覚えられない。自宅の番地すら覚えられない。
楽譜についても驚異的な記憶力を発揮していて、たしかプロコの7番ソナタは数日で暗譜してコンサートで弾き、バッハの平均律集(ですよ、念のため)は1ヶ月で暗譜して弾いたそうです。


これらの人たちを天才だとか普通ではない、といえばそれで話は終わりになります。
ただ、次元は違えども私たちだって、記憶力についてはいろいろ変遷があるわけで、
子どもの頃はあれだけ簡単だった暗譜が、大人では大変困難なこととなる・・というのは、これはやはり記憶のメカニズムになにか変化が起こったとしか思えません。
脳細胞の死滅といえばそれまでですけれど、大人でも、「耳で曲を覚え」「目で楽譜を覚え」「手の運動として覚えこませ」「頭で和声等を分析してたたきこめ」ば、暗譜落ちはかなり防げることから、逆にこれがもし統合されてすいすいと記憶されたならば、暗譜は難しいことではないはずです。

私にとっては<意味のない数字の羅列>としか思えない円周率の数字ですら、前出の青年にとっては「美しい景色」であり、科学者が実験のためにいくつかの数字を差し替えておいたところ、大変な動揺をみせ「このような美しいものを乱すのは今後いっさいやめていただきたい」と申し出たそうです。

せめて私にも、和音の移り変わりが色やイメージをともない、脳のいろんな場所にはたらきかける統合された記憶として残ればいいのになあ・・と思います。
そういえば、こういう「共感覚」みたいなことというのは、私の高校以来の関心事でありまして、また機会があれば当時書いた文章なども紹介しつつ、あらためて考えてみたい(考えてもしかたないけど)と思います。