てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

1本の大エノキ

2011-07-27 16:29:00 | 暮らしと生活

往年の大エノキの雄姿

 「取り留めのない用件なので、また後刻電話をします」とのS村さんから留守電を受けて、折り返し電話を入れるも今度は先方が留守の模様。
 頃合をみて外出の序でにS村さん宅を、多分例の件だろうなと見当をつけてお訪ねすると、案の定であった。

 開口一番「とうとう大エノキを切り倒し処分したのはご存知?」であった。小欄「2011/6/13 エノキ大往生」 で紹介した大エノキだが、枯れたとはいえ元々かなりの巨木で、岡山県内の有名巨樹として第13位にランクされていたほど。
 その残された幹の表面には腐朽菌が現れ、新たな芽吹きは見られない状況になった。そのまま放置しておくと倒壊の恐れもあるので、この度の切り倒しと相成ったもの。

 S村さんは、大エノキに関する新聞記事のスクラップ帳やら、「よみがえれ大エノキの会」に手に成る大エノキに纏わる住民の思い出などを綴った冊子、大エノキを特集した「岡山市政の今日と明日 1999年7月号」など諸々の資料を用意して、拙宅まで届けてくださるおつもりのようだった。せっかくのご好意に甘え、大切な資料を拝借してお暇した。

大エノキ関連の新聞記事と刊行物
 
 樹齢2、3百年といわれ、往時は20㍍あった樹高は13年前に伐採されて半分になりながらも、一時は息を吹き返すかに見えた。ところが老木が故にいくら新芽が出ても持ち堪えられなくなり、先の時ならぬ台風に襲われて大木の上部が折れ、ついに大往生を遂げ残骸を晒していた。

 拝借資料を捲っていると、大エノキの変遷が手に取るようにわかる。1本の老木に寄せられた住民の愛着や熱い思いがひしひしと伝わってくる。かつては人々に生きる力を与えた“道標”であるが、その雄姿を再び取り戻すことなく静かに幕を下ろした。合掌。


大正末から昭和初期に描かれた大エノキ

伐採前の大エノキ(1998年頃)

NHKの取材を受けるS村町内会長(1998年9月16日)

伐採後もここまで蘇っていた(2006年8月26日)

枯れ果てた大エノキ(2011年6月13日)

根元から切り倒した(2011年7月27日)

大エノキの切り株(2011年7月27日)
コメント (4)
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