てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

いつまでもお元気で

2011-06-13 21:35:00 | 暮らしと生活
 倉敷のK病院へ入所している知人を見舞った。一昨年に奥様に先立たれ、そしてあろうことか昨年暮れには娘を亡くするという不幸に見舞われ、同病院の在宅センターに入所されている。「耳が遠いは、長生き」の諺通り、補聴器を着ければ十分に会話が通じる。顔の色艶もよく、とても御年89歳には見えない。奥様と娘さんの分まで長生きして、いつまでもお元気で。

 とても甘党なので好物の「大手まんぢゅう」にバウムクーヘンとマドレーヌを添えて差し上げたら、「入所仲間や看護師さんたちと一緒に頂きます」と、大層喜んでくださった。

 見舞いを済ませ、昼は倉敷・阿知にある「名代とんかつ かっぱ」と心に決めて出向いたのだが、生憎月曜日が定休日で商店街はシャッター通りと化し、「とんかつ」ならぬ「肩透かし」を食らった。

 せっかくの久し振りの倉敷なので、お決まりの美観地区を散策した。mariさんが「倉敷に行く。」の中で紹介されているように、ソラとユメと名付けられた白鳥のつがいに、生まれたばかりのひな5羽が、エサを求めて愛敬を振りまいていた。
 エサやりの人に尋ねると「空に向かって大きく羽ばたく夢を“いつまでも”持ち続けたい・・・そんな思いで2羽の白鳥にソラ&ユメと言う名前をつけた。」そうだ。いま流行の生きた“ゆるキャラ”にしばし癒された。

【倉敷美観地区にて】

今橋から倉敷川の柳並木を望む

大原美術館も休館日

美術館の玄関両脇にあるロダン作の銅像
(何故だかビニールで被われている)

白鳥の親子

白鳥の親子
コメント (4)
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エノキ大往生

2011-06-13 19:41:00 | ビジネスと社会
 小生のウオーキングスタイル上の大きな欠点として、歩くことに集中するあまり、周りを見回すほどの心のゆとりが如何に欠如しているかを痛感した。
 
 ウオーキングコースにあたる、岡山市中区祇園に昔からあるエノキの大木脇を通り過ぎた所で、家内が「(枯れて)エノキがなくなっている事に気付いとる?」と呼びかけるので、思わず足を止めて振り返った。あれほど茂っていた大木が朽ち果てて、今や無残な姿をさらしているではないか。

 この大エノキは、小欄「2006/8/26 蘇れ大エノキ」で書いたように、昔から地域の人々に愛され親しまれているシンボル的存在で、「よみがえれ大エノキの会」まで結成し、エノキを蘇らせる運動が続いていたもの。

 早速にエノキのすぐ傍に住まわれるS村さんにいきさつをお尋ねした。
 1998年8月、この老木の枝の一部が落下したことから伐採され、それを機に大エノキ保存の声が高まったのだが、時の町内会長がS村さんである。
 みんなの熱意が通じエノキの古木に新芽がつき一時は復活するかに見えた。しかし、(老木が故に)土台が痛んでいたため、いくら新芽が出ても持ち堪えられなくなっていた。そこへ先の(5月29日)時ならぬ台風2号に襲われ、大木の上部が折れ、ついに大往生を遂げた。
 S村さんは「物心ついた頃からずっとエノキの姿は変わらず、後楽園から丁度4㎞の所に立つので、まさしく“一里塚”だった。」と懐古の念で振り返る。
 
 有為転変は世の習いとはいうものの、一世紀以上の永きにわたる世の変遷を見守ってきた町のシンボルがまた一つ消えた。


ここまで蘇っていた(2006/8/26撮影)
↓↓

見るも無残に枯れ果てた姿(2011/6/13撮影)

コメント (2)
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