奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

渚滑線、各列車の想い出(7) … 732D(北見滝ノ上2125発渚滑行)

2011-06-20 05:31:25 | 渚滑線・名寄本線
北見滝ノ上 21:25
   ⇓
渚滑     22:14


北見滝ノ上発の最終列車、通称“終列(しゅーれー)”です。

最終列車で乗客が少ないのに運用の都合で2両編成です。
北見滝ノ上を18:18と20:19に到着する単行列車をつないで2両編成。

この列車の目的はただひとつ、遠軽からの夜行急行「大雪6号」への送り込み。

終点の渚滑からは急行「紋別」崩れの遠軽行普通列車に接続し、
終点遠軽には23:46に到着しています。

急行型で空いていて、ゆったり気分で乗ったものです。

急行「大雪6号」は23:53に到着、進行方向を変えて日付が変わった0:08に出発です。

遠軽駅には夜中にもかかわらず駅弁屋さんがいて、立ち蕎麦も営業していました。
こういうときの立ち蕎麦は無性に美味しく感じるもの。
私はほとんどこの立ち蕎麦を食べていた…。

急行「大雪6号」の札幌到着は早朝の6:13。
そのまま札幌の街へ行くもよし、更に乗り継いで函館方面へ行くもよし、
観光やビジネスに大変便利な乗り継ぎコースでした。

夜行急行「大雪」の話はコチラへ → http://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/d383cf6790e86fd243736d15743dc290

ということで、私はこの“しゅーれー”にはよく乗りました。

とくに中学2年からは実家を出る高校3年まで、
毎年大晦日にはこの列車に乗って旅行に出かけていたのです。

だって、正月は家でテレビを見ていてもつまらないんだもん。
だったら大晦日から三が日まで旅行だということで。

その他なんだかんだと急行「大雪」に乗るためによく乗ったこの列車。
鉄道が交通の主役だった頃をそのまま体現していた列車だったと思います。
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渚滑線、各列車の想い出(6) … 730D(北見滝ノ上1719発紋別行)

2011-06-19 05:20:42 | 渚滑線・名寄本線
北見滝ノ上 17:19
   ⇓
紋別     18:21


通称“5時の”列車です。

この列車も“9時の”列車と同じく最初は2両編成でしたが、やがて単行になりました。
紋別からの需要の減少によって、折り返すこの列車も編成が短くなりました。

この列車も“3時の”列車と同じくあまり乗ったことはありません。
“3時の”列車と同じく紋別や濁川に行く以外にこの列車に乗る動機がなかった。
それ以上に、紋別以遠に行くには不便すぎたのです。

渚滑や紋別以遠に行くには接続が不便すぎたのもその理由。
乗り継いだとしても遠軽までしかスムーズに行けなかったのです。

乗り継いで行ったとしても遠軽以遠はとんでもない時間に。

今なら「北見で一杯やるか」となるところでしょうが、
高校生までの私には「ちょいと一杯」は無縁のこと。
北見まで行ったとしても当然その「一杯」の相手もいません。

今なら一杯のあいてには苦労しないのですが。

“3時の”列車にしてもこの“5時の”列車にしても、
紋別からの通勤・通学客の送り込みの折り返しなのでそれに仕方ありません。

ただ平日にスキーをするときのナイター利用で濁川の桜ヶ丘スキー場に行くとき、
この列車の時間設定は絶妙なものがありました。

自宅からスキーを担いで5分、列車に5分のって濁川の駅を降りて3分。
ナイター営業の間に回数券を買ってリフトに11回乗って滑る。

高校の時はよく滑りに行きました。
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渚滑線、各列車の想い出(5) … 728D(北見滝ノ上1455発紋別行)

2011-06-18 05:43:25 | 渚滑線・名寄本線
北見滝ノ上 14:55
   ⇓
紋別     15:54


単行の、通称“3時の”列車です。
前の列車から約6時間も時間が空いていますが、
貨物列車が走っていた時はこの空いた時間に走っていました。

この列車にはあまり乗っていません。
午後に紋別方面へ行く用事がそんなになかったから。

土曜の午後に紋別や遠軽の親戚のところに行く用事があったときくらい。
そして1泊して日曜に帰ってくるというパターン。

北見滝ノ上の隣、濁川まではたまに乗っていました。
親戚や友人のところに行くときやスキーに行くときなど。

濁川までは北紋バスの滝上線(滝上ー紋別)や滝上市内線(滝上ー濁川)も走っており、
渚滑線の列車とあわせ利便性は高かったので町内のアクセスとしてよく利用されていました。

国保病院などへの通院にも便利な時間帯で、その需要もありました。

ちなみに渚滑から遠軽行の普通列車に乗って、
遠軽から急行「大雪」(のちの特急「オホーツク」)に乗ると夜には札幌に着きました。

このコースは何らかの形で乗ったことはあるかとは思うのですが、
はっきりとした記憶はありません。

多分、大学生のときに帰省して東京に戻るときに乗ったはず。
札幌からは夜行で函館に行ってそこからあちこち寄りながら東京に向った。

東北のローカル線をトコトコ乗りつぶしたんだね。
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渚滑線、各列車の想い出(4) … 726D(北見滝ノ上918発紋別行)

2011-06-17 05:50:00 | 渚滑線・名寄本線
北見滝ノ上  9:18
   ⇓
紋別     10:24


これは私が一番乗った列車です。
通称は“3番”又は“9時の”。

私が物心ついた頃は2両編成でしたが後に1両編成となりました。
紋別の到着が10時過ぎ、お買い物や通院には最適な時間です。

紋別といえばこの地方の中心都市、その求心力を見せ付ける列車だったといえます。

また渚滑からは旭川行きの普通列車(遠軽から急行「大雪」)に接続しており、
旭川やその先の札幌方面へ行くにも便利でした。

急行「大雪」はこのブログ『特別快速「きたみ」物語』で詳しく書いているのでそちらをご覧下さい。
  → http://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/1dba9c37bb6de47e1f05c9b2d0baa392

更に途中の遠軽からは網走行の普通列車に接続、
これまた北見へ行くにも乗り継ぎの無駄なく行けたのです。

旭川方面、北見方面とも、この接続列車にもよく乗りました。

また、同じく渚滑からは名寄行の普通列車にも接続。
これに乗ると名寄から札幌行き急行「なよろ」に接続し旭川、札幌方面へ行けました。

遠軽まわり、名寄まわりとも札幌到着は同じ時間。
どちらにするかはそのときの気分次第でしたが私は遠軽まわりが多かったかな。
でも空いているのは名寄まわりでした。

というようにこの列車、
出発時間が程よい上に鉄道が繋がっている各方面への接続が極めていい。

渚滑線の列車の中で一番マルチな活躍をしていた列車かもしれません。
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渚滑線、各列車の想い出(3) … 724D(北見滝ノ上647発紋別行)

2011-06-16 05:30:09 | 渚滑線・名寄本線
北見滝ノ上 6:47
   ⇓
紋別     7:52


始発から約1時間後の紋別行きです。
通称“2番”と呼んでいました。

北見滝ノ上出発時は単行ですが
途中の上渚滑から1両増結、2両編成で紋別まで走っていました。

この列車の目的は、3つ。

1つめは紋別への通勤・通学輸送。
渚滑の次、潮見町は紋別北高校、終点の紋別は紋別南高校の最寄り駅でした。

滝ノ下までの滝上町域からは1学年10数名が、
そこから先の紋別市域からはほぼ全ての高校生が両校に通っており、
多くの高校生がこの列車に乗って通学していました。
その他の通勤客を含め、この列車は渚滑線で一番混みあう列車だったのです。

2つめは渚滑から接続する急行「天都」へのフィーダー輸送。
急行「天都」は網走地方の中心都市、北見・網走へ向うビジネス急行でした。

北見の到着は10:34、網走には11:38という時間に到着するため、
そちらのビジネス・観光のニーズも高かったのです。

私がこの列車に乗る時は急行「天都」で北見に行くときが多かったですね。
急行「天都」はこのブログで別に詳しく書いているのでそちらをご覧下さい。
  → http://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/79a89c97923acb54212d424e893b6547

そして3つめは渚滑からの遠軽行普通列車に接続、
その遠軽から函館行の特急「おおとり」へ乗客を運ぶこと。

特急「おおとり」は石北本線の網走からはるばる函館まで走っていた列車で、
函館からは青函連絡船をはさみ青森からは寝台特急「はくつる」「ゆうづる」に接続していました。

これで行くと上野到着は翌日9時前後となり
飛行機が一般的になる前は網走地方から東京に行くには最も早いコースだったのです。

実際に私も1回だけですがこのコースで上野まで行ったことがあります。
当時はなんと贅沢でなんと早い列車かと思っていましたが、
今考えればなんとものどかな時代でした。
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渚滑線、各列車の想い出(2) … 722D(北見滝ノ上538発渚滑行)

2011-06-15 04:58:20 | 渚滑線・名寄本線
北見滝ノ上 5:38
   ⇓
渚滑     6:33


北見滝ノ上の始発列車、通称“1番”、単行の渚滑行です。

この列車の一番の目的は、名寄本線の最優等列車である急行「紋別」への接続。

急行「紋別」は旭川、札幌方面へ一番早く日着できる列車で、
渚滑線沿線のみならず名寄本線、興浜南線一円から広く乗客を集めていました。

なお急行「紋別」はこのブログで別に詳しく書いているのでそちらをご覧下さい。
  → http://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/35c6973685ea84d08c8b9c0ceef73a8b

私も例に漏れず旭川、札幌方面へ行くときにはよく使っていました。
これに乗ると旭川には10時頃、札幌には12時頃に到着とどちらも程よい時間に到着、
ビジネスや観光に最適な列車だったのです。

旭川には10時ですから、そのまま駅前の買い物公園へ行くのにちょうどいい時間。
その絶妙な時間設定のお陰で名寄や士別からの乗客も多く、
多客期は所定3両のところ1両増結していましたがそれでもよく混んでいました。

渚滑から紋別方面へも遠軽行の接続列車がありましたが、
そちら方面へ乗り継いだ記憶はあまりありません。
だって遠軽から先の接続がイマイチだったからね。

さてこの一番列車、上渚滑で下り列車との交換がありました。
早朝の気だるい雰囲気の中、一服のアクセントではありました。
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渚滑線、各列車の想い出(1) … 序

2011-06-14 06:45:16 | 渚滑線・名寄本線
旧国鉄・渚滑線。

名寄本線渚滑駅から渚滑川に沿って内陸の北見滝ノ上駅まで、34.3kmのローカル線でした。
列車のほとんどは起点の渚滑駅からではなく紋別駅まで乗り入れていました。

開通は大正12(1923年)年11月5日、廃止は昭和60年(1985年)4月1日です。

度々ここで言及していますが私は高校まで終点の北見滝ノ上駅の近くに住んでおり、
事あるごとに渚滑線を利用していました。

何しろ今のように札幌までの高速バスなどがない時代、
どこかに行くにはまずは渚滑線の列車に乗る。

とにかくよく乗りました。
渚滑線を走っていたどの列車にも何らかの想いがある。
これから何回にもわたって渚滑線の列車1本ごとにその想い出を書いていきます。

参考に見ていただく時刻表は国鉄監修・交通公社の時刻表、S47年3月版です。
この当時は渚滑ー北見滝ノ上間に6往復半と、
渚滑ー上渚滑間に片道1本の区間運転の列車がありました。

この運行形態は渚滑線廃止まで変わらなかったのでこの時刻表を元に話を進めていきます。
もちろん細かな時刻の変更はあったのですが、大勢に影響はないもので…。

また全国版であるこの時刻表には載っていませんが、
乗降場として元西、十六号線、上東、奥東、雄鎮内の各駅がありました。

順番としては北見滝ノ上始発の上り列車から、発時刻の早い順に書いていきましょう。
上り終列車が終ったら下りの始発からまた順番に終列車まで。
上下あわせて合計14本しかありませんしね。

それでは、始ります。



渚滑線、渚滑駅、紋別駅、上渚滑駅、北見滝ノ上駅、濁川駅、国鉄、北海道
廃線、滝上町、名寄本線、急行紋別、急行天都、急行大雪
コメント (2)
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シルバーフェリー、通常運航へ

2011-06-13 17:05:24 | 交通
苫小牧ー八戸間を運航しているシルバーフェリー(川崎近海汽船株式会社)。

大震災の影響で今は苫小牧ー青森間で暫定運行をしていますが、
7月10日から(八戸発は11日から)苫小牧ー八戸間で運航を再開すると発表しました。

この航路は昼夜問わず1日4往復もしている大動脈なので、
今まで物流に対する影響も大きかったでしょう。

これで北海道に関係する交通機関は、
今なお臨時便での運航が続く新千歳ー仙台間の航空路を除き全て平常に戻ります。

7月10日というと、大震災発生から4ヶ月です。

早いというべきなのか遅いというべきなのかよくわかりませんが、
それだけ大きな震災だったということなのですね。

交通機関だけでなく、皆さんよくやっていると思います。
経済活動に関しては日本は強いな。

それに比べて永田町の混迷には呆れるしかありません。
いつまでもくだらないことで時間を浪費している。

貴方たちみんなで気仙沼の避難所に行って、
ポスト菅をどうするかそれぞれの会派やグループに分かれて相談してみなさい。
そして今やっているようにその結果を毎日記者たちのインタビューで答えてご覧。

そんなことできないよ、恥ずかしくて。

そんな恥ずかしいことをいい大人が何百人も集まって毎日話し合っているわけだ。
そういう自覚もないだろうな。

復興の遅れは人災だな。
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アミューズメントパークとしての門別競馬場

2011-06-12 05:53:08 | 北海道のこと
私は去年に続き、今年も門別競馬場に行ってきたのですが。

札幌からの無料送迎バスで当地に到着したのは14時頃、
そして帰りの出発は21時頃で約7時間の滞在です。

私は元々競馬をしない人、7時間もの間ただ競馬を見ていたのでは飽きる。
競馬を見ない間は競馬場内をうろうろと探検してまわりました。





まずは売店。
地元の産品が格安で売っています。
私はアスパラガス(200円)とレタス(100円)を買いました。





新しいスタンドの後ろは「とねっこ広場」という自由に使える椅子を置いてある広い芝生。
この周りにはオープンカフェ(パティスリー・パサパ)やグリルハウス(ジンギスカン)、
直線コースが一望できるプチハウス(貸切コテージ)などがあります。





オープンカフェは安くて、店内には記念になるクッキーやグッズがあってなかなかよろしい。
ジンギスカンコーナーも夕方からビールと一緒に楽しむグループで盛況でした。





スタンドを下りると馬場との間に芝生のスペースがあります。
観戦に疲れたらそこでゆっくり椅子に座ったり寝そべったり、
この2人のようにおもいおもいに過すのもまた贅沢ってなもんです。





その向こうに見えるのはウィナーズサークル。
行った日も表彰式が行われました。

新旧2ヵ所のスタンドの中には売店が計3ヶ所、
それぞれ工夫を凝らしたいろいろなメニューがあって楽しい。





縁日の出店と同じ感覚ですね。
遅い時間になると売り切れメニューも続出していました。

などなど競馬を観戦しながら場内を探検しながらの7時間。
変なところで無駄に時間を過すならここに来た方が余程楽しい。

札幌から無料送迎バス付アミューズメントパーク、門別競馬場。
ギャンブルの場としてではなく手軽な遊び場としてもっと注目されていいのにな。
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今年も行きました、ホッカイドウ競馬

2011-06-11 05:53:02 | 北海道の旅日記(道東)
馬どころ・門別町で行われている「ホッカイドウ競馬」、
札幌から無料送迎バスが出ているのをいいことに去年に続き今年も行ってきました。

バスは札幌駅北口を12:30に出発、門別競馬場には14:00頃の到着。

しばらくしてパドックに馬が現れやがて本番、第1競走は14:55の発走。
ということで、当日の出走表から第1競走を抜粋しました。





賞金は1位が15万円で順に5位が6000円。
賞金って、こんなものしかないのですね…。
これを勝ち抜いてやがて中央へと駆け上っていく馬が、現れるのか?

ちなみに当日のメインレース「STV杯第39回北海優駿〔H1〕」の優勝賞金は500万円。
さすがにメインレース、H1ともなると全然違いますな。





第5競走に出走したのは「ミスシシャモ」。
名前がいかにもこの地方らしくて、記念に買いました。





17時頃からは地元の方々、老若男女が集まりだし場内は大賑いになりました。
去年もそうでしたが、本当に近くの方々が気楽に遊びに来ている感じ。
子ども連れもたくさんいて、ギャンブルというよりお祭りの縁日の風情です。

大人は100円で贔屓の馬や騎手を応援し、子どもは売店でおやつを頬張る。
日高地方にとって競馬は地域に根ざした生活の一部であり文化なのですね。





18:00出走の第7競走はスタート地点が目の前。
出走の準備からスタートまで漏らさず観察させていただきました。
この距離感の近さが地方競馬のいいところです。

20:35出走の第12競走が最終レース、札幌へ帰る送迎バスの出発はその30分後。
札幌駅北口へ着いたのは22:30頃となりました。

去年と違い天気にも恵まれ、楽しく過すことができました。
そのせいか観客も去年と比較にならないくらい多かった。

ホッカイドウ競馬の存続は今なお予断を許しませんが、
馬産地の競馬としていつまでもその文化を継承していって欲しいと願っています。
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