奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

上富良野町開拓記念館 … 上

2014-07-17 08:07:28 | 北海道の博物館
上富良野町は1897年(M30)、三重県出身の田中常次郎一行が最初に入植しました。
1926年(T15)には十勝岳が大噴火、上富良野村(当時)が甚大な被害を受けます。
そして噴火被災時の村長・吉田貞次郎がその復興に奮闘しました。

この3つがこの施設の主な展示内容になります。
ちなみにここは、吉田貞次郎邸の一部を移設したものです。

開拓者のリーダー・田中常次郎が上富良野開拓に尽力し、
この町の基礎を作ったことは間違いありません。

それは展示を見ているとよくわかります。

そして開拓から約30年後、十勝岳の大噴火が起きます。
当時の新聞などでは、上富良野が壊滅的被害を受けたと報道しています。

その被害の状況が展示されていますが、この件は別に述べます。

さて、時の村長・吉田貞次郎について。

開拓からわずか30年ほどでの大災害、当時は村の再建か放棄かの検討がなされたとか。
ですが村長は、開拓からの30年が無駄になると敢然と再建を選んだ。

方向性が決まると何事もそうなる。
以後、上富良野は発展し今に至ります。

が、私は村長・吉田貞次郎が偉い人だと称えられることに違和感を覚えました。
その違和感はここの展示を見ているうちに大きくなる。

どうもこの人物、ただの郷土の偉人ではない様子が窺える。

確かに、甚大な被害を受けた村を陣頭指揮をして村を立て直した功績は大きい。
ですが展示資料の中にそれを素直に喜んでいない村民の姿も見える。

そのことを地元の郷土史に詳しい方に聞きました。

詳細は述べませんが、吉田氏は地元の実業家でもあったらしい。
それはよくあることですが復興に関し、公私混同でいろいろあったとのこと。

なるほどそれでは利害関係が絡み、村で意見が二分するはずだ。

小さな記念館ですが、丁寧に見ていくとそういうこともわかります。





*上富良野町開拓記念館

住    所:空知郡上富良野町西3線北28号
開館時間:9:00~16:00
入 館 料:無料
開 館 日:今年に関してはこちらをご参照ください
      http://www.town.kamifurano.hokkaido.jp/contents/09kyosin/0920shakyo/calendar/kaitakukinenkan-H26.pdf
コメント (4)
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