世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

瓦礫処理は全国民で!

2012年03月16日 | Weblog

私たちの地域には瓦礫は受け付けない。住民の猛烈な反対が彼方此方で見られた。それもそうだろう。放射能の安全基準値が信用できないから、そうなる。政府の方針は、然るべき学術機関の査定で安全が担保されて後、公表している。学術機関や政府の公表を責めるべきではない。日本の科学技術の水準の信否に掛かっている。私は、その安全性に関しては日本の科学技術を信頼している。識者や評論家等々は放射能に関わる専門家や技官の未熟さを責めている。そこに問題の核心があるかの様な講評をしている。情けない。問題をそこにすり替えては、解決が遠のく。勿論、安全基準値を確保して放射能の影響を最小限に食い止める事は当然である。東日本大震災にボランティアとして活動している方々や、又、各々の地域で援助の声を送っている方達も、いざ我が地域に瓦礫を受け入れてくれ、となると猛烈な反対をする。ちょっと、理解に苦しむ。受け入れの大前提として安全が担保される事は論を待たない。多々の理由述べは控えるが、兎に角、瓦礫を全国で全国民が受け入れるべきである。

最近“地滑り”が多い そのメカニズムは?

2012年03月15日 | Weblog

テレビを視聴していると頻繁に「地滑り」の事が報道される。特に東北、新潟に多いという。東日本大震災の後始末に追われている矢先に、又もや追い打ちを掛けるかの様に襲い掛かる。天を恨んでジッと見る。他人事ではない。何時、自分の身に襲い掛かってくるかも知れないのだ。この際、“地滑り”とは何ぞや?と、その詳細なメカニズムを紐解く事にしよう。そこで類書を渉猟した。参考文献は下記に記載する。・・・
●「地滑り」とは・・・土塊、岩塊が斜面上を下方へ徐々に移動する現象。急激な崩壊を齎す事もある。地下水を含んだ粘土がある場合に、滑り面が出来て“地滑り”を起こしやすい(地滑り粘土)。
◎「地滑り」の分類・・・その地質的条件によって、3類に分けられる。
・第三紀層地滑り
・破砕帯地滑り(断層などで岩石の崩れている部分に起こる)
・温泉地滑り
地滑りが起こると斜面上部には凹地、下部には高まりが生じ、断面形は、段階状をなし、平面状は、馬蹄形を呈す。この様な地形を「地滑り」という。日本では新潟県の第三系丘陵地帯、吉野川、紀ノ川などの破砕帯の地域などに「地滑り」地帯が多い。

※参考文献:「ブルタニカ国際大百科事典」

最近 よく見る故郷の夢!

2012年03月14日 | Weblog

忘れかけた幼い頃の夢をよく見る。どうしてなのか分からない。精神分析ではどう説明されるのか、と考えたりする。・・・祝いの座に招待された公民館では、諸先輩たちが上座に多数、陣取って、いろいろと雑談に余念がない。私の事もいろいろと取り沙汰しているみたい。老けているとか、いや、年にしてはまだ若いとか、と、評価を楽しんでいる様である。挨拶や余興が終わり帰り際になると、二次会に誘われる。祝宴が終わって帰ろうと靴を探すと、きまって靴がない。どこを探しても見当たらない。とうとう裸足で帰る羽目になる。そういう事が度々続く。私だけかと知人に尋ねると、どうもそうらしい。ツイテないなあ、と自嘲する。今後は靴の置き場を明確にして、そういう会合には臨もうと自戒した。・・・幼少の頃の記憶だが“内容は大人の場面”である。それも摩訶不思議であるが・・・。幼き日の遠き追憶の彼方からの夢物語である。・・・

原発企業の電力不足の再稼働理由は崩壊!

2012年03月13日 | Weblog

原発設置自治体からの悲痛な拒否反応を無視しての再稼働は頓挫した。識者は口を開けば、「原発廃止の方向は正しい」と反対者に歩み寄る。異口同音に“でも・・・”、と続く。経済界や産業界に配慮してかも知れないが、“原発廃止した直後からの電力供給は、どうするのか”、と自問反論?!ともつかない曖昧な玉虫色の論評をする。だから国民も二の足を踏む。“原発 断固廃止!”を明確に打ち出し、然る後の<現実的対応策>を示すべきである。他方、原発企業の夏場の電力不足に備える、との理由も成り立たたなくなった。実際、国民は節電した。その結果、実働供給以上に電力は余った。原発再開の理由は無くなった。膨大な電力を必要とする企業も苦労して、知恵を絞って、節電したからこそ余剰電力がでた(一般家庭も節電したからである)。火事場の馬鹿力ならぬ非常事態に備えたからである。原発企業のコスト面の有利性も崩壊した。“原発は安い”の神話は崩れた。・・・話を元に戻すと、今回の大地震・大津波の天災対応が後手、後手にまわり人災となった。それで被害は増幅した。・・・別面、設置に賛成した地方自治体への地方交付金も明確に提示して、被害の総体(~被害後の個々の総計をも含めて)と比較して、どうなのか、も検証すべきである。原発で発生した廃棄物の処理をどうするのか、遅まきながら政府は地方自治体に受け入れを義務づける法案を用意した。使用済核燃料の貯蔵も危険が伴う。その処理も必須である。そういう諸々の山積する問題をどう処理するのか、が今後の必須の課題になる。即ち、原発廃止後の電力供給をどうするのか、の命題が問われている。エコ再開エネにシフトして、それこそ日本人の全知恵を結集して、そういう課題に取り組む姿勢が問われている。

※付記:太陽光発電、火力発電、地熱発電、水力発電、風力発電等々・・・技術王国日本のお家芸の再登場が待たれる。“窮すれば道は拓ける”。石油危機以来、数多の国家的危機を乗り切ってきた。打開してきた。そういう底力を日本は持っている。大いに期待したい。



絶対忘れまい 平成23年3月11日午後2時46分!

2012年03月12日 | Weblog

昨日は、あの忌まわしい3.11から1年目の一周忌になった(東日本大震災の日である)全国各地の公的私的組織・機関が犠牲者の冥福を祈った。テレビ視聴からだが、日本人の哀悼の誠を捧げる精神がヒシヒシと伝わってきた。世界各地でも、3.11の犠牲者に捧げる祈りが報道された。人類共通の生命の尊厳に対する顕れである。尊いその精神を世界が真摯に共有すれば戦争でさえも無くなり平和の世の中になるのだが、と、つくづく思った。他方、領土拡大の国境紛争、資源争奪に始まる諍いや戦争も、今回の犠牲者に対する哀悼の誠の精神を世界が共有すれば皆無となる。しかし理屈では分かっていても現実は厳しい。人間欲望の成せる業である限りそう簡単には行かないでだろう。でも、満身の心情を込めて当たれば不可能でもない。そう信じたい。昨日の一周忌を視聴して心からそう思った。天災から人災へと、それが現実になったが、この東日本大震災を教訓に万全の策を立てて今後の対策に生かすべきである。特に、その道の識者や専門家は想定内は言うに及ばず想定外も視野に入れて万全の策を講じるべきである。それが専門家の使命だろう。そう自覚して今後の対策に臨んでほしい。


大和魂は犠牲精神か!

2012年03月11日 | Weblog

“なでしこジャパン”の名声が流布するにつけ、その精神は、なへんに有るのか、と考えてみた。皮相的な見方だが、美しき犠牲精神に帰結する様な気がしてならない。一点突破にせよ、一致団結が日本精神の神髄である様な気がしてならない。どうして、そう考えるのか自分でも定かではないが、戦前の天皇制の名残が今も延々と続いて今日に至っている様な、やはり、そういう気がしてならない。中途半端な戦前戦後を股にかけた私だが戦後民主主義の洗礼を受けて育ったものとしては、視野を戦前に入れると、そういう結論になる。“なでしこジャパン”の命名の<なでしこ>も紐解けば、植物に由来するのだが、それも<大和魂>の別名である様な気がする。曰く「大和魂」とは、“日本民族の固有の精神”として強調されてきた。それは日本人の<対外意識の顕れ>でもある。対外に対する闘争精神の権化が“なでしこジャパン”をして顕示された。そういう見方も成り立つ。歴史的に古くは中国に対して、近代以降は、西洋に対して主張された。“大和魂”は、古来、日本人独自の思考と行動様式をさした。日本的“美意識”と中華思想に対しては“日本文化自立の精神”を謳歌したものだった。別の見方からすると、尊皇攘夷の行動様式を吐露した精神である。明治以降は、天皇への忠誠精神としてナショナリズムの中核的内容となった。対外侵略を美化する精神的支柱となり、昭和の戦時中の士気高揚のスローガンとなって一億総動員の戦争参加・賛美へと駆り立てた。結果は、惨憺たる敗戦に終わった。・・・

国家公務員新規採用4割超削減は困難か!

2012年03月10日 | Weblog

「国家公務員新規採用」の09年比4割超削減は困難である。政府は2013年の方針で決定したが、先行き不透明である。つまり「国家公務員総人件費の2割削減」は、給与費を2012年と13年に平均7.8パーセント(人事院勧告を含めて)下げるとした<特例法>が成立したのだが・・・。新規採用の大幅削減は3月中に策定すると先送りした。2割削減の目途が立たないからである。身を削ってから「消費税増税」を断行する。その野望を展望してのものだが、そういう措置に国民はシラケている。関連各省からは“実働部隊の若手が手薄になる“と悲鳴が聞こえる。こっち立てれば、あちらが立たず、の四面楚歌だ。民主党は過去に「国の出先機関の廃止」や「業務の地方移管による公務員削減」を目指していたが頓挫した。そういう経緯があるが今回はその理由は問わない。・・・国家公務員は30万人いる。その内の19万人が地方出先機関の職員である。実に半数以上である。・・・【出先機関の業務を整理して職員を地方に移管すれば大幅削減になる】。だのに、何故、それを断行しないのか、明確な理由を国民に示さずに有耶無耶にするから信頼を失う。野田総理よ!遠慮せずに、今こそ自分の信念を開陳すべきである。


自公が反対する赤字国債・年金交付国債・消費増税!

2012年03月09日 | Weblog

●「赤字国債」・・・・・・・・・・・<赤字国債発行法案>予算執行に欠かせない赤字国債を発行する法案。しかし昨年、民・自・公の三党で合意した民主党公約の見直しが進捗せず、反対。

●「年金交付国債」・・・・・・・<国民年金法改正案>基礎年金国庫負担割合の2分の1を維持するために年金交付国債を発行する。ところが消費増税の財源の見通しが立たない事を批判し赤字国債を発行すべきと主張している。

●「消費増税関連法案」・・・
民主党案の2014年4月に8パーセント、2015年に10パーセント引き上げする。この案に対し民主党のマニフェスト・公約違反である、とし法案処理より衆院解散総選挙が先だと主張している。

◎賛成の法案もある。即ち、「税制改正法案」(2012年)である。理由は、同法案が失効すると<国民生活に混乱>が生ずる、と懸念したからである。来年度「予算案」と共に昨日、衆院通過した。

※付記:駆け引きだけが目立ち、本格的な実質審議が見られない。政局の前に政策が霞んでいる。情けないの一語に尽きる。




最近の政界の動向に辟易している!

2012年03月08日 | Weblog

情けない。今まで積み重ねてきた政策実績が生かされていない。喫緊の国民生活に直結する最重要政策が、とどこっていて機能していない。その事に業を煮やした橋本大阪市長率いる維新の会が国政にまで殴り込みを掛けてきた。強みは大阪府・市民が絶大に橋本氏を支持しているからだ。民意(府と市)が民主主義の根幹をなす真意だと橋本氏は叫ぶ。それはそうだろう。選挙の結果が民意の尺度になるからだ。戦々恐々として右往左往しているのが既成政党の御仁様達だろう。当たらず障らずの低姿勢が目につく。腫れ物に触る様な態様は観ていて情けない。一点突破する気迫が感じられない。淀んだ水に泡がたっていて、どうにもならない態様ぶりである。その逆が橋本氏だろう。皮相的な見方だが、どうもそう映って仕方がない。この大閉塞感を一点突破してくれそうな気がするのが橋本氏の登場である。既成政党よ!どうしますか?!

反戦平和の徒であるが哀愁の軍歌には惹かれる!

2012年03月07日 | Weblog

日本人の心情を擽るあの哀愁に満ちた軍歌には惹かれる。数多ある軍歌は士気高揚の為に、かつての軍部が厳選に厳選を重ね選曲した戦意高揚のものであった。― 国民に意図的に流布した ― それにしても日本人の心情を擽るあの<哀愁の満ちた軍歌>は心理作戦としては大成功である。歌詞の内容には絶対、反対である。平和を愛する者の一人として参戦して散った同胞に申し訳ないと思うからである。今は冷静な眼で歌詞を点検する事が出来るが当時としては、そうはいかなかったであろう。非国民のレッテルを貼られたからである。一億総国民が神の国・日本を盲目的に信じさせられていたからである。反戦平和の徒として心情を吐露したが、どういう軍歌が私の心情を擽るかと言うと、以下の軍歌である。・・・「皇国の母」、「九段の母」、「露営の歌」、「若鷲の歌」、「戦友」、「暁に祈る」、「同期の桜」、「ラバウル小唄」、「父よあなたは強かった」、「異国の丘」(ほとんど短調の曲)等々・・・ 士気を鼓舞する軍歌は、「軍艦行進曲」、「太平洋行進曲」、「愛国行進曲」、「日の丸行進曲」等々である。異論があると思うが貴殿はどう思うでしょうか。・・・

既成政党VS大阪維新の会・石原新党に物申す!

2012年03月06日 | Weblog

旧態依然の既成政党の対応?! 特に自民党と民主党のだらしなさが眼につく。名目は最優先事項(・・・社会保障と税の一体改革・・・社会保障、雇用、短・中・長期の経済成長促進etc)を掲げた政策を実行する、と唱えているが、既に綻ころびた懸案、案件では国民からそっぽを向かれる。そういう閉塞感に、ほんの少しの光明を見出したのが、ほんの少しの期待を抱かせたのが、大阪維新の会であり、石原新党である。維新の会は唐突とも取れる坂本竜馬の<船中八策>なるものを模した政策?を掲げ殴り込みを駆・賭けてきた。ある面、藁をも掴む思いで、国民はそれに飛びついた。それが真相だろう。唐突な<奇策>に飛びついたのである。先人が熟慮断行した大胆改革或いは部分修正の積み重ね等・集積を、いとも簡単に反故にする。・・・それでいいのか、ちょっと立ち止まって考えてみる必要がある。心の余裕を私達、国民は持ちたいものである。ちょっと待った、と足止めする位の余裕ある精神、叡智を持ちたい。沈思黙考も今こそ必要である。日本の国を変える、国の形を変える、そういう改革派を自認・公認する彼等の一途な情熱には敬服する。でも私達・国民も冷静にして沈着、事の真相を確かに観る眼を持つべきではないのか、昨今の政治の動きにそう考えざるを得ない。閉塞感漂う国政に殴り込みを掛けるのは昨今の国民感情でもある。だからと言って ???・・・以後の文言が続かない。絶句せざるを得ない。そういう心境になる。


野田首相も谷垣総裁も四面楚歌!

2012年03月05日 | Weblog

民主、自民の大連立が模索されている。事の成り行きは野田首相と自民党の谷垣総裁とが、ひそかに会談していたことが分かったからである。消費税増税関連法案成立と引き換えに衆院解散を約束する「話し合い解散」について意見交換した模様である。野田首相も谷垣総裁も打ち消しに躍起だが、この動きが表面化したことにより、政局はますます混迷の泥沼に嵌った。どちらが呼びかけたのか分からないが、双方は「消費税増税論」で一致している。即ち「財政再建論者」である。そこを見越しての働きかけである。消費税問題を棚上げにして次の衆院選の争点になることだけは避けたい思いは共通している。仮に<消費税増税法案>が衆院を通過し、参院で自民党の多数で否決する事になれば、政権奪還はおろか、たとえ奪回しても二度と消費税に着手する事は遠のく。確実に言えることは、野田首相と谷垣総裁の主導による話し合い解散は衆院選後の大連立が前提となる。消費税増税法案を民主、自民両党の合意で成立すれば民主党の消費税引き上げの平成26年4月に8%、27年10月に10%を拒むことは出来なくなる。例えば次の衆院選で第1党となった党から首相を、第2党となった党から副総理を出して連立政権を組む構想が模索される。民主党の「社会保障と税の一体改革」を実現していく事になる。そうなったら野党はどう推移していくか、混迷の度を増す事になり水面下での駆け引きが益々、熾烈になる。

フォレスタのコーラスに聴き惚れる!

2012年03月04日 | Weblog

国立音大の若きコーラスグループ「フォレスタ」の美声に聴き惚れる。つい最近、知った。今は夢中に聴きまくっている。男性コーラスと女性コーラスが各々の特長を生かして曲を選定し、私達に届けてくれる。さすが、訓練を積んだ専門集団だけあってその美声は何時までも耳元に残る。私が聴いている曲目は男性コーラスが「朝だ元気で」、「早春賦」、「冬の星座」、「ともしび」etc・・・女性コーラスが「埴生の宿」、「故郷の廃家」、「旅愁」、「ローレライ」等々で、その他にもフォレスタの数多ある曲目は聴き入っている。心が洗われる様に心の奥深く染み入む情緒があって日本人の心情にピッタリである。透き通る様な美しいハーモニーが醸し出す和音は天下一品である。日本の名曲や外国の馴染みの曲目はフォレスタの美声で聴くしかないと思っている。インターネットのyou-tube(動画入り)で聴いているが劇場で聴いているような錯覚に襲われる。迫力ある臨場感には圧倒される。今後もフォレスタの美しいハーモニーを堪能するつもりでいる。

わが母の人生行路!(その3)

2012年03月03日 | Weblog

母は炊事の仕事から化粧品売りの仕事に転じた。那覇の平和通のど真ん中に3㎡くらいの場所を執り(借りて)、ウテナ化粧品(当時は良く売れていた)を売っていた。売れる日と売れない日があり起伏に満ちた商売だった。その時は、私は高校生であった。無類の映画好きで来る日も来る日も映画館浸りだった。どうにか母にせびって映画賃を工面した。売れない日があるにもかかわらず母は笑顔で私の要求に応えた。今から思えば、母の心情に痛く胸が打たれる。親不孝者だったのである。親の苦労知らずの私だったのである。今は3人の子と5人の孫に恵まれている おじー(祖父)であるが、母の苦労と当時の心情を察すると胸が痛くなる。施設に預けている母の見舞いに足蹴く通うが、それでも過去の劣悪な親不幸は償えない、そう思っている。でも、慚愧の念に駆られてはいるが、母が分かろうが分かるまいが、せめてもの、せっせと通うつもりでいる(現在、「認知症」で施設の厄介になっていて私が誰であるか分からないのだが・・・)。親が健在で意識が健全である内に親孝行はしておくべきである。儒教思想(紆余曲折があり幾多の変遷があり宗派が多義にわたるが詳細は割愛する。平たく言って、目上を重んじ、親を大事に尊敬する思想)を持ち出すつもりはないが、古びた古色な思想と揶揄されても、時代を超えて、“親を大事にする事は不変である”、と私は固く信じている。今年94歳になる母であり日増しに衰えていくのが手に取るように分かる。母の人生は?・・・と考えると胸が痛くなる。ありふれた文言だが“何時までも長生きして天寿を全うしてください”、と、今では、そう思い念じている。

わが“考え方”・思想・の遍歴!?

2012年03月02日 | Weblog

若かりし頃は、がむしゃらに哲学や思想史を読み漁った。“これ不可解”と明治の藤村 操の心境よろしく、華厳の滝が脳裏に浮かんだ。でも勇気が有るはずがない。単なるゼスチャでしかない事は、当人がとっくに分かっていた。若さの特権で、そう考える風潮が当時にはあったからだ。今にして思えば、時間の無駄ではなかった。最近、時間的に余裕が出てきたので、再読を試みた。やはり今でも「不可解」の一語に尽きる。古今東西の思想家が、先哲や先学が心血を注いで極めようとした人間根源の、人生の、大命題が未だにスッキリと提示できていない。・・・私も僭越ながら、マルクス(資本論<表面をかじる程度だが>・・・)に始まりヘーゲル(ドイツ観念論哲学)、ニーチェ(超人の思想<キリスト教弾圧の急先鋒で奴隷道徳云々・・・>)、ハイデガー(キルケゴールの影響を受け人間存在の現存在を世界内存在として捉えその本質構造を時間制として実在論的に分析・・・後にサルトルに傾斜・・・・)、サルトル(実存主義を唱道。ボーボワールとの繋がりがあった・・・)フーコー、記号論等々を渉猟したが、未だに、というより当然、理解に達していない。凡人の当然の成り行きである。孔子の「論語」が近年、脚光を浴びているが、この世知辛い混迷の世相にどうにかして「解」を得ようとする現代人の足掻きである様な気がする。イスラーマ教も仏教も読み漁ったが、当然の事ながら表面をかじることにしか出来ない。でも、大要は掴めたはずである。・・・そういう私なりの「考え方」(思想?!)の遍歴を得て最近、考え、思うことは、凡人は凡人なりに、<現在の今>、<この瞬間>を精いっぱい、”生きる”という事に尽きるのではないのか、に辿りついた。過去を思い煩っても、良かろうが悪かろうが過ぎ去った事は取り戻せないし仕方がない事である。しからば未来はどうか?・・・未来をバラ色に描いても、明日の幸せの為に今、頑張っているのだ、と悪戦苦闘しても、「未来」が「明日」が約束され保障されている訳ではない。【今・この瞬間・現在】こそが、最大の”幸福・幸せ”と思うことが<私の結論>である。貴殿はどう思うのでしょうか?!

※付記:最近、碩学や研究途上にある若手の学徒が、“今、現在の命題”や、“未解決の問題”等々に 解 や ヒント を与えようとの試みがなされている。即ち、現在(おそらく半永久に<解>は出ないと思うが・・・)未解決の、解を与えられていない問題に、あの哲学者なら、どう解を与えるだろうか、と個々の問題毎に哲学者を登用させて仮想「解」を試みている。一読に値すると私は思っている。