世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

わが母の人生行路!(その3)

2012年03月03日 | Weblog

母は炊事の仕事から化粧品売りの仕事に転じた。那覇の平和通のど真ん中に3㎡くらいの場所を執り(借りて)、ウテナ化粧品(当時は良く売れていた)を売っていた。売れる日と売れない日があり起伏に満ちた商売だった。その時は、私は高校生であった。無類の映画好きで来る日も来る日も映画館浸りだった。どうにか母にせびって映画賃を工面した。売れない日があるにもかかわらず母は笑顔で私の要求に応えた。今から思えば、母の心情に痛く胸が打たれる。親不孝者だったのである。親の苦労知らずの私だったのである。今は3人の子と5人の孫に恵まれている おじー(祖父)であるが、母の苦労と当時の心情を察すると胸が痛くなる。施設に預けている母の見舞いに足蹴く通うが、それでも過去の劣悪な親不幸は償えない、そう思っている。でも、慚愧の念に駆られてはいるが、母が分かろうが分かるまいが、せめてもの、せっせと通うつもりでいる(現在、「認知症」で施設の厄介になっていて私が誰であるか分からないのだが・・・)。親が健在で意識が健全である内に親孝行はしておくべきである。儒教思想(紆余曲折があり幾多の変遷があり宗派が多義にわたるが詳細は割愛する。平たく言って、目上を重んじ、親を大事に尊敬する思想)を持ち出すつもりはないが、古びた古色な思想と揶揄されても、時代を超えて、“親を大事にする事は不変である”、と私は固く信じている。今年94歳になる母であり日増しに衰えていくのが手に取るように分かる。母の人生は?・・・と考えると胸が痛くなる。ありふれた文言だが“何時までも長生きして天寿を全うしてください”、と、今では、そう思い念じている。

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