世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

「琉球王国のグスク及び遺産群」パート7(終章)

2012年01月19日 | Weblog
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八、「玉陵」(たまうどぅん)・・・沖縄最大の破風墓(はーふーばか)で尚家歴代の王族を祀ってある墓である。ここは守礼門から西へ下る、かつての綾門大道(あやじょううふみち)の左側、現首里高等学校の南隣にある。第二尚氏王統三代の尚真王が父の尚円王の遺骨を葬るために1,501年に見上森(みあげむい)から此処へ移したといわれている。高さ2メートルの石垣に囲まれた広さ2,400平方メートルの墓域である。戦前は、うっそうと茂った小森になっていた。第一門と第二門の間に琉球石灰岩の切石で組み立てられた台の上に閃緑岩の碑が建っている。これには「尚真王以下九人の子孫以外は、この墓に葬ってはいけない」と書かれている。又「玉陵石彫獅子」も在り沖縄の代表的な破風墓になっている。沖縄の埋葬の歴史は古く風葬から崖葬、火葬へと変遷してきた。「玉陵」は掘込墓で、その上に屋根を付けた破風墓の代表的な墓になっている。かつて柳 宗悦氏は「琉球最大の墓であるばかりか、その幽玄さに於いても世界で稀でいる。」と賛美し感嘆している。・・・

九、「「園比屋武御嶽石門」(すぬふぁんうたきいしもん)・・・守礼門から円覚寺へ向かって20メートル下った左手に在る。石門は中国風で琉球王家の拝所である。琉球王が外遊する時、旅の無事を祈って祈願し旅立った処である。扉以外は全て石造りの木造建築である。尚真王時代の1519年の建造で当時は中国との交易が盛んであった為、その影響を多く受け日本と中国の優れた技術を取り入れた琉球の代表的な石門の一つになっている。(八重山竹富島の石工“西塘”の代表作である)。アーチ門は2個以上で組み立てられるのが普通であるが1個で造られているのも当時としては稀代の作であった。恒例として“東廻り”(あがりうまーい)の時は必ず、ここ「「園比屋武御嶽石門」に祈願して旅の無事を祈って旅立ったのである。・・・
付記:“東廻り”(あがりうまーい)とは国王はじめ<聞得大君>(きこえおおぎみ――国王の姉妹――)が神聖な拝所を廻って旅の安全を祈願する為の儀式である。