世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

「琉球王国のグスク及び関連遺産群」パート3

2012年01月15日 | Weblog
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琉球王国遺産群9件の紹介・・・
一、「首里城跡」・・・浦添が<うらおそい>といって“島々の津々浦々まで”という意味であるのに対し首里は“島々をおさめる”という意味がある。王国時代の首都だったのが首里である。当時は良港として那覇と泊との2港があって日本本土や朝鮮半島、中国、東南アジアのタイ、ベトナム、インドネシア、マレーシア等を一大貿易圏として雄飛し発展していた。その事は現存する“万国津梁の鐘”(ばんこくしんりょうのかね)に銘記されている<博物館に展示在>。その首都、首里に「首里城」は威風堂々と構え鎮座していた。歴代琉球王の居城であった。築城は不明。三山時代は“中山”の城だった。第一尚氏王統の始祖(一代が尚巴志の父)二代尚巴志王の時代は内郭の石垣だけだったのを第二尚氏王統三代の尚真王の代から四代の尚清王の時代にかけて歓会門や久慶門のアーチ型石門の外郭を築き更に、その上に木製の櫓を築いた。グスク内の中央部には“首里城正殿”が鎮座し前方には御庭(うなー)の広場があって多彩な宮廷行事が執り行われた。正殿に向かって左側には北殿があり主に中国からの冊封使を歓待した。南側には南殿があり日本からの使者を歓待した。正殿は一名“唐破風”(からふぁーふー)といって豪華絢爛、色とりどりの彫刻、金銀、黄金、赤、黄色、緑、青などで彩られた。国王が政務を司り国事の重要行事が執行された処であった。戦争で消失するまでに4回も灰燼に帰したのである。中国の影響を大いに受け伝説の架空動物―龍―を象った彫刻が多い。国王の玉座は“御差床”(うさすか)といって威厳よく臣下に命令を下した国王専用の椅子であった。以下・・・
二、「中城城跡」
三、「勝連城跡」
四、「座喜味城跡」
五、「今帰仁城跡」
六、「斎場御嶽」
七、「識名園」
八、「玉陵」
九、「園比屋武御嶽石門」の順序で紹介したい。