世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

「琉球王国のグスク及び関連遺産群」パート5

2012年01月17日 | Weblog
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四、「座喜味城跡」・・・読谷村座喜味城原の遠望のよい高台にある。県都那覇から約30km北上し国道58号線に沿って残波岬を目指して左折する途中に在る。西暦1,420年代読谷山按司、護佐丸が築いた城で約6,800平方メートルもある。城壁は中城城壁と同じ造りで石と石の間を隙間なく埋める<亀甲乱れ積み>、一名“あいかた積み”と<布積み>、一名“とうふ積み”から成っている。城門はアーチ型をした<アーチ門>である。30人~50人位が住んでいたと推察されている。良港の長浜港を有し中国はじめ東南アジアとの貿易を盛んにし一大富を築いたと言われている。尚巴志が北山を討伐した後に護佐丸は山田城から、この座喜味城へ移って来たと言われている。戦前は旧日本軍が高射砲陣地として戦後はアメリカ軍がレーダー基地として使用していた。現在は城跡広場でオペラやコンサートが開かれ“子ども芸術劇場”等が上演されている。平和の砦としての機能を今後も継続していきたいものである。昭和47年5月15日に国の史跡に指定されている。・・・

五、「今帰仁城跡」・・・北部の今帰仁村字今泊のハンタ原に在る。築城年代は不明だが西暦1,200年代末頃から1,300年代~1,400年代に完成したと推察されている。城壁は八つの城郭から成る多郭式の平山城である。城壁は全部、自然・天然のままの古生期石灰岩を積み上げて造られている。高さは5m~10mもあり城郭はほぼ完全に残っている。一部破損したところも修復され古い城の面影を今に伝えている。他府県の城郭・城壁の角は角ばっているが沖縄・琉球の城壁は丸みを帯び恰も平和の象徴でもあるかの様に屹立している。台風銀座、沖縄・琉球ならではの先人の知恵の結晶、象徴の具現であろう。昭和47年5月15日に国の史跡に指定されている。・・・