世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

批評家と自認する方の「何でも反対」の批判に不快感!

2007年09月26日 | Weblog

そもそも民意の総体として選出された選良 議員が事案・案件・

懸案等に対して個人の見解を述べたり、特に党声明や党として見

解を述べたりすると、識者、アナリスト、評論家、コメンテーターの

類の方々は、生真面目に、それに対して応答したりコメントしたり

批判したりする。すると何だか真っ当な、的をえた内容・言辞に聴こ

える。視聴者は まとも に受け入れたりする。特に ”何でも反対す

る云々・・・” という感覚的、表面的な常套語の連発は真意を歪め

る。いやしくも選良である。知的集団(党)である。それに対して『何

でも反対』の前口上の言辞を個人や党に対して定着させる功績?

は如何なものだろうか。 ”何でも反対云々” の前置きを切り捨て

『中味・内容そのもの』を指摘・指弾して視聴者を納得させる力量を

持つことである。批判・コメントの内容が乏しいから援用語としての

「何でも反対云々」の強化語を補足しているに過ぎない。そう逆批

判されても過言ではない。過去の ”何でも反対云々” の連発を精

査すると、日本共産党に対してのものが圧倒的に多い。その次が

民主党への批判?の前置語に使用している。結論として言いたい

事は ”何でも反対云々” の常套語を前置語とせずにも「内容その

もの」でコメント、批判してもらいたい。中道を自認する私でさえ、そ

う感じている。例示すると「日本共産党は何でも反対している

が・・・」と続く。「野党第一党の民主党は<何でも反対>では政権

担当能力が疑われる、皆無である・・・云々」と真顔で述べまくる。

中道を自認する私でさえ不愉快である。そんな言辞を労・弄せずし

て『内容・中味そのもの』で批判・批評すべきである。 ”何でも反対”

の強化語、補強語の援用を避けるべきである。<内容そのもの>

で指摘、指弾すべきである。・・・

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