世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

子供の観た史跡「ヒジ川橋及び取付道路」

2005年08月31日 | Weblog
ヒジ川橋は首里城から崎山御殿(さきやまうどぅん)を通り識名園(しきなえん)に行く途中に在る小さな石橋です。橋は金城川に架けられていて金城ダムのすぐ上にあり農業試験場の敷地内にあります。アーチ型の石橋で橋の形式としては円鑑池(えんかんち)に架かる天女橋(てんにょばし)に似た造り方がされています。しかし、このヒジ川橋は勾欄(こうらん)に特徴があります。高さ50センチメートル、厚さ20センチメートル、幅100センチメートル位の長方形の石灰岩の切石を隙間なく5、6個並べて置いてあり勾欄底部の石と石は凹凸にはめ込んでありますが彫刻も飾りもない簡素な勾欄です。取付道路は環状二号線からヒジ川につながる少し下り坂になった50メートル位の綺麗な石畳道です。でもヒジ川橋の識名側の取付道路は石畳の跡形もなく、ただの土の道になっていて急な坂の上にあるお墓の団地に向かって延びていました。ヒジ川橋が、いつ頃出来たか資料で調べてみても、はっきりしませんが識名園が造られたのが尚穆王(しょうぼくおう)代の18世紀中頃なので、その頃ヒジ川橋も造られたと思われ、石橋建造の歴史を知る大切な手掛かりの一つになっています。ここは昭和34年2月6日に県指定文化財となりました。この様な素晴らしい文化財は開発工事の為に壊されない様に大切にしてもらいたいと思います。(6年A子)

首里城から崎山御殿(さきやまうどぅん)、識名園を繋ぐ、このヒジ川橋を、どの様な人々が通ったのでしょうか。大きな木々に囲まれて静かな環境の中にある橋を見ていると遠い昔の琉球王国の時代が偲ばれます。(母 Aさん)

<学習の手引き>・・・舵背橋(だはいきょう)とか拱橋(こうきょう)とか「あいたか積み」とか、ずいぶん難しい言葉が出てきます。沖縄関係の資料から調べてみましょう。史跡めぐりの時に、きっと役立つと思います。