世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

史跡散策の再度の試み「龍譚と龍淵橋」推薦!

2005年08月14日 | Weblog
「龍譚と龍淵橋」<(りゅうたん)と(りゅうえんきょう)>と呼称する。「龍譚」は現在の県立博物館(近々<那覇新都心>に移転する)の前に在り1,427年に尚巴志王が築造させた人工の池です。三山を統一した尚巴志王は首里を王都に決め首里城を大きくし、その周辺を王都に相応しい様に整備したのです。その事業の一端として「龍譚」を堀り周辺には、いろいろな樹木を植栽し整備したのである。(その人工林を”ハンタン山”と命名した)「龍譚」では中国から来琉する冊封使(さっぽうし=さっぷうし)と言って中国皇帝の使者が時の琉球王(尚王)を琉球国の国王として任命する為の使者の歓待の為に遊宴を催した。其処では「爬竜船競争」が行われた。その為、此処は「爬竜船」発祥の地とされた。豊見城市も発祥の地とされている処が在るが定かではない。昭和30年11月29日に県文化財史跡の指定を受けている。「龍淵橋」は円鑑池(えんかんち=「龍淵橋」の架かっている池)から「龍譚」へ架けられた橋でアーチ型をしている。その造り方が「天女橋」(てんにょばし)や「ヒジ川橋」の様な半円ではなく城門と同じような造りのアーチ型になっているのが特徴です。他の橋は、殆どが半円のアーチ型なのに「龍淵橋」が、どうして、そうなっているのか、不思議だなあ、と思いました。資料で調べてみると「龍淵橋」は中城御殿(なかぐすくうどぅん)から首里城への道と、「ハンタン山」へ行く遊歩道の途中にある「龍譚」に架けられた石橋で羽目勾欄(はめこうらん)が付けられていて勾欄の羽目板には表にも裏にも獅子や鳥、その他の動物や花などが浮き彫りにされた、素晴らしい橋だったことが窺えます。でも今は勾欄はなく、その勾欄を支えていた4本の持送りが両側に残っているだけなので、そんなに大切な橋だとは思いませんでした。昭和34年1月29日に県文化財指定を受けています。(小学校6年A君)・・・

子供と共に観たり、資料で調べたりする内に「龍譚と龍淵橋」を通して、琉球の歴史を知り文化財を身近に感じる事が出来ました。それが何よりも大きな収穫でした。(母 B子)

「学習の手引き」・・・龍淵橋のアーチを、よく観てください。他のアーチ門と違った特徴をしています。調べてみましょう。