八咫烏の声

神社の行事、社務などの日記です。

九州神社巡り⑩

2016年01月30日 15時44分21秒 | 九州神社巡り
こんにちはY権禰宜です!!

前回大分の春日神社を紹介したので今回は大分縣護國神社の紹介します!

護國神社は大分県初代県令森下景端は慰霊顕彰のために明治八年十月十八日この松栄山に「招魂社」を創建しました。
明治八年に祀られたのは明治七年佐賀の乱で戦死した杵築の大山昌など十四柱
同年台湾出兵で戦病死した竹田の井上某など三柱
過ぎし明治維新の動乱のさい蛤御門の戦いで戦死した南大分荏隈の若杉直綱など五柱の英霊です。
また明治十年の西南の役とその前年の熊本神風連の乱で殉職した人たち二百九十七柱が祀られました。
それ以後も日清、日露の役、シベリヤ出兵による戦死者、欧州大戦、満州事変、日中戦争、大東亜戦争などで戦没された方すべてで四万四千余柱が祀られています。
創建当時のご社殿の位置は展望台の地点で現在の社殿にご遷座するまではずっとここに位置しました。
明治十八年には拝殿などに増改築が加えられその後昭和八年六月ご社殿の改築
参道の改修、神苑の拡張整備が行われました。 昭和十四年四月「大分縣護國神社」と改称して
その後終戦の時までは、代々の県知事が神社の奉賛会長をつとめ、県民の奉賛を得てまいりました。
昭和十八年十月二十八日に現在の社殿の大造営が完成してご遷座祭が行なわれ
二十二年の社号を「豊霊宮」と改称しましたが、二十七年九月に再び「大分縣護國神社」と元の社号にかえりました。
昭和四十一年十月二十二日に大分国体にご臨席された昭和天皇・皇太后がご親拝遊ばされ
また五十二年九月十六日には、天皇・皇后両陛下が皇太子御時にご参拝になりました。



御朱印はこちらです!

続きは次回に書きます!

Y権禰宜