緒方さんは「筋金入りの国際派」明石康・元国連事務次長
2019年10月30日 (水)配信朝日新聞
緒方貞子さんの死去を受けて、元国連事務次長の明石康さん(88)は「国際派の日本人の第一人者だった。世界の注目の中で、グローバルな役割を堂々と立派におやりになった」と悼んだ。
共に国連で働いた同志。1991年から国連難民高等弁務官を務めた緒方さんについて「学者だったにもかかわらず、現場でも強いリーダーシップを発揮された」と振り返る。
明石さんは90年代、国連事務総長特別代表としてカンボジアや旧ユーゴスラビアで平和維持活動(PKO)を率いた。緒方さんらと協力しながらの任務で、「非常に頼りになる存在だった」と言う。
当時、スイス・ジュネーブの緒方さんの自宅を訪ねて食事をしたり、問題について解決法を話し合ったりしたという。「戦前の日本が軍事色を強めていく過程を研究していた。日本が再びそうなってはいけないという思いは強かったと思う。筋金入りの国際派の日本人だった」と話す。(神宮桃子)
2019年10月30日 (水)配信朝日新聞
緒方貞子さんの死去を受けて、元国連事務次長の明石康さん(88)は「国際派の日本人の第一人者だった。世界の注目の中で、グローバルな役割を堂々と立派におやりになった」と悼んだ。
共に国連で働いた同志。1991年から国連難民高等弁務官を務めた緒方さんについて「学者だったにもかかわらず、現場でも強いリーダーシップを発揮された」と振り返る。
明石さんは90年代、国連事務総長特別代表としてカンボジアや旧ユーゴスラビアで平和維持活動(PKO)を率いた。緒方さんらと協力しながらの任務で、「非常に頼りになる存在だった」と言う。
当時、スイス・ジュネーブの緒方さんの自宅を訪ねて食事をしたり、問題について解決法を話し合ったりしたという。「戦前の日本が軍事色を強めていく過程を研究していた。日本が再びそうなってはいけないという思いは強かったと思う。筋金入りの国際派の日本人だった」と話す。(神宮桃子)
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