2023年、ただ、時の流れで、今日の日が訪れ、一応我が家でも、おせちとおもちで、「今年もよろしく」と、家族にご挨拶。
おめでとうと言えない、時の事象が、私をかたくなに、正月を祝えない人にしたようです。
「年を取ることをおめでとう」と言えない、と強く感じだしたのは、20代の頃からでした。大人になりたくなかった、という普通の感情かと。
また、子どもの頃から、誕生日はお祝いの「事の日」というとらえ方は、我が家にはありませんでした。ので、自分の誕生日を祝うことも、子たちの誕生日を祝うことも、無関心で、出来ませんでした。
でもそれは、ただ私の捉え方の違いと気づきました。
年が一つ増える日という風に、誕生日を捉えていて、嬉しくなかった。
そうではなく、この世に生まれたことを、ただ、ありがとうと思う、その心が、主で、結果、時の流れで年を重ねて老になっていく、その現実をまでを、思うことではなかったのです。
基本、根が暗い、根暗者の感じ方は、埋没させて、ただ、無事生まれ、無事、今日まで生き続けられたことを、祝えばいいのです。
正月は、数えで年を言います。この数え方が、子ども時代の日本でした。それが、誕生日を祝うように、世の中が変わって来て、満で年を数えるようになりました。
正月が来て、私は数えの81歳、でも、満は79歳のまま、2023年の誕生日、7月13日が来ると、私は満で80歳になります。
その認識が強いので、正月も、誕生日も、祝えないのです。なぜ私は素直におめでとうと言う気持ちがないのか、やっと、確定できました。
でも、この世に今生まれて生きていることは、有難い事、おめでとうと言っていいのです。
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