フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月22日(木) 雨のち曇り

2018-02-24 23:41:35 | Weblog

8時、起床。

久しぶりの雨。鉄壁の冬型の気圧配置が崩れ、だんだん春が近づいている。

トースト、ハム&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

昼食は「マーボ屋」に食べに行く。

担担麺を注文。

四川風麻婆麺ほど辛くはない。これなら半ライスはいらない。

夕食はオムレツ、サラダ、味噌汁、ご飯。

夜、娘がツイッターで「即興短歌」を始めた。単語を募って、それを読み込んだ歌を作るという趣向。私も参加する。次の7つの単語を投稿。

 インフルエンザ
 大学入試
 春休み
 野良猫
 シフォンケーキ
 名画座
 朝の雪

出来上がった短歌は以下のようなもの。

 うつしたらインフルエンザなおるとか漫画のようなきっかけにして

 いつもより父はゆっくり歩きゆく雪積もる日の大学入試

 春休み小瓶のふたをあけて待つ花の香りよ初恋となれ  

 スピッツに俺もお前もなれないが空を飛ぼうぜなあ野良猫よ  

 シフォンケーキあのこの胸のふわふわとおんなじだって山田マジかよ 

 うちまでは名画座の横右折して薬局の奥ですいや逆です  

 朝の雪昨夜は夢のようだった消えてなくなる人は無惨だ

即興短歌を終えた娘からラインにメッセージが届く。「なんだか久々にお父さんと遊んだような気分。うれしい」

2時、就寝。 


2月21日(水) 曇り

2018-02-24 11:15:47 | Weblog

7時、起床。

サラダと紅茶の朝食。軽め(トーストなし)なのは昼食を「パン日和あをや」で食べるときによくあるパターン。

12時に矢向駅で卒業生のミサキさん(論系ゼミ6期生)と待ち合わせ、「パン日和あをや」へ。彼女はカメラ女子で、一眼レフを首から提げている。

彼女は「あをや」は二回目だが、二階席は初めて。

『ひよっこ』後半の舞台「あかね荘」みたいでしょ。

さて、何を注文しましょうか。

食事は窓際の四角い卓袱台で。こちらの方が明るいので料理の写真を写すのによいからである。二階は客が一組入ると、貸切になるり、どこに座ってもよい(移動も自由)。

ピタパン。中が空洞なので、半分に切って、ポケットに何かを詰めて食べることが多いようだが、今回はシンプルにスープと一緒に食べるために注文した。

さっそく撮っている。

本日のスープはクラムチャウダー。ニューイングランド風の牛乳ベースのホワイトスープ(ニューヨーク風はトマトスープ)。アサリが入っている。細切れのベーコンの塩味が淡白なピタパンと相性がいい。

国産牛肉のハンバーガー(開店6周年記念メニュー)。

一人一個だとこれだけお腹いっぱいになってしまうので、はんぶんこして食べる。

 こういうサンドウィッチやハンバーガーの美味しそうな断面写真をインスタグラム用語で「萌え断」というのだと彼女から教えてもらう。

サーモン、アボカド、クリームシーズのサンドウィッチ。これも「萌え断」だろう。

サンドウィッチを食べながら飲むのにアップルタイザーを注文。

彼女はカフェオレを注文。

真上から撮っている。私は45度くらいで撮ることが多い。

食後の運動ならぬ、食後のポートレイト。

丸い卓袱台に頬杖を突いて。

曇りガラスのそばに立って。

文机のところで地球儀を手にして。

長椅子でリラックスして。

「パン日和あをや」には2時間ほど滞在した。

さて、次はどこに行きましょうと相談した結果、「カフェ・スリック」へ。 矢向→(川崎)→蒲田は乗り換えの時間を含めても20分ほど。

シフォンケーキは私はWチョコレート、彼女は私のおススメの瀬戸内冬レモン。さて、紅茶は・・・

私は「美味しいアッサム」、彼女は「美味しいダージリン」と決まりかけたところで、マダムから「すごく美味しいダージリンもありますよと声がかかる。「上」(美味しいダージリン)の上にさらに「特上」(「すごく美味しいダージリン)というのがあるらしい。さすがに紅茶の専門店である。値段を見ると、「美味しいダージリン」が900円で、「すごく美味しいダージリン」は1100円である。紅茶で1000円を超えるというのはかなりの贅沢であろう。彼女は少し考えて「美味しいダージリンにしておきます」と答えたが、200円の差というのは人生全体の起伏を考えればあってないようなものであるから、「すごく美味しいダージリン」にしたらと私が助言をして、そうすることになった。

「すごく美味しいダージリン」がカップに注がれる。

恐る恐る(笑)、口にする。

こ、これは!

すごく美味しい!

私の注文したWチョコレート。

彼女の注文した瀬戸内冬レモン。

「シフォンケーキっていつくでも食べられちゃいますね」と彼女が言った。軽いからね。

「ほう、ならもう一つ頼んだらいかかですか」と私は言った。軽い気持ちで。

「いいですか?」と彼女が言った。本気らしい。

彼女が追加オーダーしたのは紅茶のシフォンケーキ。唯一、カスタードクリームが使われているタイプだ。

 

「すごく美味しいです! 」

「私の作るシフォンケーキは他のどこよりも美味しいのよ」とマダム。

感動と自信のツーショット。

さて、そろそろ失礼しましょうか。

マダムは店の外まで出て、われわれを見送ってくれた。 「カフェ・スリック」にも2時間ほど滞在した。

ミサキさんを蒲田駅の改札で見送る。今日は食べることに夢中で、彼女の私生活の話はあまり聞かなかったが、同期の6期生には最近、婚約や入籍の話題が相次いでおり、「先生、卒業生の結婚式への出席は各代3人までということでしたよね」と彼女から確認された。ほう、そういう質問が出るということは・・・、話の続きは次回のカフェのときにいたしましょう。まだまだ寒い日は続きます。寒がり(冷え症?)の彼女に電気ブランケットの購入を勧めておいた。

夕食はラムチョップ、サラダ、卵スープ、ご飯。

ラムチョップの付け合せはブロッコリーとキノコのソテー。

女子スケート・パシュートが金メダルを獲った。

見ごたえのあるレースだった。

見事だった。

2時、就寝。 


2月20日(火) 晴れ

2018-02-22 20:30:36 | Weblog

6時15分、起床。パターソンみたいだ。

ロールパン、ウィンナー&エッグ、レタス、牛乳、紅茶の朝食。これはパターソンとは違う(彼はシリアル)。

コンビニにパンを買いに行ったときついでに購入した雑誌。

私はコーヒーも紅茶も飲むが、朝は紅茶と決まっている。格別の理由があるわけではないが、あえていえば透明感の有無かもしれない。ランチの後はコーヒーが多く、スイーツと一緒のときは紅茶が多い。夜更けに単独で飲むのはコーヒーと決まっている。

昼食は肉まん・あんまん。買い置きして冷凍保存している中村屋の中華まんをせいろで蒸して食べる。ワンパック4個入りで、私があんまん2個と肉まん1個、妻は肉まん1個でよいという。食べる順番は、あんまん、肉まん、あんまん。甘→辛→甘である。もし、あんまん1個と肉まん2個であれば、肉まん、あんまん、肉まんとなる。要は同じものを続けて食べない(飽きるから)ということである。ただし、この順番は必ずしも万人共通ではないであろう。一般化していえば、AAB、ABA、BAAの3パターンがあるわけで、私はABAだが、AABというのは好きな方を(あるいは嫌いな方)を最後に残しておく人であり、BAAは好きな方(あるいは嫌いな方)を最初に食べる人である。

食後の散歩に出る。

「銀だこ」に併設されている「銀だこハイボール酒場」なるものは、何か飲み物を注文しなくとも、タコ焼きのイートインコーナーとして利用できるのだろうか(そうだと便利なのだが)。

今日は読みたい本があるので「ルノアール」に入る。

昨日購入した黒井千次編『「内向の世代」初期作品アンソロジー』(講談社文芸文庫)。

「内向の世代」とは、1971年5月に、評論家の小田切秀雄が東京新聞に「現代文学の争点」と題する評論を発表したさいに用いた言葉だが、本書所収の作品を書いた古井由吉、後藤明生、黒井千次、阿部昭、坂上弘ら当時30代の新人作家たちを指す言葉としてその後流通していった。文学史的にいうと、「戦後派」「第三の新人」のあとに続く世代である。1970年代初頭といえば、私は高校生であったが、「内向の世代」の作家たちの作品を読んだ記憶はない。関心もなかったように思う。当時、私が読んでいたのは、庄司薫、北杜夫、星新一、そして志賀直哉の作品だった。総じていえば青年を主人公にした小説だった。「内向の世代」の作家たちの書くような大人(社会人)を主人公にした作品には興味がなかった。

いま改めて「内向の世代」の作家たちの作品を読んでみようと思ったのは、戦後の日本における「個人化の過程」を考える上での資料となるのではないかと考えたためである。小田切が「内向の世代」という言葉を使った時、そこにはあきらかに批判的なまなざしがあった。社会的・政治的な関心が希薄で、ひたすら個人的生活の内部に探究の方向が向けられているという意味合いがこの言葉には込められていた。しかし、『新潮日本文学辞典』(1988年、増補改訂版)の「内向の世代」の説明(担当したのは磯田光一)はむしろ「内向の世代」を擁護する調子のもので、「批判された側の作家たちは、直接的な社会批判を断念した地点から、私的な感性に即して時代をとらえようとしていたわけで、小田切がマイナスとみたものをプラスに生かす方向に作家は向かった」としている。具体的にどういう方向かといえば、「古井由吉における肉親関係の陰影や土俗的領域のとらえ方、黒井千次における都市社会の不安の感触、後藤明生における団地生活の描き方などは、高度成長の生んだ社会変動を感性的にとらえ、彼らの文学の特徴となった」ということである。

「ルノアール」では、後藤明生『私的生活』(1968年の作品)を読んだ。400字詰原稿用紙にして100枚程度の中編小説である。本書に収められた他の作家の作品も同じような長さのもので、選者の黒井によれば、「このあたりの長さが、あの頃の自分達にとってはもっとも書きやすい自然と感じられる長さであったように思う」とのことである。100枚といえば、文系学部における卒論の標準的なボリュームであるが、これと何か関係があるかもしれない(思いつきです)。

「内向の世代」にふさわしいタイトルの作品ということで最初に読んだわけだが、驚いた、その文章の質の高さに。格調の高いことが書かれているわけではない。 主人公は出版社に勤務するサラリーマンで、公団住宅に当選して妻と子どもの3人で団地暮らしを始めたばかりである。結婚前に2人の女性と関係があり、それは彼の結婚後もしばらく続いていたが、いまはそれぞれに結婚をし家庭に収まっている。物語は、日曜の夜、主人公がNHKの大河ドラマを観ているときに「ダイニングキッチンに置いてある電話が鳴った」ときから始まる。「もしもし、ご主人はいらっしゃいますか?」その電話はいつも妻がとる(そういう時間帯にかかってくるのだ)。「いいえ、まだ戻っておりませんが」あるいは「はい、おりますが」と妻が答えたところで電話はプツリと切れる。そういうことが何度も繰り返されるようになる。電話の声は女の声であったり、男の声であったりする。当時は、固定電話が一般家庭に広く普及するようになった時代だが、どこの誰から掛かってきたのかはわからないままにとにかく電話が鳴ったら受話器をとらなくてはならないという電話というメディアの暴力性と不気味さが導入部分でうまく使われている。物語は、以後、この電話をかけてきたのは誰なのか(おそらく関係のあった女性およびその夫であろう)という疑問をめぐる主人公の推測ときに妄想に沿って展開していくわけだが、それは同時に自分自身との対話であり、自己省察といえるものになっている。

非常に読み応えがあり、もしこれがいま芥川賞の候補作となれば、間違いなく受賞するだろうといえるほどの文章力である。調べてみると、『私的生活』は1968年上半期のに芥川賞の候補作だった。しかし、受賞はしなかった(そのときは「受賞作なし」だった)。次の1968年下半期にも後藤は別の作品で芥川賞の候補になったが、やはり受賞はしなかった(そのときの受賞作は庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』だった)。おそらく彼が(彼に限らず「内向の世代」の作家たちのほどんどが)芥川賞を受賞しなかったのは、文章力のためではなく、「内向的」な作風のためだったのではないだろうか。「内向的」であることを評価しない空気が当時の文壇(の一部)にあったのではないだろうか。

「内向的」であることを評価しない空気は文壇だけでなく、学校現場にもあった。私は小学生のとき成績表の通信欄に(担任から)「内向的で友だちが少ない」と書かれたことがある。「余計なお世話だ」といまなら思うところだが、なにしろ子供だったから、自分の短所として素直に受け止めた。「内向的じゃいけないんだ」「友だちはたくさんいないといけないんだ」と思った。かわいそうに。当然のことながら、学校現場で評価されないことは、労働現場でも評価されないだろう。「内向的」な子どもたちは自分の将来を暗澹たる思いで展望せざるをえなかった。

夕食用に「ちよだ寿司」で巻物を主に買って帰る。

妻と六四くらいの感じで分け、それに私は汁代りに「赤いきつね」を付けた。

複合ラージヒルをテレビ観戦。観戦しながら食べるものを買い込んで臨んだが、結果は残念なものだった。渡部個人vsドイツ軍団という厳しい戦いであった。

 2時、就寝。


2月19日(月) 晴れ

2018-02-21 23:43:14 | Weblog

8時、起床。

トースト、ベーコン&エッグ、キャベツ、牛乳、紅茶の朝食。

9時半に家を出て、大学へ。

10時半から教授会。

教授会は昼前に終わる。

昼食は「早稲田軒」に食べに行く。

この店ではたいていこれを注文する。天津麺。あまじょっぱい味がいい。

天気がいいので、正門通りから神楽坂まで歩くことにする。たまに歩くだけだが、おしゃれな店が増えているような気がする(前からあったが気づかなかっただけかもしれない)。

でも、この通りで一番心惹かれるのは「青谷製作所」のこのたたずまいだ。実直な職人さんがいるに違いない。

食後のコーヒーを「トンボロ」で飲む。

Aブレンド(香りと酸味の浅炒り)を注文。ヴェルデが来ている。

私が来たときはカウンターに4人ほど客がいたが、お昼休みが終わったのだろう、いっぺんに空いた。

梅花亭でお土産を買っていく。

早春らしい品揃えになっている。

神楽坂を飯田橋まで歩く。一本脇の軽子坂にある名画座「ギンレイホール」。

2週間のサイクルで2本の映画がかかっているが、今日はぜひ観たい映画があった。

『パターソン』(監督:ジム・ジャームッシュ、主演:アダム・ドライバー)

先月、宙太さんと「男同士カフェ」をしたときに、彼が最近観た映画としてこの映画を出したのである。彼は評論家のように語る人ではないが、「いい映画でした」ときっぱりとした口調で言ったのである。

「ニュージャージー州パターソンに暮らすバス運転手のパターソン。毎朝、妻にキスをして始まり、いつも通り仕事に向かい、心に浮かぶ詩をノートに書きとめる。帰宅後は妻と夕食を取り、愛犬と夜と散歩に出かける。一見代わり映えのない日常をジム・ジャームッシュ監督がユーモラスに映し出した7日間の物語!」(ギンレイホールのHPから)

150字程度で作品を紹介しなくてはならないとすれば、これでよいのかもしれないが、観終わった後にもう一度この文章を読むともの足りなさを感じる。この映画は、この紹介文から予想されるよりも、もっと深みのある映画だ。

パターソンは平日は毎朝6時10分頃に起きる。目覚まし時計を使わずに自然に目が覚めるのだ。枕元に置いてある腕時計にはそういう力がそなわってらしい。魔法の時計だ。

妻とはダブルベッドで寝ている(それほど大きくないダブルベッドで、私なら熟睡できないと思う)。パターソンは半袖シャツとパンツを履いているが、妻は上半身は裸だ(全裸かどうかはわからない)。彼は目を覚ますと、妻にキスをする。妻も目を覚まし夢の話をする(よく覚えているものである)。彼は起きるが、妻はベッドから出ない。

彼は一人で朝食を食べる。シリアルに牛乳をかけて食べる。アメリカ人にはよくある朝食だが、私からすると味気ない朝食だ。

職場(バス会社)まではランチボックス(妻が作ったサンドウィッチ)を下げて歩いて行く。職場と住居が徒歩圏内(同じ町)というのは素晴らしい。

バスの発車の準備を終えて、少しの時間、彼は心に浮かんだ言葉(詩)をノートに書きつける。

生活にいろいろ問題山積の同僚のグチを聞いてやる。

バスを運転しながら、乗客のおしゃべりが耳に入ってくる。

妻は専業主婦だが、彼が外に出ている間は、部屋の壁を塗ったり、ギターの練習をしたり、お菓子を焼いたりしている。生活感のない、魅力的な女性だ。夫のことをとても愛している(彼も妻のことを心から愛している)。

夕方、帰宅。自宅前の郵便受けを設置している柱がなぜかいつも傾いている(朝家を出るときは真っ直ぐなのだが)。

夕食はいつも一緒にとる。

夕食後、飼い犬の散歩は彼の役目である。散歩の途中、彼はカフェバーに寄って、マスターや常連客とおしゃべりをする。家庭と職場のほかにカフェバーという「サードプレイス」を持っているのはいいことだ。

散歩から戻った後は地下の書斎で心に浮かんだ言葉(詩)をノートに書きつける。妻は彼には詩の才能があると思っている。ノートをコピーに取ってほしいと彼にお願いする。彼は今度の週末にはコンビニでコピーをすると約束する。

彼はこんな毎日を送っている。

魅力的な面もあるし、そうでない面もある(私は乗り物酔いをする体質なので、バスの運転手というのは考えられない仕事である)。

彼の日々の生活を追いながら(月→日)、何かが起こって、この生活のパターンが崩壊するのではないかと私は緊張する。実際、映像にはどこか不穏な雰囲気を漂わせている(そう感じるのは私だけだろうか?) たとえば、バスの事故が起きて乗客が死ぬとか、愛犬のブルドッグが誘拐されるとか、彼が道端で少女と詩についておしゃべりをしているときに彼女の親が彼を娘に悪さをしようとしている変質者と誤解するとか、妻がお菓子を市場に運ぶとき交通事故を起こして死んでしまうとか、カフェバーで殺人事件が起きるとか・・・。実際、それに近いようなことも起きるのだが、結局は、何事もない。平穏な日常が何かの出来事によって崩壊するというのは映画にはよくあるパターンで、おそらく監督ジム・ジャームッシュはそれを逆手にとって、観客に肩すかしを食わせたのだ(郵便受けの柱の傾きも、実は、愛犬の仕業だった)。唯一の深刻な事件は、二人が外食をして、映画を観て帰宅すると、愛犬が彼の大切な詩のノートをビリビリに(まるでシュレッダーにかけたみたいに)してしまったことである。彼はまだコピーをとていなかった。落ち込んで、一人で散歩に出た彼は、滝のある公園のベンチで日本人の旅行者(永瀬正敏が演じている)と言葉を交わす。その男はW.C.ウィリアムズの詩のファンで、ウェイリアムズが詩作の日々を送ったパターソンを見てみたいとやってきたのである。その男との会話に彼の気分は明るくなる。男は去り際に彼に一冊の白いノートをプレゼントする。

彼の生活の一番の魅力は、やはり、詩作の習慣というところにある。それが彼が自分の日常に倦むことなく、むしろ瑞々しい気持ちで毎日を生きていくことを、日常生活をこころから味わうことを、可能にしている。彼と世界との間には言葉がある。本当は誰の場合もそうなのだが、その言葉を瑞々しい感性でノートに書きつけていくことは誰もがやっていることではない。彼の妻は彼のそういう美点に誰よりも、たぶん彼本人以上に、気づいている。そういう女性と結婚生活を送っていることも彼の幸福の条件なのだということは見逃してはならない。

詩作は誰にでも簡単にできることではないが、自分と世界の間にある言葉という存在に自覚的であることは、日記を書くことによっても、(手前味噌であることを承知で言えば)ブログを書くことによっても、可能だろうと思う。

帰宅する前に、駅ビル東館の「くまざわ書店」で文庫本を3冊購入。

 黒井千次選『「内向の世代」初期作品アンソロジー』(講談社文芸文庫)

 亀井俊介・川本皓嗣編『アメリカ名詩選』(岩波文庫)

 勢古浩爾『さらなる定年後のリアル』(草思社文庫)

『アメリカ名詩選』にはW.C.ウィリアムズの「ちょっとひと言」(This Is Just to Say)という詩が収められている。映画の中で朗読されていた詩だ。

 冷蔵庫に
 入っていた
 すもも
 たぶん君が

 朝食の
 ために
 とって置いたのを
 失敬した

 ごめん
 うまかった
 実に甘くて
 冷たくて

   I have eaten
   the plums
   that were in
   the icebox

   and which
   you were probably
   saving
   for breakfast

   Forgive me
   they were delicious
   so sweet
   and so cold

妻は体調は回復したが、まだ感染力はあるので、夕食の用意も夕食を外に一緒に食べにいくこともできない。

「何が食べたい?」と妻に聞いたら、「phono kafe」のお弁当と答えた。

大原さんに電話をして、お弁当を2つ作ってくれるようお願いし、20分ほどして受け取りに行く。

味噌汁は家にあったインスタントのものですます。

お弁当のおかずは4品。

 玄米ビーフンの春巻(左上)

 切り干し大根のトマト煮(中央上)

 白菜とふのりの柚子酢和え(中央下)

 里芋と長芋のつまみ揚げ(右下)

「美味しいね」と妻が言った。「うん、美味しいね」と私は答えた。 

デザートは「梅花亭」で買ってきた道明寺(京風桜餅)と草餅

 さて今日のお八つは草餅桜餅 たかじ

(竹内愉咲書)

『さらなる定年後のリアル』の「まえがき」はなかなかいいことが書いてある。

 「ここまできて、定年後の生活も悪くないな、と思えるようになってきた。とくになにをする毎日でもないのに、一日が一日であるだけでいい、これはいいことだ、と思えるのである。ただし、そんための最低限の条件がある。そこを曖昧にすることはできない。そこそこのお金と、そこそこの健康と、そこそこの自由である。これさえあれば、あとはもうなにもいらない、こともないが、とりあえず今日一日はそれで完結することができる。もし明日の心配があるのなら、明日心配することにしよう。
 上を見たらきりがない。横を見たら心が惑う。下を見てホッとしてもしかたがない(「下」を見下しているのではない)。前を見ると不安だ。だからなるべく見ない。はるか千日先も万日先も、今日一日がなければ始まらないのだ。なんだか自分を騙しているような気がしないでもないが、前方に「不可」と「無理」しかないのなら、自分を騙すことも必要である。それで最期まで騙し通せれば、いうことはない。見ていいのは、今と、後ろだけである。今には親愛な人々がいる。後ろには懐かしい人々がいる。わたしはいつでも振り返る。」

対句法の多用は漱石の『草枕』の冒頭部分を思わせる。少しばかり筆が滑り過ぎのところがないわけではないが、のびのびとして、いい文章だ。なので書き留めておく。

12時半、就寝。 


2月18日(日) 晴れ

2018-02-20 12:55:54 | Weblog

8時、起床。

トースト、ソーセージ&エッグ、キャベツ、牛乳、紅茶の朝食。

11時半に卒業生のタエコさん(論系ゼミ3期生だが留学のため卒業は4期生と一緒)と蒲田駅で待ち合わせ、「phono kafe」へ。

彼女とは先日のユキさんの結婚式のときに4年ぶり(卒業後初めて)会った。そのとき「今度、カフェをしましょう」と約束をして、すぐに実現したわけである。「今度、〇〇しましょう」という挨拶はよく使われるフレーズだが、そのまま放置され、「今度」はいつまでたってもやってこないことがままある。最初からお互いがそのつもりで言っているのあれば、それでもかまわないが、そうでないなら、あまり時をおかずに(気分の鮮度が落ちないうちに)実現させることである。

ご飯セットを注文。「苦手なものはありますか?」と聞いたら、「ピーマンが苦手です」と彼女は答えた。

ネギポテトの油揚げ包み。あたたかいうちに食べるのがよい。

かぼちゃサラダ(左)。甘いのでお茶うけにとっておくのがいい。

玄米ビーフン春巻き(右)。私の大好物。大原さんもそれがわかっているから、「今日は春巻きありますよ」とニコニコしながら言う。一皿を振二人でシャアすると半分しか食べられないので、二皿注文する。

ピーマンと紅芯大根のくたっと煮。タエコさんは苦手だといったが、だから注文しないということはなく、私が一人でいただく。美味しいだけでなく、色合いも美しい。

ニラとこんにゃくのピリ辛和え(左) かぼちゃサラダのように甘いものがあるときは、こういう辛いものもあるとバランスがとれる。

玄米ビーフンの春巻(右) さきほどのは彼女の分、こちらが私の分。

彼女は芸能事務所で働いていて、いま、韓国のアイドルグループのマネージャーをしている。日本と韓国を往復し、ときにそれ以外の国にもでかける。食生活は不規則になりがちで、チョコレートをやたらに食べているそうだ。だからこういう健康的な食事をするとホッとするという。

食後のお茶は私は小豆茶、彼女はハニーブッシュ。

卒業後の4年間のライフストーリーをダイジェストで聴く。

デザートは「カフェ・スリック」で食べましょうということで、電話を入れたが、いま満席なので、空いたら連絡を下さると言うので、それまで蒲田駅の周辺をぶらぶらする。

東急線のガード下で。

 

東急線の踏切を渡りながら。

踏切を渡ったところにある西蒲田公園で。

公園の横は私の母校、大田区立御園中学校。「挨拶と顔が自慢」だと言い放っている(いえ、「挨拶と笑顔」です)。

マダムから「席が空きました」と連絡が入った。 

お父様が日本人でお母様が韓国人の彼女は日本語と韓国語を同じレベルで話す。中高生のときアメリカに留学していたので、英語も堪能である。マダムに「今日お連れした卒業生は韓国の方です」と嘘をついて、タエコさんに韓国語で自己紹介をしてもらった。マダムの顔が輝いた。韓流ドラマの大ファンのマダムは吹き替えなしで韓流ドラマが視聴できるように韓国語の勉強をして、準1級の資格をもっている。二人は韓国のアイドルの話で盛り上がった。「今日は大久保先生を介さなくても卒業生の方とお話ができるわ」とマダムが嬉しそうにおっしゃる。マダムは「クナ君」のファンだそうである。でも、それは私の勘違いで、「クナクン」(KNK)というのはグループ名で、「クナ君」ではなかった。「Brown Eyed Soul」も好きらしい。なんのことか全然わかりません。

紅茶は「美味しいアッサム」を注文した。先日、妻と来店したときに、私がアッサムを注文したら、「美味しいアッサムもありますが」とマダムは言った。入荷したばかりの特選の茶葉らしい。普通のアッサムと美味しいアッサム(値段は600円と900円)、「どちらにしますか?」と聞かれて「う~ん、では、美味しいアッサムをお願いします」と私は注文した。誘導尋問ならぬ、誘導注文である。マダム、商売上手ですね。でも、実際、美味しいアッサムですね。とてもいい香り。

タエコさんは子どもの頃、芸能事務所に所属していて、オーディションを受けたり、(歌が上手かったので)コマーシャルソングを歌ったりしていたそうだ。長じてからは、自分が芸能人をめざすのではなく、ショービジネスの世界で人を育てる仕事をしていこうと考えるようになったそうである。「SMAPのマネージャーみたいに?」と私が言うと、「そうです」と彼女は答えた。

6種類のフィフォンケーキはまだぎりぎり全部の種類が残っていた。

私は瀬戸内冬レモン。

彼女は紅茶。 

 「カフェ・スリック」を出たのは3時を回った頃。彼女はこの後の予定はないそうなので、では、もう一軒カフェの梯子をしましょうということになり。「まやんち」を目差したが、途中で、今日は日曜日だから「まやんち」はお休みであることに気付いた。入試関連業務で休日出勤が続いて、どうも曜日の感覚が鈍くなっている。

寺町池上のカフェ(甘味処)に行くことにした。カフェの梯子をする場合、「洋菓子」→「洋菓子」よりも、「洋菓子」→「和菓子」の方が変化があってよい。それに加えて、これからの池上は梅と桜の見頃を迎える。

池上駅の構内踏切の前で。

本門寺通りの入口にあった「栄屋ベーカリー」の店舗が解体工事に入っている。新築開店というのは考えにくい。ランドマーク的なお店であったが、閉店か。

本門寺門前の小寺「中道院」に寄って行く。

庭はとてもよく手入れをされている。白梅を見上げる。

 ここの白梅は本当に見事だ。

低木の白梅、紅梅も植えられている。やがてミニ梅園ができあがることだろう。

本門寺の階段脇の早咲きの桜が目を引く。 

蜜を吸いに野鳥が集まっている。

大きな緑色の鳥がいるなと思ったら、野生化したインコだった。いや、オウムかもしれない。それもつがいで来ている。

ものすごい勢いで桜の花を茎のところからちぎっている。この調子では満開になる前に花がなくなってしまうのではなかろうか。

参拝していきましょう。

「おみくじ、引いてもいいですか?」と彼女が言った。はい、もちろん。

「末吉」だ。勘違いしている人が多いが、「末吉」というのは悪くない。「いまはいろいろ大変だけど、いずれよくなる」ということである。

英語でいえば、「ハッピー・エンド」です(私の解釈ですけど)。

西に傾いてきた光がちょうどいい具合の時間帯なので、本門寺公園でポートレイトを撮る。

 

サーフィンは「波」、スキーのジャンプは「風」が大切だが、写真は「光」が大切だ。いい光を逃してはいけない。

 

公園の入口の階段は西に面している。階段を下って行くと、西からの光が木洩れ日となって後ろから当ることになる。

 

淡い逆光なのでポートレイトにはうってつけだ。

「phono kafe」のときと比べると、表情も柔らかい。

さて、葛餅を食べましょう。「池田屋」へ。

 

おでんも注文したかったが(ここのおでんは美味しいのだ)、今日は完売だそうで、葛餅だけにする。

 

黒蜜は自分で好きなだけおかけくださいというスタイルである。彼女はずんぶんたっぷりとかけていた。「黒蜜、大好きなんです」とのこと。チョコレートも大好きだしね。

池上線の蒲田方面行きのホームで。この風景が見られるのもあと少しの間だ。

 

電車を待ちながら。千鳥町方面は線路がまっすぐで、緩やかな上り坂になっているので、遠くまで見通せる。

彼女はこれからまた忙しい時期に入って行くそうだ。「それがいつまで続くの?」と聞いたら、「ツアーが終わるのが5月頃なので、それまでは」とのことだった。わかりました。次は初夏のカフェですね(梅雨に入る前に)。「はい、今度は動きやすいようにスニーカーを履いて来ますね」と彼女は言った。

食事はちゃんととろうね。健康第一で、頑張って下さい。 彼女を蒲田駅の改札で見送った。

夕食は「マーボ屋」でテイクアウト。

 

蟹チャーハン。

海老のサクサクフリッター。私も妻もこれは好物。

鶏肉とカシューナッツの甘辛炒め(もう牡蠣はお終い)。

 スピードスケート女子500メートルで小平奈緒選手が金メダルを獲った。五輪新記録の素晴らしい滑りだった。リアルタイムでテレビ観戦していたが、1回勝負というのはものすごい緊張感である。前回まではイン・アウト二本滑っての合計タイムの争いだったが、今回から一本勝負になった。イン・アウトの平均タイムは違わないということを根拠にそうされたらしいが、それは選手全体の平均値であって、個々の選手をみれば、インが得意、アウトが得意というのはあるはずである。たぶん背景には、競技の時間帯と同じく、TV放送の時間枠の問題があるのだろう。統計データがもっともらしく使われるというのは、どこかの国の国会答弁と似ている。

2時、就寝。