フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月29日(月) 曇り

2006-05-30 02:45:17 | Weblog
  いつもより少し遅めに起きて(寝たのが午前4時だったので)、朝食をとらずに歯科に行く。名前を呼ばれて診察室に入っていくと、隣の診察台の医者と患者(高齢のご婦人)のやりとりが聞こえる。医者が「もう、いいかげんにしてもらえませんか」みたいなことを言っている。一体、何ごとだろうと耳をそばだてると、治療のやり方について患者が最終的なGOサインを出さず、毎回毎回、医師は同じ説明を繰り返しているらしいことがわかった。で、私の治療の番である。医者は診察室のピリピリしてしまった雰囲気を変えなくちゃと、努めて穏やかに振る舞おうとしているのだが、そこにいささかの不自然さがある。イライラしている医者から歯の治療を受けるというのは緊張するものである。
  治療の後は1時間ほど食事ができないので、お腹は減っていたが、散歩に出る。TSUTAYAで、今夜観るつもりの『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』と、教材用にTVドラマ『僕の生きる道』(草剛主演)と『ラストプレゼント』(天海祐希主演)のDVDを借りる。
  午後、父が遺言を預けていた信託銀行の担当者が来る。「戦後処理」の中の最大のものが遺産相続である。母と二人で話を聞く。いささか費用はかかるが、遺産相続の処理業務は信託銀行に委託することにした。
  夜、カポーティ『夜の樹』を少し読んでから、『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』のDVDを観る。パリの裏町で食料品店を営むトルコ移民の老人と、その向かいのアパルトマンに父と二人で暮らす少年の交流(そこに気だてのいい街娼たちも加わる)を描いた作品。老人を演じるのはあの『アラビアのロレンス』のオマー・シャリフである。思うに、老人と少年の組み合わせにはいい作品が多い。『ニューシネマ・パラダイス』とか、『ベスト・キッド』とか、『小説家を見つけたら』とか。老人の経験や知識に若者が敬意を払うというのは、高齢社会の希望的構図であろう。
  ところで、『週刊文春』(6月1日号)の「私の読書日記」の中で、立花隆が「私は基本的にフィクションを読まない(時間のムダ)」と書いていた。その気持はわからなくもないが(少年老い易く学成り難し)、どこかガツガツした感じがする。彼にとって読書は現実の世界についてのデータの収集なのであろう。しかし、私が思うに、現実というのは世界の可能性のほんの一部が顕在化したものに過ぎず、小説を読んだり映画やTVドラマを観たりすることで、世界のさまざまな可能性を生きることができるというのは、とても素敵なことではないだろうか。
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