フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月7日(日) 小雨、風強し

2006-05-08 02:16:11 | Weblog
  八勝堂書店から宅配便で『坂口安吾全集』全18巻(ちくま文庫)が届く。郵便振り込みの用紙が同封されている。「日本の古本屋」に登録されている書店情報には5000円以上の商品の場合は前入金でお願いしますと書いてあり、今回は25000円の商品だから、先に商品が届くのは「?」なのだが、当方を信用していただけたということだろうか。信用の根拠は、過去の取り引きの実績ではなく(なぜなら八勝堂書店から本を購入するのは今回が初めてだから)、発注メールのアドレス(ohkubo@waseda.jp)であろう。古書業界における早稲田大学の社会的信用は高いのである。娘の大学の授業料のときのように振り込みが遅れて督促状が届くなんてことがないようにしないとならない。明日、午前中に郵便局にいかなければ。
  先日購入した絲山秋子『沖で待つ』を読む。文章が達者なのに驚いた。芥川賞でなく直木賞でもおかしくないのではないか。著者略歴によると、彼女は1966年の生まれで、早稲田大学政治経済学部を出て、住宅設備機器メーカーに入社し、2001年(35歳)まで営業職として勤務していたそうであるが、そうした経歴は「沖で待つ」の主人公の女性(住宅設備機器メーカーに入社して福岡支店に配属される)に確かなリアリティを与えている。

  「福岡に慣れてくると、だんだん学生時代の友達とは話が合わなくなって来ました。電話で話を聞いていても、東京しか知らないくせに、とか、現場を知らないくせに、とかそんなことに自分がこだわってしまうのです。学生のときに一緒に感じていたものって、なんなんだろう、考えてもあまり思い出せなくなりました。世界が狭いようですが心置きなく話せるのは、やっぱり会社の人でした。」

  私はこの下りを読んで、そういうものかと感心した。こういう感覚は、著者本人の職場体験から滲み出てくるもので、たんに友人・知人を取材して書いたのでは、主人公の学生時代の親友なんかが安易に登場してきてしまうものなのだ。
  絲山秋子の文章の達者さ、エンターテーメント性は、もう一つの収録作品「勤労感謝の日」の方がより際立っているかもしれない。主人公は父親の通夜の席で母親に下品な言動に及んだ職場の上司をビール瓶で殴って退職し、近所の世話焼きおばさんに義理立てして気の進まない見合いをすることになった36歳の女性である。相手の男の姓は野辺山という。

  「しかし、何を聞けばいいのだ。見合いなんてしたことがない。ギャンブルやりませんよねとか、変態プレイは困りますよとか、そんなこと、大事なことだが言えないし。頭の中ではコイツトヤレルノカ? という声がする、う~ん、極めて難易度が高い。しかし、野辺山氏とて、考えていることは私と大差なかった。ただ彼はそれを第一声で口に出してしまっただけだ。
  『スリーサイズ教えていただけますか』
  『88-66ー92』
  野辺山氏はもう一度、にへらり、と笑った。
  エンコーかそれとも家畜市場か。私もよっぽど、ちんこの長さと直径を聞いてやりたかったが、さすがに母と長谷川さんの手前それは慎んだ。そうやってその場を終わらせてしまった方が時間の節約になったかもしれない。
  それにしても野辺山氏は透明感のある不思議な声をしていた。あの声でインド哲学でも語られたらどうしようと私は少し不安になった。それは杞憂だった。
  『お仕事は?』彼が聞いた。
  『無職です』私は答えた。別に泥棒でも詐欺師でもない、日本に三百六十万人棲息するまっとうな無職のうちのただの一人だ。
  『僕って会社大好き人間なんですよねえ』
  何とか大好き人間なんて言葉がまだこの世に流通しているとは知らなかった。しかも会社だよ。このトンチキ野郎。」

  私は思わず吹き出した。よかった、電車の中でなくて。吹き出した後で、ちょっと怖い気分になったのは、私が日頃接している女性たちもこんなことを頭の中で呟いているのだろうかという考えが胸をよぎったからである。当方、長さとか直径とかいった方面に自信がないからかもしれない。  
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