フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月2日(金) 晴れ

2021-04-03 12:59:18 | Weblog

8時、起床。

グラノーラ(+牛乳)、サラダ、紅茶の朝食。

昨日の早稲田大学の文学部と文化構想学部の入学式で祝辞を述べたことが記事になっていた。「村上春樹」は実在の作家ではないのではないかという噂がある中で、「実物」の村上春樹を見ることができた新入生は幸運である。私が高校生の頃、『赤頭巾ちゃん気をつけて』の芥川賞作家、庄司薫が講演に来てくれたことがあった。高校(日比谷)時代の担任の先生からの断れない依頼だったのだろう。話の内容はまったく覚えていないが、目の前に庄司薫がいてわれわれに語りかけていること自体がすごいことだった。覚えているのは、演壇の天井裏から誰かが演壇にコショウを撒くという悪戯をしたことである。庄司薫は粉雪を手のひらで受けながら空を見上げるようなポーズで、「胡椒ですね」とつぶやいた。

「真空飛び膝蹴り」で一世を風靡した沢村忠さんが死去した。78歳だった。彼の全盛期は私の中学生時代で、みんな「真空飛び膝蹴り」の真似をしていた。ご冥福をお祈りします。

昨日のブログを書いてアップする。ブログを書いている最中、頻繁にメールのやりとり。メールソフトはパソコンを使っているときは常時オンにしてあるので、メールを受信するたびにそれが表示される。受信・送信が迅速にできるのはメリットだが、やっている作業がその度に中断されというデメリットがある。迅速に返信が必要とされるメールかどうかは開いてみるまではわからないし、開いたら返信せずにそのままにして作業を続けるというのも落ち着かないものである。結局、すぐに開き、すぐに(返信できるものは)返信するということになる。

玄関の上り口に大きなリックサックが置かれている。

妻がアマゾンで購入した「防災リュックセット」である。

とりあえず必要なものが2人分入っている(エアマットまで入っているのは優れものである)。ただし、問題は重量である。12キロほどあるようだ。手で持ち上げようとするとかなり思い。背負ってみると重量が両肩に分散されるので、手で持ったときよりも「重さ」は軽減されるが、若いころ北アルプスを友人と縦走したときのことが思い出される程度の「重さ」である。何かあったら、これを私が背負って歩くことになるのだろうか。高齢者には大変である。「2人用」ではあるが「高齢夫婦用」であるとは思えない。動きやすさを考えたら「1人用」を2セットの方がよかったのではなかろうか。しかたない。体を鍛えよう。

昼食を食べに出る。ご近所の庭の八重桜が咲いている。

囲碁のサロンがある。昔は将棋や囲碁のサロン(道場・教室)がたくさんあったが、いまは激減し(客の高齢化、コロナの感染拡大)、あってもテナント料の高い路面店ではなく、ビルの上の階に移動している。

しかし、ここは路面店で、開かれたドアから中をのぞくと、客もそこそこ入っているようである。私にとってカフェがサードプレイス(自宅と職場以外の第三の居場所)であるように、彼らにとってはここがサードプレイスなのだろう。そしてサードプレイは一つである必要はない。液状化した(しっかりした足場の失われた)社会において、複数のサードプレイスをもつことは精神の安定にとって有効な生存戦略である。

「プリミエールカフェ」に行く。

パスタのセットを注文する。最初にコーヒーが運ばれてくる。

続いてサラダとトースト。

今日はカニクリームのトマトソースパス。

食事を終えて、二杯目のコーヒー(サービス)を飲みながら、「日常生活の社会学」の放送原稿(第1回)に手を入れる。

店には1時間ほど滞在。帰宅して原稿書き。

ミルズ『社会学的想像力』(1959=1965)から冒頭の有名な一節を引用する。

「こんにち、人々はしばしば自分たちの私的な生活には、一連の罠が仕掛けられていると感じている。彼らは日常生活の範囲内では、自分たちの困難な問題を克服することができないと感じている。こう感じるとしても、それは多くの場合、まったく当然である。というのは、普通の人間が自分で直接に知っていること、あるいは自分でやってみようとすることは、それぞれの個人的な生活環境によって制約されているし、彼らの意志や勢力の及ぶ範囲は、職場や家庭や近隣のようなところに、いわばクローズ・アップ・シーンだけに限られていて、そのほかのシーンでは、彼らは代役として動き回り、観客の立場にとどまっているからである。自分たちの最も身近な日常生活を超越するような野望や脅威に、彼らがたとえぼんやりとでも気づけば気づくほど、彼らはいよいよ罠にかけられているいると感じるようになる。人が罠にかけられているという感じをもつのは、自分の意志でしているつもりの生活が、実は個人の力ではいかんともしがたい全体社会の構造そのものに生じる、さまざま変化によって支配されているからである。(中略)一人の人間の生活と、一つの社会の歴史とは、両者をともに理解することなしには、そのどちらの一つをも理解することができない。」

私がこの文章に初めて接したのは学部の3年生の頃だった。本の表紙は著者の写真だった。ジーン・ハックマン似のタフガイという印象だが、彼はこの本(原著)を出した3年後に46歳という若さで亡くなった。

夕食は胡麻つくね、マグロの山かけ、サラダ、ワカメの味噌汁、ごはん。

つくねは七味を振って、玉子の黄身をくぐらせて食べる。

妻によると、今回の献立は、まずマグロの山かけが決まり、それとの取り合わせで胡麻つくねが決まったそうである。

デザートは苺。「とちあいか」という新種で、断面がきれいなハート型をしているのが特徴である。

原稿を仕上げてから、近所をウォーキング&ジョギング(3キロほど)。

風呂から出て、『ジェットストリーム』を聴いながら、今日の日記を付ける。

2時、就寝。

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