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フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月14日(水) 晴れ

2025-05-15 22:27:25 | Weblog

8時半、起床。実際はもう少し前に目が覚めているのだが、なかなか目が覚めてパッと起き上がるということは難しい。これが何時の電車に乗るには何時には起きなくてはならないと外的条件で決まっているのであれば、否応なく起きるのであろうが、在職中も午前中の授業はなかったから、目覚まし時計を使って起きるのは、入試監督で7時半に家を出なくてはならないときくらいだった。それでも一般の社会人の始業時刻である9時まで寝ているとさすがに自堕落な気分になるので、朝ドラが終わって『あさイチ』が始まる頃には起きることにしている(妻が居間でテレビを観ながら朝食を食べているので時刻はわかる)。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

本日の『あんぱん』。崇とのぶは世界観の違いから喧嘩別れをしてしまった。軍国主義教育に染まったまま小学校の教師になろうとしているのぶ。しかし、当時、「染まっている」という感覚は希薄だったであろう。やがて敗戦のときがきて、そのときはじめて自分が子供たちを戦地に向かわせるための教育をしてきたことに気づくときがくる。実際、終戦で教壇を去った教員はたくさんいる。のぶもそうなるだろう(戦後も小学校の教員を高知で続けていたのでは崇との結婚はないわけだし)。気になるのは師範学校の教師、黒井雪子の去就である。教壇を去るのは間違いないと思うが、自害だってありえるのではなかろうか。

『サンデーソングブック』をタイムフリーで聴きながら、昨日のブログを書く。今回の『サンソン』は「ボブ・ディランのかからないボブ・ディラン」つまりボブ・ディランの曲のカバー特集である。なかなかよかった。録音しておこう(タイムフリーは3時間=3回聴けるのだ)。

妻は友人と深大寺の薔薇園に出かけて行った。その友人も家で薔薇を育てているそうだ。薔薇って人気があるんだな。

2時を回った頃、近所の蕎麦屋「吉岡家」へ昼食を食べに行く。

冷やし中華(胡麻ダレ)を注文する。年に一度の挨拶のようなものである。

「やっぱり・・・」と思うのは写真と違うからである。盛り付けが美しくない。ハムや錦糸卵の量も少ない。でも、去年よりはましである。去年はそもそも錦糸卵が載っていなかったのである。他のメニューではがっかりすることがないのだが、なぜか冷やし中華にはいつもがっかりさせられる。なぜだろう。もしかしたら蕎麦屋なのに冷やし中華を世間に迎合して店で出していることへの忸怩たる思いがあるのかもしれない。「本当はそんことしたくないんだかんな」(なぜか東海林さだお風)と。でも、中華そば(ラーメン)も出しているから、そんなことはないとは思いますけどね。

「やれやれ」という気分で店を出る。

カフェには寄らず帰宅。

暑いのだろう、チャイがふだんとは違う場所で寝ている。真夏になるとチャイのためにわれわれが不在のときも居間に軽めの冷房は入れておくのだが、まださすがにそれは早い。

「吉岡家」では村上春樹『若い読者のための短編小説案内』の中の丸谷才一の「樹影譚」を論じた章を読んでいたが、帰宅して、その続きを最後まで読む。興味深いものではあったが、ここで紹介するにはちょっとマニアックな内容なのでやめておく。丸谷才一は村上春樹が『風の歌を聴け』で『群像』新人賞をとったときの選考委員の一人で、もっとも早い時期から村上春樹の作品を評価してきた人である。

丸谷才一は新人には厳しい人だった。たとえば、『文學界』新人賞の第40回(1975)の選評はこんな風だった。

 「今回は受賞作も選外佳作もありませんでした。つまり大変な不作でした。選評を書けと言はれても、候補作七編のあれこれについて具体的に言ふ気にはなれません。それに値するものがなかったからです。もしそれだけのものがあれば、きっと選外佳作になつてゐたろう、といふ気がします。
 この文学賞の、次の応募者に向けて書きます。
 もつとおもしろがつて小説を書きませんか、せめて君ひとりくらゐ。何々文学賞に向けて書くとか、あそこの選者は誰と誰だとか、この前はどういう傾向のものがよかつたとか、さらには、純文学と大衆文学とか、政治と文学とか、内向の何々とか外向の何々とか、そんな詰まらない意識を捨てて、今、君がおもしろいと思つてゐることを書きませんか。
 (中略)
 もちろん、自分がおもしろがつて小説を書いたからとて、それが他人にもおもしろいといふ保證は何もない。読者を感心させる保證は何もない。文学賞をもらへるといふ保證はなほさらないでせう。でも、そんなこと、仕方がないぢゃありませんか。
 文学賞がもらへないと判つてゐるのに小説を書くのは、時間の浪費だと言ふ人もあるかもしれません。しかし、文学といふものはもともと暇つぶしなのです。」

 丸谷才一が、この選評を書いて『文學界』新人賞の選考委員を辞めた4年後、丸谷は『群像』新人賞の第22回の村上春樹の受賞作『風の歌を聴け』の選評をこんな風に書いた。

 「村上春樹さんの『風の歌を聴け』は現代アメリカ小説の強い影響の下に出来上がったものです。カート・ヴォネガットとか、ブローティガンとか、そのへんの作風を非常に熱心に学んでゐる。その勉強ぶりは大変なもので、よほどの才能の持主でなければこれだけ学び取ることはできません。昔ふうのリアリズム小説から抜け出そうとして抜け出せないのは、今の日本の小説の一般的な傾向ですが、たとへ外国のお手本があるとはいへ、これだけ自在にそして巧妙にリアリズムから離れたのは、注目すべき成果と言っていいでしょう。・・・(中略)・・・とにかくなかなかの才筆で、殊に小説の流れがちつとも淀んでいないところがずばらしい。二十九歳の青年がこれだけのものを書くとすれば、今の日本の文学趣味は大きく変化しかけていると思われます。この新人の登場は一つの事件ですが、しかしそれが強い印象を与へるのは、彼の背後にある(と推定される)文学趣味の変革のせいでせう。」

丸谷才一は2012年に87歳で亡くなったが、村上春樹が弔問に訪れたとき、丸谷の息子さんが「世に出なかった遺稿」として村上春樹がノーベル文学賞を受賞したときのための(新聞社から頼まれていた)原稿を見せてくれたと『村上RADIO』の中で話していた。

丸谷才一が俳句を作っていたのを知ったのは、彼の全集(全12巻、2014年)が出たときで、最後の巻に「俳句70句」というのが収められていた。古希の祝いに編んだ句集である。春夏秋冬新年の5部立てから成っているが、一句ずつ紹介しておこう。

 紅梅や顔みな違ふ羅漢たち

 昼飯に鮎三匹の長者ぶり

 とち餅や十五までいた城下町

 雪あかり家にみなぎる夜ふけかな

 雪の足りぬ正月なりと母は言ふ(初電話)

そうか、古希だから70句なのか。そして配分は春16句、夏13句、秋16句、冬16句、新年9句。参考にさせていただこう。

まだ観ていなかったNHKドラマ『地震のあとで』第4話「続・かえる君、東京を救う」(録画)を観る。原作はもちろん『神の子どもたちはみな踊る』に入っている「かえる君、東京を救う」だが、かなり手の入った脚本になっている。「本歌取り」とでも言おうか、原作を踏まえつつ、独立した新しい作品になっていた。面白かった。

夕食はシシャモ、春雨サラダ、たらこ、味噌汁、ごはん。

食事をしながら『続・続・最後から二番目の恋』第5話(録画)を観る。娘と父の会話(千明も一緒に)、これは泣かせます。

(いろは句会の「カフェ・ゴトー時代」の話を書こうかと思っていたが、時間の関係で、後日に回します。)

風呂から出て、今日のブログのプロットを作る。

1時半、就寝。

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