フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月31日(水) 晴れ

2022-09-01 13:21:27 | Weblog

8時、起床。

バタートースト、カレー、目玉焼き、牛乳、紅茶の朝食。

本日の『ちむどんどん』。歌子のうじうじもやもや恋愛話。たしかに姉(暢子)にプロポーズして振られた男(智)との恋愛は不安感がつきまとうだろう。「彼の心の中にはいまでも姉がいるのではないか」と。他人の心の中を開いてみ見ることはできないから、この不安を完全に払拭することはできない。この先、恋愛→結婚と話が進んだとしても、いつなんどきその不安が頭をもたげるかわからない。でも、智のことが好きという気持ちに間違いはない。不安と恋心の間で揺れる歌子。と、そういう設定ですよね。好きな相手に元カレや元カノがいるということ自体は珍しいことではない。そもそも智にとって暢子は元カノでさえない(付き合っていたわけではないのだから)。だから問題は彼の好きだった相手が姉であったという一点に尽きるのである。私が歌子であればという仮定には無理があるので、私が智であれば、歌子にはアプローチしないでしょうね。

昨日のブログを書いてアップする。

足場の解体業者が時間になってもやってこない。営業の人と現場監督はやってきていて、業者に連絡をとろうとしているがなかなか連絡が取れない。

カップ麺で昼食は済ませて、1時からの会合にオンラインで参加する。1時間ちょっとで終了。

結局、足場の業者が来ないのは現場監督との連絡の不備が理由であったことがわかった。業者は今日別の現場で作業をしているのである。私は怒った。この種のことは今回だけはないのである。7月28日に足場を組み立ててから、約束では12日間で(お盆前に)終わるはずだった外壁の塗り替え工事が8月末日の今日になっても足場が撤去されていないのである。約束の3倍の期間が経っている。これで怒らない人間はよほどの修行を積んだ高僧くらいだろう。

営業マンと現場監督相手に怒りながら、「メロスは激怒した」という『走れメロス』の書き出しのフレーズが頭をよぎった。私はふだんは温厚な人間だ(と思う)が、強面なので、怒ると怖いのである。『孤独のグルメ』に井之頭五郎役で出ている松重豊がヤクザ映画に出演したときみたいな感じになる。後から妻に「私、ヤクザみたいじゃなかった?」と聞いたら、「ヤクザではないけど、本気で怒っているというのは伝わっと思う」と言った。

作業は明日の昼に延期された。「申し訳ありませんでした」と営業マンと現場監督は頭を下げたが、そんなことで済ませられてはかなわない(同じことの繰り返しになる)、今日の経緯の釈明と明日の作業の約束を文書(念書)にして置いて行ってもらうことにした。

オンライン配信の演劇のチケットを購入しにコンビニに行く。近所のセブンイレブンでは取り扱っていなかったので、駅の方のファミリーマートまで出かける。

久しぶりに夏の陽気が戻って来た。

以前、セブンイレブンで支払いをしたときにはレジですぐにできたのだが、ここではコピー機を使って決済番号や確認番号を入力してプリントアウトされた用紙をもってレジに行って支払いをするという二段階方式であった。私はやりかたがよくわからないので、レジの人に教えてほしかったが、あいにくとワンオペでしかもコピー機は二階のフロアーにあるのでレジの人はレジのところを離れられなかった。運よく、他店の店長さんが二階に来ていたので彼女にやり方を教えてもらって、手続きを済ますことができた(操作自体は簡単で一度やれば次回からは大丈夫)。

お手数をかけてしまったおわびにアメリカンドックを買って帰る。

少し昼寝をして起きたら、耳鳴りが大きくなっていた。明らかにストレス性のものである。激怒した代償である。散歩に出て気分転換を図ることにした。

「テラスドルチェ」に行ったら外壁のメンテナンス工事(だろうと思う)をしていた。うちと同じじゃないか。

駅前の「和蘭豆(らんず)」に行く。

モカアイスオレを注文する。アイスオレの上にモカ味のアイスクリームがのっている。今夜が投句の締め切り。最後の推敲をしながら、句会仲間とLINEでやりとり。常連の渺さんが急用が入って句会を欠席するそうだ。

 渺さんのいない句会や秋の雨 たかじ

句会のグループLINEに挨拶句を書き込む。でも、なんだか追悼句みたいだな(笑)。

フィナンシェを一枚、追加で注文。

小学校時代の同級生のナオコさんとキョウコさんが9月の下旬に関西の方から東京に遊びに来るのだが(私も一日カフェ巡りにお付き合いすることになっている)、ナオコさんは鎌倉のホテルを予約したという。比較的最近できた駅からすぐ近くの人気のホテルである。「よくとれましたね」と言ったら、「鎌倉、宿、ひとり、女」で検索したら出て来たそうである。昭和の歌謡曲の歌詞みたいじゃないですか(笑)。♪京都大原三千院恋に疲れた女がひとり~(デュークエイセス「女ひとり」歌詞は永六輔)。40年ぶりの鎌倉を楽しんで下さい。

いつの間にか耳鳴りは小さくなっていた。

帰宅してチャイの散歩。

本日発表の東京の新規感染者数は15428人。先週の水曜日より一万人の減である。いいぞ、いいぞ。

夕食は鯵の塩焼き、サラダ、茹でトウモロコシ、味噌汁、ごはん。

鰺は干物のことが多いが、今日は鮮魚である。

8時からパソコンで獣の仕業の芝居を観る。U3‐THEATERが企画した「再生する演劇」というシリーズの第一回で、獣の仕業の二つの舞台(無観客で撮影されたもの)が流された。「再生する演劇」とは、コロナで打撃を被った演劇があれこれの工夫をしながら甦るという意味かと思ったが、そうではなくて(そういう意味も込められているのかもしれないが)演劇という本来は一回性のもの(劇場で観る芝居は同じものが二つとない)を映像化することによってくりかえし観る(再生する)ことができるものになったという意味である。それはたして演劇なのか映像作品(ドラマや映画)なのかという議論があるわけで、そういう問いを込めた企画であるわけだ。

『タイトル』については一度観たことがある。演劇人と演劇神(演劇の概念?)との観念的な対話劇である。そのときのブログに感想は詳しく書いたので、ここではくりかえさない。

そのときのブログは→こちら 

今回のトークでは当初の案では固定カメラ(劇場の観客の視点)で撮ることを考えていたそうだが、話し合いの中で、複数の手持ちカメラで動的に撮ることに変更になったという話が聞けたのは面白かった。これによってより映像作品に近いものになっている(1時間近い作品だが、芝居はノンストップ。そこは演劇である)。

『See you』は小林龍二脚本の小林龍二の一人芝居。撮影されたのは2020年8月28日、阿佐ヶ谷の「アートスタジオプロット」。本来はその日そこで獣の仕業の芝居が上演されるはずだった。その舞台でカーテンコールの挨拶を小林がするところから「See you」は始まる。コロナ禍以前の小林の日常が語られる。平日はサラリーマン、仕事終わりにカフェに寄って台本などを眺めている。そして週末は公共の施設を借りて劇団の稽古。最初の30分ほどはそうした演劇人的日常が語られる。トークでは立夏(獣の仕業主宰で演出担当)とU-3THEATER主宰(?)の倉垣が「これは一体なんだろう?」と半分感心し半分呆れたようにツッコミを入れていたが、私のように「日常系」のブログを書いている者からすれば小林の意図や面白さは十分に理解できる。日常を語るといっても限られた時間の中で語る以上、すべてを語ることはできない。語られるのはほんの一握りのディテールである。どういうディテールを拾い上げてどんな風に語るかが腕の見せ所である(稽古場に向かう途中の道で前を行く劇団員の背中を語る場面、稽古場に入る前にパンやおにぎりや飲み物をコンビニで購入する場面など)。しかもそれはコロナ禍によって「失われてしまった日常」である。その「失われてしまった日常」への思いを、後半では演劇っぽい悲痛な叫びで語るのであるが、そのコントラスは私にはむしろ「平凡な劇的な構図」に見えてしまった。そういう悲痛な叫びが一瞬入るのはいいとしても、最後は(カーテンコールより前に)日常的な語り口で淡々と、坦々と、けれど耽々と(獣の目をして)終わった方が余韻があるというものではないかしら。悲痛な叫び(テンションの高い語り)がなくても(むしろその方が)悲痛な気持ちは伝えられると思うのである。

トークを含めて2時間ちょっとの時間を、楽しませていただいた。10月21日(金)~23日(日)の獣の仕業の久々の公演『マクベス』(シアター・バビロンの流れのほとりにて)を楽しみにしています。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。