一昨日、右上の奥歯の虫歯が発見されて、被せている金属を治療のために外したままになっているのだが、そのザラザラ、ギザギザした部分が頬の内側と擦れて痛い。朝、電話したら、「9時45分にいらっしゃれますか」という。いまは9時30分である。「はい、うかがいます」と答え、身支度を整えて、家を出る。自宅から歯科医院までは徒歩1分である。歯科、耳鼻咽喉科、内科、皮膚科、整形外科、眼科(利用頻度順)、いずれも徒歩5圏内に収まっている。持病の結石を定期的に診てもらっている泌尿器科(大学病院)だけが自転車で10分かかるが、徒歩圏内といっていいだろう。都市で生活していることの大きなメリットの1つだろうと思う。歯の問題は、ザラザラ、ギザギザの箇所を研磨してもらって解決した。
現代人間論系の教室会議を29日の午前中に行うべく、会議室を予約し、メールで先生方にその旨を通知する。来年度の時間割の作成に本格的に取りかからねばならない。今年度の時間割はそのままで、新しくお願いする非常勤の先生方だけに希望の授業時間を問い合わせればいいというのであれば話は簡単なのだが、そういうわけにはいかず、改めて全員(専任も非常勤も)の希望をうかがった上で、全体の調整をしなければならないのである。大きなジグソーパズルを作る作業に似ている。根気とひらめきが必要とされる作業である。
昼食(昨夜の残りのカレーライス)をとりながら、録画しておいた『ブザー・ビート』第10話を観る。川崎(伊藤英明)の方はあっさり、さわやかに引き下がったが、菜月(相武紗季)の方は直輝(山下智久)の母親にすがって「直輝と別れたことを後悔しています」と哀願し、彼女を自分の味方に取り込む。しかも莉子(北川景子)にその場面を見せつける。なんという往生際の悪さであろう。この男はあっさり、女はネチネチというのは、恋愛における伝統的なジェンダー・イメージを踏襲している。なぜ男はあっさりなのかといえば、自分のプライドを守るためである。ネチネチすることで(未練がましいヤツだと周囲から見られることで)自分のプライドが傷つくのが堪えられないのだ。女への未練よりも自尊心を優先させるのだ。では、女は自尊心よりも男への未練を優先させているのかといえば、そうではなくて、男に愛されなくなる(忘れられる)ことが女としての自尊心を何よりも傷つけるのだ。つま自尊心が傷つくことを恐れるのは男も女も同じなのだが、どうする(される)ことで自尊心が傷つくのかが異なるということだ。これが恋愛(失恋)における伝統的なジェンダー・イメージで、川崎と菜月はそれに忠実であるわけだが、現実には、ネチネチした男はけっこういるし、あっさりした女もけっこういる。それは恋愛が自己イメージの形成・維持においてもつ重要性が、従来と比べて、男において上昇し、女において下降しているからではないか、というのが私の仮説である。
子雀の健康状態はゆるやかな下降傾向にある。これが不可逆的なものか、ある時点で底を打って上昇に転じることができるか、後者であることを祈りながら、世話をしている。餌をよく食べたといっては喜び、あまり食べないといってはがっかりする。たかが雀でこんな具合だから、病気の子どものいる親というのは大変だろうなとつくづく思う。想像で言っているわけではなくて、娘が生まれたばかりの頃、医者から足に障害があるかもしれないと言われて(実際には杞憂であったのだが)、電車に乗っていても本など読めず、沈んだ気持ちで考えごとをしていた。「家族」と「健康」は意識調査で「大切なもの」の不動の1位、2位だが、本当にそうだと思う。
夜、気持ちを引き締めて、原稿を8枚書く。