今日12月16日はベートーベンの誕生日だそうですね。1770年のこと。
ベートーベンといえば、たとえクラシック音楽に興味のない方でも必ず知っている作曲家です。♪ジャジャジャジャ~ン♪で有名な運命交響曲やこの年末にも全国至る所で演奏される第9交響曲などは誰でもメロディーが口ずさめますね。
で、今回は「なぜベートーベンがこんなにもてはやされるのか?」というお話をします。
私が音楽の話をし出すと長くなるので、心して読んで下さいまし(笑)。
少しでも話を簡単にするために、交響曲に話を絞って書きます。
みなさん、「交響曲」って聞くとどんなイメージを持ちますか?
長い、重厚、コンサートプログラムのメイン、オーケストラ総動員・・・etc.
そう、今でこそ交響曲はこのように規模も大きくてクラシック音楽の代表のような扱いですが、昔(ここでいう昔とはベートーベン以前の時代を指します)はそうではなかったのです。
あくまでも音楽の主役は教会や宮廷などで奏でられる宗教曲やオペラだったのです。交響曲はそれらを演奏する前の”前フリ”みたいなもので、当然演奏時間も短くてオーケストラの規模的にも小さいものばかりだったわけです。
実際モーツアルトやハイドンの交響曲がそうですし、逆にだからこそたくさんの交響曲(モーツアルトが41曲、ハイドンに至っては104曲!)が作曲できもしたのでしょう。
ところが、ベートーベンという人はその概念を変えてしまったのです。
第2交響曲までは遠慮したのか、それまでの先輩作曲家に敬意を表していたのかモーツアルトやハイドン的な要素を色濃く残していましたが、第3交響曲「英雄」ではそれが一変します。規模も大きくなり、演奏時間も倍以上となりました。
その後第5交響曲では人間の「運命」を力強く表現し、第6交響曲では「田園」風景を見事に描写。
そして、自身9番目の最後の交響曲でついに「合唱」まで入れてしまったのです。
まさに交響曲というジャンルにおいて自分自身がやりたかったことを音楽でそのまま表現してしまったともいえましょう。
当時、ベートーベンの交響曲は評判が悪かったという話をよく聞きます。音楽に限らず、既成の概念をくつがえす人というのは得てしてそんなものですね。
ただ、それ以降の作曲家(ブラームスやブルックナーやチャイコフスキーやマーラーなど)がベートーベンの意思を受け継ぎ、様々な微調整を加えつついろんな意味で大きくしていったおかげで、後の時代において彼の作曲家としての評価がじわじわと高くなっていったのでありましょう。
まあそのような音楽的事情を差し引いても、つまるところベートーベンという人は実に”日本人受け”する作曲家なのではないでしょうか。小学校や中学校の音楽の教科書には必ず登場しますし、前述のようにクラシック音楽に興味のない人でもベートーベンという名前は必ず知っていますし、有名なメロディーは誰しも口ずさめます。
そして何より第9の「苦難から歓喜へ」というモチーフにしろ、第5交響曲の「様々な困難に打ち勝って勝利を手に入れる」というテーマにしろ実に日本人が共感しやすい部分が多々あると思うのです。
こういう「困難があるけれどそれを乗り越えて喜びを得る」というような“仕立て”は日本人は大好きですよね。苦労して成功をおさめた人のドキュメントを放映すればすごく共感を呼びますし、アニメや時代劇でも長年続いているものはみなこういう傾向な作品が多いですよね。
このように時代背景や演奏される理由なんかを考えて聴けば、今までサラッと聞き流していた音楽もまたちがう楽しみ方ができるというものです。
ベートーベンといえば、たとえクラシック音楽に興味のない方でも必ず知っている作曲家です。♪ジャジャジャジャ~ン♪で有名な運命交響曲やこの年末にも全国至る所で演奏される第9交響曲などは誰でもメロディーが口ずさめますね。
で、今回は「なぜベートーベンがこんなにもてはやされるのか?」というお話をします。
私が音楽の話をし出すと長くなるので、心して読んで下さいまし(笑)。
少しでも話を簡単にするために、交響曲に話を絞って書きます。
みなさん、「交響曲」って聞くとどんなイメージを持ちますか?
長い、重厚、コンサートプログラムのメイン、オーケストラ総動員・・・etc.
そう、今でこそ交響曲はこのように規模も大きくてクラシック音楽の代表のような扱いですが、昔(ここでいう昔とはベートーベン以前の時代を指します)はそうではなかったのです。
あくまでも音楽の主役は教会や宮廷などで奏でられる宗教曲やオペラだったのです。交響曲はそれらを演奏する前の”前フリ”みたいなもので、当然演奏時間も短くてオーケストラの規模的にも小さいものばかりだったわけです。
実際モーツアルトやハイドンの交響曲がそうですし、逆にだからこそたくさんの交響曲(モーツアルトが41曲、ハイドンに至っては104曲!)が作曲できもしたのでしょう。
ところが、ベートーベンという人はその概念を変えてしまったのです。
第2交響曲までは遠慮したのか、それまでの先輩作曲家に敬意を表していたのかモーツアルトやハイドン的な要素を色濃く残していましたが、第3交響曲「英雄」ではそれが一変します。規模も大きくなり、演奏時間も倍以上となりました。
その後第5交響曲では人間の「運命」を力強く表現し、第6交響曲では「田園」風景を見事に描写。
そして、自身9番目の最後の交響曲でついに「合唱」まで入れてしまったのです。
まさに交響曲というジャンルにおいて自分自身がやりたかったことを音楽でそのまま表現してしまったともいえましょう。
当時、ベートーベンの交響曲は評判が悪かったという話をよく聞きます。音楽に限らず、既成の概念をくつがえす人というのは得てしてそんなものですね。
ただ、それ以降の作曲家(ブラームスやブルックナーやチャイコフスキーやマーラーなど)がベートーベンの意思を受け継ぎ、様々な微調整を加えつついろんな意味で大きくしていったおかげで、後の時代において彼の作曲家としての評価がじわじわと高くなっていったのでありましょう。
まあそのような音楽的事情を差し引いても、つまるところベートーベンという人は実に”日本人受け”する作曲家なのではないでしょうか。小学校や中学校の音楽の教科書には必ず登場しますし、前述のようにクラシック音楽に興味のない人でもベートーベンという名前は必ず知っていますし、有名なメロディーは誰しも口ずさめます。
そして何より第9の「苦難から歓喜へ」というモチーフにしろ、第5交響曲の「様々な困難に打ち勝って勝利を手に入れる」というテーマにしろ実に日本人が共感しやすい部分が多々あると思うのです。
こういう「困難があるけれどそれを乗り越えて喜びを得る」というような“仕立て”は日本人は大好きですよね。苦労して成功をおさめた人のドキュメントを放映すればすごく共感を呼びますし、アニメや時代劇でも長年続いているものはみなこういう傾向な作品が多いですよね。
このように時代背景や演奏される理由なんかを考えて聴けば、今までサラッと聞き流していた音楽もまたちがう楽しみ方ができるというものです。
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