1896年の今日(4月6日)は、ギリシャのアテネで第1回のオリンピックが開催された日なんだそうだ。当時は13ヶ国295名が参加。競技は12種目だったそうで。
オリンピックといえば、ついこの前トリノ冬季オリンピックが終わったばかり。結局フィギュアの荒川選手の金メダルだけで、メダルが全然取れなかったことが随分と色々な所で物議をかもした。
いつも思うのだが、何かメダルに固執しすぎてはいないか? そもそもスポーツというのは、それぞれの選手や団体が一生懸命競技に取り組んでいる姿に共感したり感動するのであって、メダルというのは単なる結果に過ぎない。確かに競技している選手達はメダルを目標にしてやっているのだろうけど、結果として取れなかったことを第三者の我々(それも大多数は選手個々と直接の縁やゆかりのない人たち)がとやかく言ったり非難したりするのは全くの筋違いだと思う。第一、一生懸命やっている選手達に対して失礼だ。
それから、よく思うのは「頑張る」という言葉の使い方。日本人は「頑張る」という言葉を使い過ぎていると思う。記者会見でも「頑張ります」と言い、送りだす側も「頑張って下さい」と言う。
こと日常生活の中でも、職場・学校・家庭など様々な所でことあるごとに「頑張る」を連発している。なにぶん便利な言葉なので、かくいう私もたまに使用するが、できるだけ使わないようにしている。「一生懸命にやります」とか「精一杯やります」などと言うようにしている。
個人的な思いだが、「頑張る」という言葉には“無理してでも実力以上のものを出さなければいけない”というニュアンスを感じるのだ。100%あるいは時には80%の力でいいものを、プラスアルファで120%の力を出さないといけないような余分な力が入ってしまうのだ。
精神的な部分はもちろん重要だが、なにも歯を食いしばって自分の持っている力以上のものを出そうと力む必要はないのである。
みなさんはどう思われるだろうか?
オリンピックといえば、ついこの前トリノ冬季オリンピックが終わったばかり。結局フィギュアの荒川選手の金メダルだけで、メダルが全然取れなかったことが随分と色々な所で物議をかもした。
いつも思うのだが、何かメダルに固執しすぎてはいないか? そもそもスポーツというのは、それぞれの選手や団体が一生懸命競技に取り組んでいる姿に共感したり感動するのであって、メダルというのは単なる結果に過ぎない。確かに競技している選手達はメダルを目標にしてやっているのだろうけど、結果として取れなかったことを第三者の我々(それも大多数は選手個々と直接の縁やゆかりのない人たち)がとやかく言ったり非難したりするのは全くの筋違いだと思う。第一、一生懸命やっている選手達に対して失礼だ。
それから、よく思うのは「頑張る」という言葉の使い方。日本人は「頑張る」という言葉を使い過ぎていると思う。記者会見でも「頑張ります」と言い、送りだす側も「頑張って下さい」と言う。
こと日常生活の中でも、職場・学校・家庭など様々な所でことあるごとに「頑張る」を連発している。なにぶん便利な言葉なので、かくいう私もたまに使用するが、できるだけ使わないようにしている。「一生懸命にやります」とか「精一杯やります」などと言うようにしている。
個人的な思いだが、「頑張る」という言葉には“無理してでも実力以上のものを出さなければいけない”というニュアンスを感じるのだ。100%あるいは時には80%の力でいいものを、プラスアルファで120%の力を出さないといけないような余分な力が入ってしまうのだ。
精神的な部分はもちろん重要だが、なにも歯を食いしばって自分の持っている力以上のものを出そうと力む必要はないのである。
みなさんはどう思われるだろうか?