昨日、RAMPO2011(コンサート形式オペラ)という舞台に行ってきました。怪しいチラシデザインのせいなのか、色々と聞こえてくる前評判のせいなのか、珍しく二代目と一緒に行くからなのか、妙に興奮した気持ちで当日を迎えました。原作の江戸川乱歩『陰獣』は、前夜に一気に読んでその余韻を保ったまま本番に備えるという気合の入りよう。
説明は省きます。多分説明を試みると、オリンピックの開会式がどんな様子だったのかを、「・・・でね、葦の精霊が現れてね、少女を眠りから覚ますと、その子が透き通るような声で歌ってね、そうすると会場が一気に明るくなって、でね・・・」と説明するような、野暮な感じになると思うから。
帰りの車で色々な感想を話し合った二代目が、「ナオミと僕は結局のところ、同じ感想の着地点なんだよね、だけど、そこにたどり着く方法が違うの。僕は論理的見地からそこへ行こうとするし、ナオミは動物的な感覚で近付いてくるんだ。」と言ってました。そうそう、私も今までそう思ってたけど、今回ある自覚をしたんだよね。
「なんとなく、カラダが震えて、涙が出たりする。」という曖昧模糊とした感動ではなくて、「人の歌う生の声」が合わさっていくことが、私は好きでたまらないんだな、という自覚。楽器から奏でられる音、視覚に訴えてくる光や動き、人が操る機械により可能になる不思議なものごと、そういったものに、人のナマゴエがかぶさってきたとき、必ず私の(二代目の表現を借りるならば)動物的な感覚がわななく規則性に気付いたのです。大発見。
人の声の限りない可能性に、どんどん引き込まれます。もっともっと新しいものを聴きたいっていう欲望が半端ない感じになってきてるぞ。