<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

隠しカメラで、雀の暮らしぶりを写し取って、人間社会に生きる人たちに見せてくれたらいいだろうなあ。

2020年03月20日 19時26分10秒 | Weblog

隠しカメラで、テレビ局の本職さんが、雀の生活ぶりを写し取ってくれたらいいだろうなあ。

人間取材だけのニュース番組もいいけど、ちょっと変わったところで、この雀シリーズもいいと思うよ。

 

雀の暮らしぶりも、立派な暮らしぶりだ。いや、立派だ、立派なじゃないの優劣がない。優劣がまったくない。それでもって、魅惑的だ。

魅惑的で有りながら、淡々としている。こだわりがない。見せかけがない。これ見よがしがない。暮らしがみんな遊びで構成されている、そのように見えて来る。

 

まったく別の視点でものごとを見る、というのもいいことなのじゃないかな。人間的な利害損得から離れてみ、というのもいいことなのじゃないのかな。

少なくとも、愁いに満ちた老いの日暮らし、拙い我が暮らしを、いっとき忘れさせてくれる。

 

雀の暮らしぶりを見た人々も、いっとき憂いを忘れ去ってしまうかもしれない。人間の暮らしだけが最上最良最高だなどという偏狭さを、暫時、棄ててしまえるかもしれない。

雀たちは人間よりも劣った暮らしぶりだ、などという偏見を拭い去れるかも知れない。

雀の観察が、この老爺にいろいろなことを考えさせて来る。

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日長、雀の観察をしている。飽きが来ない。

2020年03月20日 18時07分18秒 | Weblog

雀。日長、雀の観察をしている。じっと観察している。観察してどうしようというのでもない。ただただ見入っている。身を乗り出して見入っている。それだけ惹き付ける何かがある。飽きない。

 

雀が何かそこでドラマを演じてくれるというのでもない。万歳をしてくれるのでもない。幸福の秘密を打ち明けてくれるというのでもない。彼らは唯、無心だ。無心に籾殻遊びに興じている。籾殻の中に落ち穂が残っているのかどうか。しきりに嘴を突いて籾殻をほじくりあげている。

 

集まって来る雀の数が日増しに増えている。雀新聞に、「ここは魅力の場所」のスポット情報を報道したのかも知れない。雀テレビ局が「行ってみてごらん、此処は楽しい」ニュースを流したのかも知れない。とにかく数が増えて行く。

 

特ダネがあるわけではない。ただ楽しい。見ているだけで楽しい。雀が、そんなこと、人間を楽しませて上げようなどと意図しているわけでは、もちろんあるまい。結果的に、この老い耄れの爺さんが、これで楽しんでいるというだけだ。それでも好奇心は増すばかりだ。親しみがいよいよ加わるばかりだ。

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お天気がいい。ぼんやりしていられないくらいに。

2020年03月20日 13時07分01秒 | Weblog

客人が帰った後は、畑に出た。ジャガ芋の種芋が3個残っていたので、これを、施肥した後で、植え付けた。生姜の種芋も、半分だけ、畑に移植した。後半分は後日に回した。

家の中に戻って来て、お昼を食べた。小さめの稲荷寿司を5個。腹が満ちた。

 

お天気がいい。とってもお天気がいい。ぼんやりしていたら、ぼんやりがもったいなく思われそうなくらいに、お天気がいい。庭先の籾殻に下りて来る雀の観察をしながら、いまはぼんやりしているのだが。

 

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午前中に客人。2組の。

2020年03月20日 12時45分45秒 | Weblog

午前中に客人。

 

今日がお彼岸の中日だから、我が家の仏壇に祀られているご先祖の仏さま方に、親類縁者の一人が、お詣りに来て下さった。ご先祖の誰かれに話がふくらんだ。

お彼岸の団子餅を、家内が作って、仏壇にお供えしていた。それと同種の、黒蜜にまぶした新しいお団子をお皿に盛ってお出しした。

お帰りになったら、今度は次の客人。

こちらは高校時代の親しい友人。籾殻を頼んでいたので、これを3袋も届けに来てくれた。それと小鳥の巣箱を、日曜大工でこしらえて来てくれた。立派な立派な巣箱である。

有り難い。有り難い友人である。何を返礼していいか分からない。

近々、夏野菜の種を数種類蒔くから、発芽したら、届けるよと言っておいたが、それだと間延びしてしまうかなあ。

 

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「御牘」の字が読めない

2020年03月20日 09時53分57秒 | Weblog

「片」ヘンに、「賣」を添えた文字が読めない。

奈良の橿原神宮から送られて来た「御牘」が読めなかったのだ。

読めないままにして数週間過ぎた。

やっぱり気になる。昨日やっと調べてみた。

訓読みでは、「かきもの」「てがみ」「ふだ」と読むらしい。

木の札、書き物、文書、手紙、書き下す木の札、の意味がある。

「御牘」が「おふだ」と読めた。溜飲が下がった。一件が落着した。橿原神宮の神さまが書き下された文書である。祝意のこもる手紙、木の札である。うやうやしく押し頂く。

 

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「御牘」の字が読めない

2020年03月20日 09時53分57秒 | Weblog

「片」ヘンに、「賣」を添えた文字が読めない。

奈良の橿原神宮から送られて来た「御牘」が読めなかったのだ。

読めないままにして数週間過ぎた。

やっぱり気になる。昨日やっと調べてみた。

訓読みでは、「かきもの」「てがみ」「ふだ」と読むらしい。

木の札、書き物、文書、手紙、書き下す木の札、の意味がある。

「御牘」が「おふだ」と読めた。溜飲が下がった。一件が落着した。橿原神宮の神さまが書き下された文書である。祝意のこもる手紙、木の札である。うやうやしく押し頂く。

 

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朝ご飯は豆腐の味噌汁だった。

2020年03月20日 09時42分23秒 | Weblog

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朝ご飯はお豆腐の味噌汁だった。新玉葱も具材になっていた。ここへ試しに納豆を少しだけ落としてみた。意外と行けた。

ご飯は白ご飯。炊きたての。高菜の一夜漬けに胡麻を和えて醤油を垂らす。そしてご飯に載せる。しばらく鼻で香りを楽しむ。そしてごっくんと飲み込む。

畑のカリフラワーも茹でてある。ケチャップとマヨネーズを掻き混ぜたなんとかという練り物をつけて、小鳥のようにして次々に食べた。

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嬬恋をする雉子の雄鳥の鳴き声

2020年03月20日 09時38分21秒 | Weblog

我が住む山里周辺にはキジが棲んでいる。夜も更けて遠くからケーンケーンと鳴いているのは嬬恋(つまごい)する雄鳥。独り寝ができないのだろう。

昼間、偶に見かけることがある。頭の先から尻尾の先まで絢爛豪華で、なかなかの美男子である。

ある朝ひょっこり、キジがつがいで我が家を訪ねて来てくれたらいいけどなあ。キジ餌はすでに買い求めて来ている。

 

 

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障子戸を静かに引く。庭の雀を驚かさないよう。

2020年03月20日 09時30分41秒 | Weblog

6時半起床。障子戸を静かに開く。庭に撒いた籾殻に集まって来ている雀を、驚かせないように。

雀だけではなく、ヒヨドリの雌、百舌鳥、ジョウビタキも集まって来る。小鳥の楽園を眺めているのは楽しいことだ。

小鳥たちは競って小さなわが庭園を、大きな楽園にしてくれる。

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3月は、「音の春」。耳を快にしてくれる。

2020年03月20日 08時25分09秒 | Weblog

2月は「光の春」、3月は「音の春」、4月は「気温の春」。などと言うらしい。

光になって訪れて来る二月の春。音を立てて訪れて来る3月の春。気温の変化になって訪れて来る4月の春。

二月の春は目を楽しませ、三月の春は耳を楽しませ、四月の春は肌を楽しませてくれる。

三月の耳の楽しみ。雪解けの雫の垂れる音、雪解け水を集める谷川の響き。花の蕾が開く音。蕾の蜜を吸いに来る小鳥の鳴き声。穴籠もりから這い出て来る獣たち、虫たちの足音。池の小魚の跳ねる音。

 

 

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