<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

これまで耳を楽しませてくれたから。

2020年03月23日 09時56分39秒 | Weblog

雀の長屋を作ることにした。仕切りをつけてアパートにする。

材料は買ってきた。

しかしこの老人は頗る不器用。日曜大工も苦手だ。

どうしよう。

作成が完了したら、これを取り付けなければならない。

猫が寄りつかない場所、すなわち高いところに。蛇が這い上って来ないところ、すなわち壁伝いではないところ。

台風に飛ばされないでいいところ。すなわち、風の当たらないところ。

みな脚立に上がって取り付けねばならない。これが恐い。これで足の骨を折って入院した経験もある。

でも、やりたい。雀の恩返しがしたい。

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恩返し?

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そう。これまで耳を楽しませてくれたから。わたしの生きている世界を楽しく賑やかにしていてくれたから。

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釘はあるか。金槌はあるか。ノコギリはあるか。出入り口の丸い穴は開けられるか。蝶番をして開け閉めが出来るようにしておかないと、巣作りの後のお掃除ができないぞ。

 

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種がよろこびの種にもなっている。

2020年03月23日 09時47分08秒 | Weblog

さあ、もう10時に近い時刻。

いつもの野良着に着替えをして、外に出ようよ。

背丈を伸ばした畑の菜の花がしきりに揺れているから、寒いかも知れない。

だったらジャンパーを引っかけて行こう。

何をする?

することはいっぱいある。

縦横の畑に草が生えている。草の勢いが凄まじい。

これを抜いて耕して夏野菜の植え付け準備に入らねばならない。

昨日は6時半の日没まで働いた。よく働いた。

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トマト、茄子、胡瓜、ズッキーニ、オクラの種蒔きをした。有機培養土を小さなポット満たし、ここに小さな種を一個ずつ落として行った。

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毎日水撒きをして、発芽を待つことになる。

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種がよろこびの種にもなっている。楽しみの種にもなっている。

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万物が活動の時を迎えている。活動する愉快を分けて貰う。

2020年03月23日 09時32分49秒 | Weblog

桜始開(おうしかい)のときが訪れて来ている。

桜、開花を始む。

近くの公園の桜を昨日見て回ったら、それを実感した。一枝、開花をしている老木を見つけた。

雷乃発声(らいのうはっしょう)のときでもあるらしい。そうだったのか。雷は夏だと思っていた。春に生まれているのか。春の嵐に、ごろごろ鳴り出すことがあるのだろう。

雀始巣(じゃくしそう)するのは春分、春の彼岸の頃かららしい。雀が巣を作り始める。嬉々として作り始める。雀が嬉々としているのなら、この老人も嬉々としていたくなる。

雀の観察をしていたら、なるほどペアを見つけた。卵を産む前だろう。夫婦が木の枝に乗ってちょくちょくセックスしている。こうしないと有精卵にはならない。孵化して来られない。

春は万物が活動期に入る。活動を盛んにする。いいときだ。活動の時はいいときだ。それを見ているだけだが、見ているだけでも愉快だ。春の愉快を分けて貰う。

 

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さぶろうよ、暫く憂いを手放そう。

2020年03月23日 09時00分08秒 | Weblog

死ぬ時が来れば死ぬことになる。だが今が生きるときであれば、生きることになる。

憂いていても憂いていなくとも、そうなる。早々と悩んで苦しんでいても、そうしていなくても、終わりが来る。

1000の1000乗回憂いを抱いても抱かなくても、事態は次へ回って行く。回るべき時が来たら回って行く。

次へ。またその次へ。転回をして行く。だからいつも今は過渡期。変化の時。

憂いのモーターが憂いによって回転しているかのごとき印象を持つのだが、しかし、憂いは派生しただけのものであって、動力源にはなっていない。回しているのは別の大きな力だ。天のエネルギーだ。

憂いた方がいいのか。憂わないでもいいのか。憂いてもいいが、憂わないでもいい。憂いたくてしょうがないので、しきりに憂いているが、結果論から言えば、足しにはなっていない。

時が来たら時が動かして行く。転回させて行く。次の場面へ移行している。

快楽安穏(けらくあんのん)でいいのである。仏陀の快楽を我が快楽とし、仏陀の安穏を我が安穏としていても、それでもいいのである。

牡丹の花の微笑を我が微笑としていてもいいのである。微笑をしてはいけないということはないのである。

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そよそよと吹き渡る春風の上機嫌を、天衣にして着込んで、上機嫌にしていてもいいのである。

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また我が不快を、天に覆い尽くして、天の不快としていなくてもいいのである。覆い尽くしたと思っていても、覆い尽くしてはいないのだから。

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この老人もずいぶんと老いた。日々が老いの日々だ。老いの先には病があり、病の先には死があるであろう。これは免れることは出来ない。

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それまでをどうするか。どうしておくか。感情や感覚は付着物である。付着させているに過ぎない。それが本体ではない。

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仏陀の快楽を我が快楽としていてもいいのなら、そうしていたい。仏陀の安穏を我が安穏にしていてもいいのなら、そうしていたい。そうしているだけの覚悟がついているのなら、だが。

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今日はここまでとしよう。春のひと日。さぶろう翁にも、あれこれ考えることがある。考えどううするものでもない。憂いに包まれて暗鬱に暮らしているのが嫌になった。暗鬱にしていてもしていなくても、死ぬ時が来れば死んで行けるのである。しばらく憂いを手放そう。

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一年ずっとこの時を待っていたのだ

2020年03月23日 08時43分54秒 | Weblog

鉢植えの牡丹の蕾。朝日の日射しを受けている。輝いている。蕾は球形をなして、真ん中がもっともふくらんでいる。直径6cmほどになっている。今朝、とうとう、蕾のとっぺんが破裂して、ピンクの花片がちらりと覗いた。この時を待っていたのだ。一年待っていたのだ。その時がこの時なのだ。

気温が上がるに連れて、開花は進むだろう。すぐ近くのベランダにこれを引き寄せて、僕はこれを眺めている。ベランダには光が跳ねている。天気は快晴。空の色がいい。風が僅かにあって、牡丹の紅い茎と枝と葉がかすかに揺れている。いい一日になりそうだ。全世界がいい一日になりそうな予感。

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