今日は、昼間の気温が21℃まで上がった。
我が家の庭の、ツツジが我慢できずに、蕾を開いて来た。
しかし、幾らなんでも、せっかちすぎるだろう。
逸る気持ちを抑え切れなかったのかもしれない。
昼間は暑かったが、夕方からは風が吹き出して、むしろ寒く感じられた。
今日は、昼間の気温が21℃まで上がった。
我が家の庭の、ツツジが我慢できずに、蕾を開いて来た。
しかし、幾らなんでも、せっかちすぎるだろう。
逸る気持ちを抑え切れなかったのかもしれない。
昼間は暑かったが、夕方からは風が吹き出して、むしろ寒く感じられた。
日の尺池の突きだし半島に、早咲き桜が咲きだした。
毎年、この桜がこの公園のすべての桜をリードする。
車を留めてしばし見いってしまった。
いわば先駆け桜。山桜系列だろうか?
シャッターは切ったが、うまく撮れてはいない。ぼんやりしている。
今日は、外の気温が、なんと20℃を越えている。暑い。
窓を開けて運転をした。
娘の入院先の病院まで。
手術後は、順調に回復しているようで、ほっとしている。
新聞を買って来たが、まだ読む気にはなれないらしい。
腕にはまだ注射針が刺さっている。ベッドに寝たままだ。
「反転しながら人は輝き出す」
波は、低くなったり高くなったりする。そうやって進んで行く。進んで行くために、波状となる。低くなったり高くなったりする。だから、低く暗い立ち位置、不如意の時を恐れないでもいい。此処で、次へ向かうための下ごしらえをしている。その最中なのだ。
低くなるのは高くなるため。高くなるのは低くなるため。そうしないとモーションが起こせないのだ。エネルギーがそれで順次、互いへ働き掛けていく。力を貯蔵して放出して、また貯蔵して、低く高く反転反転をして行く。決してストップしない。一つの結果が次の原因になって繋がって行く。うまくしたものだ。先へ、その先へ、更にその先の輝きへ進んで行けるようにしてある。病も死もゴールではなく、次へ反転をする。反転を繰り返して輝いて行く。その輝きに感動を覚えて行く。
暗い現在を恐れるな。病を得て苦しい時に、そんなことを思った。唸り声の底から元気を奮い起こして、ほんの少しだけ輝いてみた。
☆
これは昨日のN新聞に載った僕の投稿エッセー。
☆
病を得たときだけではない。苦しみは、普段でも、連続している。あれこれと苦しんでいる。悩んでいる。どうなるだるどうなるだろうと危ぶんでいる。その不安を払拭する努力をする。するしかない。
こんなエッセーを書いて自分自身を励ましてみた。同じ思いをしている人なら、頷いてもらえるかもしれない。
娘の手術は無事に済んだ。予定の時間内で。その後、執刀医からの説明を受けた。お礼を述べた。順調に終了して、ほっとしている。明日にはリハビリも始まるらしい。
約3時間、気を揉みながら、手術室の入り口の家族控え室で待っていた。控え室の外は庭になっていて、やや草丈の高いクリスマスローズが咲いていた。
麻酔がとけた後で、ベッドにやすんだままの娘が手術室を出て来た。「終わったよ」の声を掛けた。娘は軽く頷いた。顔色もいい。
僕は4時になって帰ることにした。家内は見舞い時間終了間際まで付き添っていたようだ。夕食は一人で食べた。昨夜の夕食の残り物を。一人で食べる食事はあじけなかった。