<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

さげもんの雛祭り

2020年03月11日 12時53分14秒 | Weblog
柳川に来た、ぶらり。陽射しに誘われて。
 
雛祭りが飾ってある。さげもん。
 
さげものがぶらりぶらり下がっている。
 
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次へ次へ進んで進んで、いっときも立ち止まらない。今日が明日にならないことはない。

2020年03月11日 10時26分31秒 | Weblog
そう。次へ次へ行く。とどまっていない。動いている。動いて行く。次へ、また次へ。そのまた次へ。進んで行く。いっときも立ち止まっていない。
 
人もそう。人もとどまっていない。立ち止まっていない。死ねば終わりだと考えるけれども、それもそうではなくて、じっとしていない。先へ進む。
 
0になり1になり、0になり、マイナス1になり、0になり、またプラス圏の1になって行く。こうやって先へ先へ進んで行く。次へ次へ移動して行く。心配はいらないのだ、と思う。
 
成り行き任せでいいのだ、とも思う。どうしようもないものはどうしようもない。見ているしかない。大きな大きな歯車が動いて行くのだ。宇宙全体がいい方へ、いい方へ、もっといい方へと動いて行くのだ。
 
わたしが案じることはない。動かしているのは毘盧遮那仏。仏陀の毘盧遮那仏が動かしているのだ。
 
お日様が輝いて来た。輝きの中で菜の花の黄色が息づいている。息づいているのは菜の花に限ったことではない。一切がそうなのだ。輝きそのものなのだ。キラメキそのものなのだ。
 
何があっても不思議ではあるまい。あってよし、だろう。恐れるものなし、南無仏、この心境でいる者の勝ちか。恐れてもいいが、恐れて得をすることはない。慌てふためくだけでそこには利するもの、益がない。安穏という益がない。
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次へ次へ進んで進んで、いっときも立ち止まらない。今日が明日にならないことはない。

2020年03月11日 10時26分31秒 | Weblog
そう。次へ次へ行く。とどまっていない。動いている。動いて行く。次へ、また次へ。そのまた次へ。進んで行く。いっときも立ち止まっていない。

人もそう。人もとどまっていない。立ち止まっていない。死ねば終わりだと考えるけれども、それもそうではなくて、じっとしていない。先へ進む。

0になり1になり、0になり、マイナス1になり、0になり、またプラス圏の1になって行く。こうやって先へ先へ進んで行く。次へ次へ移動して行く。心配はいらないのだ、と思う。

成り行き任せでいいのだ、とも思う。どうしようもないものはどうしようもない。見ているしかない。大きな大きな歯車が動いて行くのだ。宇宙全体がいい方へ、いい方へ、もっといい方へと動いて行くのだ。

わたしが案じることはない。動かしているのは毘盧遮那仏。仏陀の毘盧遮那仏が動かしているのだ。

お日様が輝いて来た。輝きの中で菜の花の黄色が息づいている。息づいているのは菜の花に限ったことではない。一切がそうなのだ。輝きそのものなのだ。キラメキそのものなのだ。

何があっても不思議ではあるまい。あってよし、だろう。恐れるものなし、南無仏、この心境でいる者の勝ちか。恐れてもいいが、恐れて得をすることはない。慌てふためくだけでそこには利するもの、益がない。安穏という益がない。
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両者はいたちごっこをしているようでもある

2020年03月11日 10時16分40秒 | Weblog
恐怖が襲う。人類はこれと鬩ぎ合う。災いが降りかかる。さまざまな災いが追いかけて来る。手を変え品を替えて待ち受ける。恐怖に煽られる。ギブアップしそうになる。

しかし、必ずこれを乗り越えて行く。乗り越えて来た歴史がある。何万年、何億年、これを繰り返している。その度に逞しくなる。新しい進化をして行く。しかしまたその恐怖も新しくなる。両者はいたちごっこをしているようでもある。
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わたしを見て! 美しくなったわたしを見て!

2020年03月11日 10時12分28秒 | Weblog
ドライブをしていると、木蓮が目に付く。ハクモクレン、シモクレン、それによく似た辛夷(こぶし)が、大きく高く、通りがかりの家の庭先を飾っている。実に華やかだ。一年に一回この季節がやって来る。今年もその季節を生きていることができる。そういう感慨に浸る。ふかふかした幸福に辿り着く。

「わたしを見て!」「わたしを見て!」「美しくなったわたしをその目でしっかり見て!」「ね、わたしは天使なのよ、天の使いなのよ、美の神々の遣いなのよ」彼女らが口々に叫んでいる声が聞こえて来そうだ。
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華を見る楽しみは、逃せない

2020年03月11日 10時06分50秒 | Weblog
昨日は、やや遠くまで出掛けて行って、蕾の着いた牡丹の苗を買って来た。蕾は4つ着いている。小さいが膨らんでいる。紅い牡丹だ。大きめの鉢に移し替えて玄関先に飾った。

育てるのが上手じゃない。いつも枯らしてしまう。枯らさないまでも、蕾を着けないで終わる。そして毎年、こうやって買って来てしまう。

花を見る楽しみは、逃せない。牡丹はことさらに華やかだ。「オレはこうやって生きている世界に花を咲かせて楽しんでいるのだ」そういう主張さえ聞こえて来そうだ。

蕾は日を追って大きくなって来るだろう。この老爺の楽しみもそれに順応して大きくなっていくだろう。存在価値が日々に薄れていくこの老爺なのに、それを覆してくれる。有り難いことだ。


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影響なしでいいのである。

2020年03月11日 09時59分36秒 | Weblog

結局昨日はブログを一回も投稿しなかった。読んで下さるような作品が書けない。こんなものをかいてどうする? と訝(いぶか)ってしまう。するともう書けなくなる。唸っても同じ。

読者を意識しない方がいいだろう。すると判断を仰いでしまうことになる。どうだっただろうか、と思ってしまう。「なんだ、つまらない」と吐き捨てられている図を想像する。

するともう挽回が出来なくなる。敢えて挑戦する気概が薄れてしまう。読んで下さる読者の方には相済まないが、やっぱり読者を意識しない方がいいだろう。これが僕の下した結論である。

雲のようにしていればいいのである。流れて来る雲のようにしていればいいのである。そこにぽっかり浮かんでいればそれでいいのである。互い互いは、影響なしでいいのである。


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理屈はない。そんなものつけないで済んでいる。

2020年03月11日 09時52分28秒 | Weblog
今日はお天気がいい。朝日が輝いている。でも、風も吹いている。寒そうだ。外に出て行くのはもう少し待とう。炬燵に入って、YouTubeで癒やし系の音楽を聴いている。

窓の外は菜の花畑。畑の様々な野菜たちがそれぞれに一斉に花開いている。皆一様に黄色い。大根の花を除いて。野菜たちはどうしてか黄色い色が好きなようだ。黄色は、もしかして共通して、幸福の色かしらん。

地上を埋める黄色を見ていると、こちらも幸福を感じて来る。ぽかぽか暖まって来る。何故そうなるか。理屈なんてない。そんなものつけなくても済んでいる。

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ジャガ芋の植え付けを始めている

2020年03月11日 09時26分16秒 | Weblog
ジャガ芋の植え付けを始めている。気品のあるジャガ芋の、紫色の花を楽しむために、大きめの鉢に植え付けている。たっぷりと元肥を投入して。楽しい。

花を楽しんだ後は、もちろん、掘り出して実を食べる。キタアカリという品種だ。一個だった種芋が、不思議不思議、いつのまにやら幾つにも増殖している。太っている。蒸かして、皮を捲って、バターを塗って、そのままがぶりと食べるのがおいしい。


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