小学生が春休みしている。遠くには行けない。集落内をミニ自転車に乗って遊んでいる。きゃっきゃっきゃっの声。楽しそうな声が聞こえる。老人は耳をそばたててこれを集音する。
集落内に小学生はわずかしかいない。だからこどもは宝物である。ダイアモンドである。高齢になればなるほど、ダイアモンド級のこどもの声が聞きたくなる。これで元気が貰えるからだ。
小学生が春休みしている。遠くには行けない。集落内をミニ自転車に乗って遊んでいる。きゃっきゃっきゃっの声。楽しそうな声が聞こえる。老人は耳をそばたててこれを集音する。
集落内に小学生はわずかしかいない。だからこどもは宝物である。ダイアモンドである。高齢になればなるほど、ダイアモンド級のこどもの声が聞きたくなる。これで元気が貰えるからだ。
甘ったるい歌謡曲は、歌謡曲にしなければ、人間の心の奥底に沈澱している甘ったるい感情を、書けないからだろう。
「きみをみつめていたい」なんて歌詞が書いてある。
そんな表現は日常用語では使えない。でも、そういう願望はある。隠してある。こころの湖の底に強制的に眠らせてある。
好きな人を見詰めて過ごしていられればどんなにかいいだろう。幸せ気分だろう。でもそれはできない。ほぼ、できない。
だから、非現実的。いってみれば夢みたいな話。だから夢にしておくのだろうね。あれは歌謡曲の中の世界だとしておけば、それを歌にして口ずさんでいても、羞恥心も薄らぐ。
でも、「きみをみつめていたい」気持ちがこれで満足させられるのだ。で、歌謡曲が売れるのだ。きっとそうだろう。非現実と現実の両方を一度に享受できるからだ。
曇り。空は灰色雲に覆われて、地上には日がわずかしか差し込まない。薄暗い。こころなしか寒くも感じられる。
こんなときには、お日様が、晴れた日の何倍も多く、慕われる。受けられなければそれだけ価値が増す。
今日は月曜日。世の中は一週間の活動の始まる日。このぼんやり老人は、さて、曇りの一日、何をして過ごそう。
どんな関係性が生まれているんだろう?
僕とこのチューリップたちとの間に。
関係性なんて、ない?
そんなことはあるまい。
あるんだ。
あると思いたいんだ。
⭐
我が家の庭にチューリップが咲いた。
10個?
いやもっと。
20個?
いやもっと。
30個?
いやもっと。
もっともっと。
キレイにキレイにキレイに咲いているけど、誉めてもらえないでいる。
で、この老爺が、100人になっている。
100人分を見て、驚いて、わあわあキレイキレイを声に出している。
褒める努力をしている。
⭐
関係性を持とうとして、躍起になっている。
無関係の冷たさは嫌だと思っている。
⭐
老爺もこの地上にしばらくを生きている。
チューリップたちも、この地上にしばらくしかいない。そのしばらくを、美しく生きたいと願って、そうしている。美しい花を咲かせている。
⭐
この春が過ぎて行けば、彼らはこの仕事を終える。地上での仕事を終える。
その段階で、しばらくが終わったのだ。
⭐
ほんのしばらくというところで、両者が繋がりを持つ。
いまは、全世界の人々が一つになって、共通の努力をしている。最大限の努力をしている。
ウイルス軍と戦っている。知恵を絞っている。人類の共通の敵に勝とうと努力している。
これでやっと世界が一つになれたかもしれない。
地球に生きる人類として心を一つにすることが、どんなに大事なことなのかということを学習する機会になるのかもしれない。
これからは人が人を殺す戦いをしないですむようになれるかもしれない。
多くの犠牲を払ったのだ。
これでやっと、人が人を愛し合っていける時代になって行くのかもしれない。
いまは、全世界の人々が一つになって、共通の努力をしている。最大限の努力をしている。
ウイルス軍と戦っている。知恵を絞っている。人類の共通の敵に勝とうと努力している。
これでやっと世界が一つになれたかもしれない。
地球に生きる人類として心を一つにすることが、どんなに大事なことなのかということを学習する機会になるのかもしれない。
これからは人が人を殺す戦いをしないですむようになれるかもしれない。
多くの犠牲を払ったのだ。
これでやっと、人が人を愛し合っていける時代になって行くのかもしれない。