<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

休み休みしながらすればいい。

2020年03月24日 19時50分33秒 | Weblog

今日も日が沈む直前まで草取りをした。風が吹いて寒くなった。

毎日少しずつ、夏野菜栽培の準備が出来ていく。

でも、まだまだ一割二割程度のところまでしか進んでいない。

手袋が汚れて真っ黒になってしまう。毎日幾つもの手袋を交換する。洗って干している。

焦ることはない。楽しみ楽しみながらでいい。ゆっくりゆっくりでいい。休み休みしながらでいい。

などと自分に言い聞かせているが、所詮怠け者。この怠け者は、いつまで努力が続くやら、分からない。

あ、びっくりすることがあった。抜いた草のとっぺんさきにバッタが止まっていた。手袋の先まで歩いてやって来た。春のバッタは初めて見たようだ。

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世に非難されない人はいない。

2020年03月24日 18時33分56秒 | Weblog

沈黙する者は非難され、多くを語る者も非難され、少しく語る者も非難される。世に非難されない人はいない。

 

釈尊は、アツラという人に向かって、こう言われたことがあった。またこうも説かれた。

ただ誹謗されるのみの人、人から非難されるのみの人は過去にもいなかったし、未来にもないであろう、そして現在もいない。

またほめられるのみの人も、同じように過去にもいなかったし、未来にもないであろう、そして現在にもいない。

今日は仏典の此処を読んだ。そして考えることがあった。色々考えては見たが、結論には到達しなかった。

みな道の途中を行く人であるから、現在でもって完璧な人はいない。完全な人もいない。不完全である。だから、非難を受ける。非難を受けることは辛いこと悲しいこと苦しいことなのだが、それで成長を促されることにもなる。それを聞いて、我が身を是正をしながら道を進んでいくことも出来る。

非難されることもあるが、ほめられることもある。誹謗されるばかりでもない。誹謗そのものも不完全だから、その不完全性を露呈することがある。誹謗する快楽に酔っていただけというのもあるから、酔いが醒めたら、そこで制止することになる。

誹謗されている人であっても、誹謗の矢を送り返さずに、相手をほめることはできる。相手を褒めることで、誹謗される苦しみから逃れることも出来る。ほめられることも楽しいことだが、ほめることも楽しい。それを知ることになる。

誹謗が当を得ていることもある。この場合は、誹謗にはならない。それは忠告である。忠告であれば、受け入れやすい。これで我が身を是正すればいいのである。是正した暁には、忠告をしてくれた者も、ともに、喜んでくれることになる。

われわれは人の中にいるから、人の目がある。いつも人の目がわたしを見ていることになる。そしてその人の目が気になってしようがない。人はどう見ているだろうかと気がかりになる。そうすると、人の目に合った生き方をすることに専念するようになって、主体性が失われ、依存性が高くなる。

黙っていても非難されるのであれば、黙らなくなったら非難がなくなるはずだが、新たな段階に進めば、そこでまた新たな非難が追加されることになる。非難は付いて回る。のであれば、非難から逃れることは出来ない。非難される苦しみを最小限にして、忍耐をこころみ、腹を据えることになる。哲学がそこに生まれても来る。

非難される側にいるだけではない。わたしたちは非難する側に回ることも大好きなのだ。受難者であるばかりではない。十中八九は、加害者にもなっているのである。恨みをはらすというのも加害の一方法である。正義を等しているように見えて、実は不正義に落ちてもいるのである。

人の振り見て我が振り直せの諺がある。

といっても我が身の不正義と向き合っているばかりではつまらない。そうしていれば、鬱屈した性格の人になってしまいそうだ。息を抜くことも必要だ。解き放つことも必要だ。精神衛生上、そうした方が得策である。気分を転換して、散歩でもしたらいいのである。音楽でも聴いたらいいのである。

 

仏陀は此処で何を説き明かしたかったのであろう。聞き手のアツラという人の悩みを解放してあげたかったのだろうか。仏陀は人を見て法を説く人であった。アツラは多く非難を受ける立場の人だったのだろうか。

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畑の葱坊主もはち切れる

2020年03月24日 17時41分26秒 | Weblog

畑の九条ネギが葱坊主をつけた。

 

春になって、膨らみにふくらむ。パンパンにふくらむ。命がはち切れる。

葱坊主もはち切れる。エネルギーが湧きに湧いているのだろう。

 

もういっときもじっとしていられないらしい。

 

春という季節。あらゆるものが、外へ向かって外へ向かって、旺盛に活動をし始める季節。

 

人間の精神もかくこそあらん。かくこそあらん。‼️

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なんでもかんでも、笑い飛ばせたら、いいなあ!

2020年03月24日 15時38分25秒 | Weblog

あっはっは、あっはっは、あっはっは、笑って過ごせ。

 

その方がいいなあ。

 

笑い飛ばせたら、いいなあ。なんでもかんでも、遠くへ飛ばしてしまう。

 

笑い飛ばせずに、かくまっているけど、それだけの値打ちがあるのかどうか。わからない。

 

生きている間のことなんだ、あくせくしてるのは。苦悩に顔を歪めているのは。

 

歪めていたって、どうにかなるもんでもないのに。

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花粉症はくしゃみが出るわい

2020年03月24日 15時28分21秒 | Weblog

花粉症はくしゃみが出る。頻繁に出る。

人前では、これが困る。

 

クリニックの待合室にいる。くしゃみが出ると、人が睨む。にらまれているようで、縮こまる。

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遠く遠く、最高の生き方から外れているまま。

2020年03月24日 14時47分47秒 | Weblog

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お日様が照っている。2020年、3月24日、一面、春の景色。

というのに、今日も亦僕は苦悩煩悩まみれである。遠く遠く、最高の生き方から外れているままである。現実の僕は、この苦悩する現実から抜け出せない。

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そういう自分を想定して楽しんでみる。

2020年03月24日 14時41分15秒 | Weblog

仏陀の悟りを悟ってものを考えている自分。それを現出させてみる。そういう自分を想定してみる。楽しんでみる。

無理矢理いい気持ちにさせてみる。

ちょっとだけその完成者仏陀の瞑想をしてみる。軽くなってみる。

 

 

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それができたら、すっからかんになれるだろうな。

2020年03月24日 14時38分51秒 | Weblog

それができたら、すっからかんになるだろうな、って思う。ふんわりの雲になって軽々と空に上がって行ってしまうだろうな、って、思う。

 

今この瞬間だけでいいから、完成者の仏陀になっていたらいいだろうな、って。

 

 

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それができたら、すっからかんになれるだろうな。

2020年03月24日 14時38分51秒 | Weblog

それができたら、すっからかんになるだろうな、って思う。ふんわりの雲になって軽々と空に上がって行ってしまうだろうな、って、思う。

 

今この瞬間だけでいいから、完成者の仏陀になっていたらいいだろうな、って。

 

 

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みんなみんな手放してみたくなる。

2020年03月24日 14時36分16秒 | Weblog

それをさせないで来たあらゆるもの、重たい頑丈な錆び、無用な障害物を一気にどさりと投げ捨ててみたい、って。

 

拒否も拒絶も、怨嗟も憎悪も、憂いも悲しみも、卑下も増上も、自己否定も社会批判も、慨嘆も不安も、みんな手放してみたくなる。

すべての判断をせずに、それを無にして空にして。

 

 

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