<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

少年少女合唱曲「光の子」

2016年01月22日 11時06分16秒 | Weblog

童謡「光の子」  作詞 李 白黄

光るのは/あれは/光の子だよ/あそんでいるんだよ/雲の中は/たのしいんだよ/さあさあと/呼んでいるんだよ

光るのは/あれは/光の子だよ/笑っているんだよ/池の中は/たのしいんだよ/さあさあと/呼んでいるんだよ

光るのは/あれは/光の子だよ/踊っているんだよ/屋根の上は/たのしいんだよ/さあさあと/呼んでいるんだよ

光るのは/あれは/光の子だよ/あまえているんだよ/膝の上は/たのしいんだよ/さあさあと/呼んでいるんだよ

光るのは/あれは/光の子だよ/どっさりいるんだよ/ここに来ると/たのしいんだよ/さあさあと/呼んでいるんだよ

即興で作ってみました。曲がほしいなあ。少年少女合唱曲が作れたらいいのだが。

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風景画の中は冬でもあたたかい

2016年01月22日 10時47分10秒 | Weblog

作詞:北原 白秋、作曲:山田 耕筰
童謡「ペチカ」   北原白秋作詞 山田耕筰作曲


雪のふる夜は たのしいペチカ/ペチカ燃えろよ お話しましょ/むかしむかしよ 燃えろよペチカ

雪のふる夜は たのしいペチカ/ペチカ燃えろよ おもては寒い/栗や栗やと 呼びますペチカ

雪のふる夜は たのしいペチカ/ペチカ燃えろよ じき春来ます/いまにやなぎも 萌えましょペチカ

雪のふる夜は たのしいペチカ/ペチカ燃えろよ 誰だか来ます/お客さまでしょ うれしいペチカ

雪のふる夜は たのしいペチカ/ペチカ燃えろよ お話しましょ/火の粉ぱちぱち はねろよペチカ

ペチカはロシア式暖房施設。壁際に立つ立体暖炉だ。こんなもんが明治には取り入れられたのだろうか。やっぱり薪をくべて部屋をあたためる。外は雪がしんしんと降っている。こどもたちが集まってお話を聞いている。話し手が「むかしむかしがあったとさ・・・」で語り始める。栗の木の下では秋に見落としていた栗を拾ったこどもらの声が呼んでいる。お客様が来て場が一気に賑わいを見せる。火の粉がぱちぱち跳ねている。柳の萌える春が待ち遠しいのだが、ペチカの回りに集まっている冬も案外と楽しい。「雪の降る夜はたのしいペチカ ペチカ燃えろよ」までは繰り返し。ペチカの冬を楽しんでいるこどもたちの目がみんな明るくかがやいている。北原白秋の描いた風景画の中に移住するとそこはもうペチカの部屋のようにあたたかい。 

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今朝のびっくりぽん

2016年01月22日 10時30分29秒 | Weblog

朝刊一面にこんな記事。「太陽系に第9惑星?」小見出しに「海王星の外側 重さ地球の10倍」アメリカ・カリフォルニア工科大学の研究チームが、この存在の可能性を発表した。この第9惑星は、太陽から海王星までの距離の20倍離れた軌道地点を回っているらしい。質量は地球の10倍で、木星や土星と同じくガス惑星のようだ。太陽系外縁部カイパーベルトには無数の天体が密集しているという。びっくりぽん、である。

 

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自利と利他についての私論

2016年01月22日 09時47分58秒 | Weblog

自利と利他。山の頂上を目指しているときの姿が自利。修行時代だ。自らを叱咤激励させて向上を図る。修行が成って山を下りて人の中へ進んで行くときの姿が利他である。

ところがこれがなかなか向上しない。麓をぐるぐる回っているだけで、高くならない。山頂に着かない。着かないうちに人生の日暮れになってしまう。すると一生がただ自分を鞭打つだけで終わってしまう。

利他のための自利なのに、自利だけで人生を使い果たしてしまう。利他を一つもなしえないうちに死ぬことになる。利他をする力がついてこなかったのだから、実力行使が出来なかったのだ。おれはなんのために生きたのか、と悲しく寂しくなる。

人は人のために生きている。大乗仏教はそう説いている。だから、自己の悟りが到達点ではない。悟りの内容を具体化して実践すること、そこからが仏道の励みだとしている。悟りまでは一人乗り自転車であるが、実践はそうではない。多くの人を乗せて彼岸に渡さねばならないから、船旅になる。

自己(じこ)という己を生きるのではない。他己(たこ)という己を生きるようにならなければならない。自己を回る円周から抜けて出なければならない。そして他己という大きな円周を回るのだ。

そうすると自己の円周を回っていたときの悲しみ苦しみが変質をする。それがそれで終わりではなかったことが知らされて来る。他己の円周への準備だったことに気づかされてくる。一回り大きくなったのだ。

山頂に到達しなかった修行者はどうすればいいか。犬死になのか。苦心惨憺して自己完成を目指した苦労は報われないのか。彼は山を下りて衆生済度を実行しなかったのであるから、片道切符だったのだ。ワンウエイだったのだ。

往相廻向をすませたら、彼に待ち受けているのは還相廻向である。往相は往き道、還相は帰り道。廻向とは振り向けることだ。貯め込んだ力を他者に振り向けることだ。

浄土往生を果たした者というのは自利に甘んじることはない。極楽浄土の極楽を楽しんでいるだけだったらそれは自利である。悟りに達した者のすることではない。彼はすぐさま引き返して衆生済度に献身するはずである。

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これでワンウエイが解ける。

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自利と利他は長い道程である。この世の自利を越えてあの世へ渡るとそこからが利他になっている。

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そこからがいよいよ活動の時期になる。

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あの世での利他活動に必要なエネルギーは、この世での自利を遮っていた苦しみ悲しみが与えてくれる。とすれば、ここは電力の発電所だったということになる。

さぶろうは今朝はこんなことを考えていた。ヘリコプターで一気に山頂まで運んでもらうという手段もあるらしい。そうするとあとは山を下って利他の修行に出て行けるという考えだ。しかし、それができる人は幾つもの前世で自利の修行を積み重ねた者でなければなるまい。

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年寄りが嬉しいことは若者がくれる

2016年01月22日 07時52分33秒 | Weblog

年寄りが嬉しいことは若者がくれる。若者がどんどん成長を遂げる。これが嬉しい。

成長を遂げなくてもいい。元気でいさえすればいい。元気に走り回っているだけでもいい。明るい顔をしているだけでもいい。夢を見ている目をして輝いているのは美しい。

小学生がばたばたばたと靴音を鳴らして登校して行く、凍てついた村中の道を。中学生が凜々と白い息を空に吐きながら川土手の道をペダルを漕いで学校へ向かう。

高校のグランドでは朝の練習をしているサッカー部員たちがいる。ブラスバンドの練習が放課後遅くまで鳴り響く。バレリーナを目指して練習を続けているひたむきな少女たちが数人いて口を結んでいる。

大学生らしき人たちが老人ホームへ来てボランテイアの活動に励んでいる。実験室でマウスを使ってさまざまな医療実験をしている。

若者が農業や漁業林業に取り組んで国を興そうとしている。起業家が知恵を絞って社会を活性化しようと取り組んでいる。

砂場では幼児たちが砂遊びをして楽しんでいる、この寒い日に。波の打ち寄せる砂浜に出て上半身裸、素足で駆け回り耐寒訓練をしている空手部の少年達。気合いがここまで零れて来る。

年寄りが嬉しいことは若者がくれる。明日を担う若者がくれる。あれこれ若者の元気な姿に目をやって皺皺の頬をほんのり紅く染めている年寄り、その一人がさぶろうだ。

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光の音

2016年01月22日 03時03分22秒 | Weblog

真夜中3時。山里はなんの物音もしない。静まりかえっている。風の音すらない。これだけ静寂でいるのなら、星の光が落ちる音が拾えそうである。拾って来て小箱に収めたら、光の音は星々の世界の楽しさを語りだすだろう。遠い遠いところにも輝く世界があることを語りだすだろう。

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