徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

清原元輔と清少納言

2024-08-04 18:18:29 | 歴史
 先日、藤崎八旛宮に八朔詣りをした時、境内の末社詣りをしながら清原元輔の歌碑「藤崎の軒の巌に生ふる松 今幾千代か子の日過ぐさむ」をあらためて読みながら、大河ドラマ「光る君へ」に登場する元輔の娘・清少納言のことを考えていた。元輔が周防国司として赴任した時は清少納言がまだ8歳だったので帯同しているが、肥後国司として赴任した時、清少納言は20歳くらいになっていて、既に15歳の時に橘則光と結婚しており、帯同しなかった。というよりできなかった。元輔が任地肥後で死去したのが83歳、時に清少納言24歳。その3年後くらいから中宮定子に出仕するようになり、その5年後に離婚している。中宮出仕してしばらくしてから「枕草子」を書き始め、中宮定子が亡くなった1年後くらいに完成したと伝えられる。
 肥後とは縁がなかった清少納言だが、「枕草子」の「島」の條には
  「島は 八十島 浮島 たはれ島 絵島 松が浦島 豊浦の島 まがきの島」
と、肥後の「たはれ島(風流島)」が含まれている。史料によっては八代の「水島」が含まれていることもある。当時は海上交通の要衝として都にも知られていたのだろう。


藤崎八旛宮境内の清原元輔の歌碑


緑川河口の有明海に浮かぶ小さな岩島「たわれ島」。背景は金峰山と二の岳