徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

琴平神社と善光寺

2024-08-22 17:46:02 | 歴史
 今日、所用で琴平通りを通ったので、琴平神社に初めて参拝した。この通りは若い頃勤めていた会社が白山町にあって琴平神社の前をよく通ったのだが参拝したことは一度もない。赤鳥居の扁額には「別所琴平神社」とある。「別所」というからには「本所」があったはずで、これが何かというと「善光寺」なのである。鎌倉時代には信州長野の善光寺が勧請され「瑞応山善光寺」としてここに創建されたという。明治政府による「廃仏毀釈」で「善光寺」は廃寺となり、琴平神社だけが残った。
 参拝した後、境内を見て回っていると参集殿の前で何やら作業をしているカジュアルな装いの男性が目に入った。神社の関係者かと思って聞いてみた。実はこの方は熊本大神宮の権禰宜さんで時々手伝いに来られていることが後でわかるのだが。
 「何か善光寺の痕跡は残っていますか?」
 「石仁王像など善光寺時代からのものもありますが、ハッキリわかるものへご案内しましょう」
と、本殿裏の人目に付かない片隅に僕を連れて行った。そこには「善光寺歴代住職供養塔」がひっそりと佇んでいた。永い神仏習合の歴史を否定する為政者の狭量を感じずにはいられなかった。


鳥居に掲げられた「別所琴平神社」の扁額


本殿には善光寺の鎮守「金比羅大権現」の眷属とされる天狗の面(緑・赤)が掲げられている


本殿裏に「善光寺歴代住職供養塔」がひっそりと

 熊本民謡「ポンポコニャ」には、今はない善光寺が唄い込まれており、この唄が旧藩時代から唄われていたことがわかる。