徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

「おわら風の盆」に見る祭と民謡の関係

2024-08-24 21:22:24 | 祭(まつり)
 今夕、NHK-BSで「決定版!おわら風の盆 スペシャルライブ」が2時間にわたって放送された。今年の「風の盆」は9月1日からなので、昨年の中継映像を編集したものらしい。
 僕がこの「おわら風の盆」という祭の存在を初めて知ったのは48年前、1976年9月27日に放送されたNHK「新日本紀行」の「おわら風の盆」。哀調を帯びた音曲と目深な編笠スタイルの妖艶で優雅な踊りはミステリアスでさえあった。その不思議な魅力に強く惹きつけられた。この放送後、全国的に有名になっていったようである。


 この「おわら風の盆」の重要な要素が「越中おわら節」。これが実は「牛深ハイヤ節」をルーツとする、全国に40以上存在するといわれるハイヤ系民謡の一つなのである。海運が盛んだった江戸時代、北前船などの廻船によって、牛深の港から全国各地の港へと伝わっていったハイヤ系民謡の中でも異色の存在が「越中おわら節」だ。何が異色かと言うと、まずその曲調。「牛深ハイヤ節」の南国的な明るいアップテンポとはおよそ雰囲気を異にする哀愁漂う音色は、ルーツが「牛深ハイヤ節」だとはとても思えない。今では「越中おわら節」は全国的に有名となった「おわら風の盆」の歌のように思われているが、昔はそうではなかったらしい。ちょうど熊本で言うと「山鹿灯籠まつり」と「よへほ節」が合体したのは昭和に入ってからであるのと同じだ。八尾という町はかなり内陸だが、昔は井田川や神通川などの舟運が発達していたのでハイヤ節は富山湾から川を遡って来たらしい。そんなことも曲調が変わって行った背景にあるのかもしれない。民謡の歴史を辿ってみると実に興味深い。