昨夜午後11時36分、宮城、福島両県で福島県沖を震源とする最大震度6強の地震があった。つい先日、東日本大震災11周年を迎えたばかりのこの時期に再びの大地震。被災者の皆様に心からのお見舞いと不幸にして亡くなられた犠牲者の皆様に哀悼の意を表したい。
震度6強と聞くとどうしても同じ震度だった6年前の熊本地震を思い出す。熊本もまたいつやってくるかわからない地震に備え、決して気持を風化させないよう、熊本地震直後の数日間のブログ記事を再掲してみた。
▼2016年4月17日
二晩を車中で明かしたが、昨夜は雨の予報もあり、94歳の母にとってこれ以上は無理と判断し、僕らもさすがに疲れたので、姉婿の親族が経営する保育園の一室に泊めてもらい食事まで提供してもらった。おかげで母もだいぶ元気を取り戻したようで、僕らも睡眠不足はだいぶ解消した。
ただ、やはり水が出ないのはこんなに不便なものかということを実感した。いまだに余震は続いているが、明日には水道も復旧の見込みだというし、一日も早くふだんの生活に戻りたいものだ。
今日の午後、車の給油に行ったが、スタンドは軒並み売切れで給油をあきらめ、帰ろうとしたが、今度は道路の大渋滞に巻き込まれた。どうやら、水、食料ほか生活用品を求める人々が売っている店を探し回っているようだ。今までの各地の大地震などで散々同じようなことが発生したはずなのだが、その経験は災害対策のなかに活かされないのだろうか。
▼2016年4月18日
余震が一向に収まる気配がない。テレビでは政府の非常災害対策本部会議だの、被災者生活支援チームだのと言っているが、どんな立派なことを机の上で決めても、要は被災者のところに迅速に物資なり、施策なりが届かなければ意味がない。
懐中電灯の電池を買おうと歩いて近くのコンビニを回ってみた。しかし、水と食料品しか売ってなかったり、電池はほとんど売り切れていたり、早々と店を閉めていたりと、結局手に入らなかった。前震から本震、いやもう一段デカいのが来るかもしれないという学者先生もいたりして不安感は募るばかりだ。
▼2016年4月20日
熊本地震が発生してから6日が経過した。この間、わが家で寝たのは1日だけ。車の中で2泊、親戚宅に3泊。こんな生活はいつまで続けなければならないのだろう。94歳の母のことを考えると、満杯状態の避難所には行けないし、かと言って、崖の上のわが家は夜中の激震の恐怖が抜けない。しばらくは親族に頼るしかなさそうだ。
インターネット上では虚実とりまぜていろんな情報が飛び交っているが、なんでもかんでも鵜呑みにしないようにしたい。
▼2016年4月22日
昨夜は1週間ぶりに風呂に入ろうと、家内と二人で合志のユーパレス弁天へ。ところが、風呂の前には長蛇の列。特に女性浴場の方は、1時間以上も並んで待たなければ入れないという。僕も家内もすぐに心が折れて引き返した。しかし、よくよく考えてみると、避難所で暮らしている皆さんは毎日がこんなことの繰り返しなのだろう。あらためて避難所生活の大変さを思い知らされた。
相変わらず余震は続いている。しばらく落ち着いているなと思っていると必ずドーンと来る。最近は地震速報も出ないことがよくある。体感は震度3ぐらいの衝撃は感じるのだが、速報が出る時と出ない時の違いは何なんだろう。それにしても、緊急地震速報と言うやつ。けたたましいアラームでビックリするが、役に立ったためしがない。鳴った時は既に治まっているか、なんの変化もないこともある。その信頼性は大いに疑問だ。
▼2016年4月26日
間欠的な余震がとまらない。昨夜も何度も起こされた。わが家は熊本市中央区だが、熊本市西区に近く、最近、西区に余震が多くなったような気がするのが不気味だ。
今回の熊本地震でつくづく思ったのは、われわれが「科学」とか「科学的」とかよんでいる事の不確かさと頼りなさである。考えてみれば、地球が生まれて46億年。一方、人類はせいぜい25万年。地球の歴史を1メートルの定規で表すと、人間の歴史はうしろの0.05ミリメートルに過ぎない。わずかその程度の経験で得た知識しか持ち得ていないのだ。大きな自然災害が起きるとすぐに「想定外」という言葉を発するが、それは当たり前の話で、地球や自然界のことをわかったつもりになっていることが土台間違っている。
▼2016年4月27日
今朝のNHKニュースで、昨日、東京新宿で行われた行定勲監督の熊本県PR映画「うつくしいひと」のチャリティ上映会の模様と映画の内容が紹介されていた。これから各地でチャリティ上映が行われる予定だというが、行定監督もまさかこの映画が熊本復興支援の映画になるとは思ってもみなかっただろう。
映画「うつくしいひと」の一場面
震度6強と聞くとどうしても同じ震度だった6年前の熊本地震を思い出す。熊本もまたいつやってくるかわからない地震に備え、決して気持を風化させないよう、熊本地震直後の数日間のブログ記事を再掲してみた。
▼2016年4月17日
二晩を車中で明かしたが、昨夜は雨の予報もあり、94歳の母にとってこれ以上は無理と判断し、僕らもさすがに疲れたので、姉婿の親族が経営する保育園の一室に泊めてもらい食事まで提供してもらった。おかげで母もだいぶ元気を取り戻したようで、僕らも睡眠不足はだいぶ解消した。
ただ、やはり水が出ないのはこんなに不便なものかということを実感した。いまだに余震は続いているが、明日には水道も復旧の見込みだというし、一日も早くふだんの生活に戻りたいものだ。
今日の午後、車の給油に行ったが、スタンドは軒並み売切れで給油をあきらめ、帰ろうとしたが、今度は道路の大渋滞に巻き込まれた。どうやら、水、食料ほか生活用品を求める人々が売っている店を探し回っているようだ。今までの各地の大地震などで散々同じようなことが発生したはずなのだが、その経験は災害対策のなかに活かされないのだろうか。
▼2016年4月18日
余震が一向に収まる気配がない。テレビでは政府の非常災害対策本部会議だの、被災者生活支援チームだのと言っているが、どんな立派なことを机の上で決めても、要は被災者のところに迅速に物資なり、施策なりが届かなければ意味がない。
懐中電灯の電池を買おうと歩いて近くのコンビニを回ってみた。しかし、水と食料品しか売ってなかったり、電池はほとんど売り切れていたり、早々と店を閉めていたりと、結局手に入らなかった。前震から本震、いやもう一段デカいのが来るかもしれないという学者先生もいたりして不安感は募るばかりだ。
▼2016年4月20日
熊本地震が発生してから6日が経過した。この間、わが家で寝たのは1日だけ。車の中で2泊、親戚宅に3泊。こんな生活はいつまで続けなければならないのだろう。94歳の母のことを考えると、満杯状態の避難所には行けないし、かと言って、崖の上のわが家は夜中の激震の恐怖が抜けない。しばらくは親族に頼るしかなさそうだ。
インターネット上では虚実とりまぜていろんな情報が飛び交っているが、なんでもかんでも鵜呑みにしないようにしたい。
▼2016年4月22日
昨夜は1週間ぶりに風呂に入ろうと、家内と二人で合志のユーパレス弁天へ。ところが、風呂の前には長蛇の列。特に女性浴場の方は、1時間以上も並んで待たなければ入れないという。僕も家内もすぐに心が折れて引き返した。しかし、よくよく考えてみると、避難所で暮らしている皆さんは毎日がこんなことの繰り返しなのだろう。あらためて避難所生活の大変さを思い知らされた。
相変わらず余震は続いている。しばらく落ち着いているなと思っていると必ずドーンと来る。最近は地震速報も出ないことがよくある。体感は震度3ぐらいの衝撃は感じるのだが、速報が出る時と出ない時の違いは何なんだろう。それにしても、緊急地震速報と言うやつ。けたたましいアラームでビックリするが、役に立ったためしがない。鳴った時は既に治まっているか、なんの変化もないこともある。その信頼性は大いに疑問だ。
▼2016年4月26日
間欠的な余震がとまらない。昨夜も何度も起こされた。わが家は熊本市中央区だが、熊本市西区に近く、最近、西区に余震が多くなったような気がするのが不気味だ。
今回の熊本地震でつくづく思ったのは、われわれが「科学」とか「科学的」とかよんでいる事の不確かさと頼りなさである。考えてみれば、地球が生まれて46億年。一方、人類はせいぜい25万年。地球の歴史を1メートルの定規で表すと、人間の歴史はうしろの0.05ミリメートルに過ぎない。わずかその程度の経験で得た知識しか持ち得ていないのだ。大きな自然災害が起きるとすぐに「想定外」という言葉を発するが、それは当たり前の話で、地球や自然界のことをわかったつもりになっていることが土台間違っている。
▼2016年4月27日
今朝のNHKニュースで、昨日、東京新宿で行われた行定勲監督の熊本県PR映画「うつくしいひと」のチャリティ上映会の模様と映画の内容が紹介されていた。これから各地でチャリティ上映が行われる予定だというが、行定監督もまさかこの映画が熊本復興支援の映画になるとは思ってもみなかっただろう。
映画「うつくしいひと」の一場面