わが家の前を通る新坂の山側の法面に菜の花が綺麗に咲いている。新坂ができて130年の歴史でおそらく初めての光景だと思われる。
新坂は明治24年(1891)7月1日、九州鉄道(現JR九州)の高瀬―春日間が開通した時、池田停車場(現上熊本駅)から熊本市内へ馬車を通すために京町台の斜面を開削して造られた道。昭和40年代にこの上にマンションが建てられたが、それまでは群馬の製糸業で財を成した細谷氏の邸宅と庭園があった。僕らの子供の頃、東側の法面は草木で覆われた山の斜面のままの状態だったが、マンションができた時、崩落防止の擁壁が造られた。斜面の上半分は地面のままだったので雑草が生い茂っていたが、近年は除草が定期的に行われていた。菜の花を植えられたのかどうかはわからない。
この坂は夏目漱石が明治29年4月13日に五高に赴任するため人力車で通り、坂上から初めて熊本市内を眺めた漱石ゆかりの坂として知られ、それを記念するプレートも立てられている。これからもこの坂は変貌していくのだろうが、できることなら季節の花々で行き交う人々を和ませるようになれば嬉しい。
例年、今頃の季節は菜の花も散見されたが、近年は雑草が生い茂っていた。
プレートには漱石ゆかりの坂であることが紹介されている。
漱石来熊120年を記念する「お帰りなさい漱石祭」(2016年4月13日)で人力車で新坂を下る場面の再現
新坂は明治24年(1891)7月1日、九州鉄道(現JR九州)の高瀬―春日間が開通した時、池田停車場(現上熊本駅)から熊本市内へ馬車を通すために京町台の斜面を開削して造られた道。昭和40年代にこの上にマンションが建てられたが、それまでは群馬の製糸業で財を成した細谷氏の邸宅と庭園があった。僕らの子供の頃、東側の法面は草木で覆われた山の斜面のままの状態だったが、マンションができた時、崩落防止の擁壁が造られた。斜面の上半分は地面のままだったので雑草が生い茂っていたが、近年は除草が定期的に行われていた。菜の花を植えられたのかどうかはわからない。
この坂は夏目漱石が明治29年4月13日に五高に赴任するため人力車で通り、坂上から初めて熊本市内を眺めた漱石ゆかりの坂として知られ、それを記念するプレートも立てられている。これからもこの坂は変貌していくのだろうが、できることなら季節の花々で行き交う人々を和ませるようになれば嬉しい。
例年、今頃の季節は菜の花も散見されたが、近年は雑草が生い茂っていた。
プレートには漱石ゆかりの坂であることが紹介されている。
漱石来熊120年を記念する「お帰りなさい漱石祭」(2016年4月13日)で人力車で新坂を下る場面の再現