熊本城域の中でも西側の三の丸地区はふだんは観光客が来ることも少なくひっそりとしており、散策には絶好のコースだ。しかし、実はこのエリアには興味深い歴史が数多く刻まれており、個人的にはこのエリアを見て回るのが楽しみとなっている。
▼薬師坂
新町の新一丁目御門の前にあった札の辻を起点とし、薬師坂から藤崎宮前・漆畑・二の丸御屋形前・百間石垣・新堀御門を出て京町へと続く豊前街道は、平安時代、二本木にあった飽田国府から北へ進む官道と重なるという。
前方左側にモルタル吹き付けを施した崖が見えるが、これは熊本地震後に施工されたASO-4火砕流堆積の崩落防止で、崖の手前を左に進んだところに藤崎八旛宮御旅所と能舞台がある。また、ここは西南戦争の「段山の戦い」の舞台となり、官軍の与倉知実連隊長が被弾し倒れた地点でもある。
薬師坂
▼急坂を登る
薬師坂はかなりの急坂で、人馬も難儀する風景が見られたことだろう。
また、藤崎宮があった頃は参道と交差する道だったと考えられる。
藤崎八旛宮秋季例大祭における薬師坂付近の様子
▼漆畑
段丘のヘリに沿って進むと漆畑に差し掛かる。その昔、漆の木があったことから漆畑と呼ばれるようになったそうだが、ここには那須野原の殺生石を模したような妖しい砒石の話や「白坂さん」と呼ばれた傾いた不思議な石地蔵の話が伝承されている。
漆畑
▼砂薬師坂
加藤清正の熊本城築城の際には井芹川の引込水路から資材を陸揚げした河岸に続く坂道として修羅などが往来したことだろう。坂を登ったところで漆畑から来た道と合流していたと思われる。
砂薬師坂
▼二の丸御屋形前
砂薬師坂を登った後、藤崎宮の門前町でもあった古京町を通るなだらかな坂道。熊本城築城の際も工事用の幹線道路の一つだったことだろう。
二の丸御屋形前
▼薬師坂
新町の新一丁目御門の前にあった札の辻を起点とし、薬師坂から藤崎宮前・漆畑・二の丸御屋形前・百間石垣・新堀御門を出て京町へと続く豊前街道は、平安時代、二本木にあった飽田国府から北へ進む官道と重なるという。
前方左側にモルタル吹き付けを施した崖が見えるが、これは熊本地震後に施工されたASO-4火砕流堆積の崩落防止で、崖の手前を左に進んだところに藤崎八旛宮御旅所と能舞台がある。また、ここは西南戦争の「段山の戦い」の舞台となり、官軍の与倉知実連隊長が被弾し倒れた地点でもある。
薬師坂
▼急坂を登る
薬師坂はかなりの急坂で、人馬も難儀する風景が見られたことだろう。
また、藤崎宮があった頃は参道と交差する道だったと考えられる。
藤崎八旛宮秋季例大祭における薬師坂付近の様子
▼漆畑
段丘のヘリに沿って進むと漆畑に差し掛かる。その昔、漆の木があったことから漆畑と呼ばれるようになったそうだが、ここには那須野原の殺生石を模したような妖しい砒石の話や「白坂さん」と呼ばれた傾いた不思議な石地蔵の話が伝承されている。
漆畑
▼砂薬師坂
加藤清正の熊本城築城の際には井芹川の引込水路から資材を陸揚げした河岸に続く坂道として修羅などが往来したことだろう。坂を登ったところで漆畑から来た道と合流していたと思われる。
砂薬師坂
▼二の丸御屋形前
砂薬師坂を登った後、藤崎宮の門前町でもあった古京町を通るなだらかな坂道。熊本城築城の際も工事用の幹線道路の一つだったことだろう。
二の丸御屋形前