のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

猛暑でした

2020年06月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 土日の雨が嘘のようなカンカン照りの一日。おてんとうさまの真下で汗まみれでした。おかげでコロナウィルスも近づけない。

 夕方家に戻って鏡を見ると随分日焼けしていることに気が付きましたが、まだ日本人でいられる黒さです。

 それより、夕方にはやぶ蚊が湧いて出て随分刺されてしまいました。

 お江戸ではまた感染者が増えだしたようですが、北京だって負けてはいません。おそらくニーハオ人の底力と隠ぺい体質の付け合わせで圧倒的な数で北京の勝利に終わることだと思いますが、この連中が日本に入ってこないよう警戒は怠らないことが最善だと思います。

 ニーハオ北京ではサーモンからコロナ発生したと新パターンを唱えていますが、肝炎ジストマ菌なら話は分かるけれどコロナウィルスが出るもんだべか?

 そんな世情とは関係なく、夕方、スーパーに行ったら鮭弁当が半額になっていたので二つ買ってきて、これで夕食を済ませることにしました。

 炎天下に作業のおかげで、妙に疲れたので腹は減っていても飯を作るのが面倒な気分だったのでラッキーでした。

 スーパーで会ったおばちゃんがアベノマスクをしていました。「せっかく国が送ってくれたものを使わない手はない。」と言ってましたが、都会に出た子供たちが自分たちに送られてきたものも持ってきてくれたそうです。

 「春先にはマスクがないって大騒ぎしていたのに、もういらねぇなんて勝手もすぎらぁな。」と言ってましたが、確かにそれは言える。

 スーパーにはアイリスオオヤマのマスクがありましたが、ものの見事にニーハオ製。誰が買うかこんなもん。

 アベノマスクは神棚にお祀りしてありますが、次なる非常事態の時に活躍してくれることでしょう。

 共同浴場に行ったら中学生と会いました。今日から通常に戻ったようで、部活も再開したそうです。しばらく部活もやっていなかったので思うように体が動かなくているようで、勉強は?と聞くと「もともとできないから、今更できなくても問題ありません。」と前向きなことを言ってました。

 「第二波ってやつは来るんですかね?」と気にしていましたが、来るだろうけど何とかなるさ。と答えておきました。

 杞憂で道筋を見失わないよう、ワイドショーは見ないほうがいいですね。

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日曜も雨

2020年06月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 早朝、地区の花植えでした。

 いつ雨が降り出してもおかしくない怪しい状況の中、早々に花植えは終わらせました。

 もうすぐ雨が降るとわかっていても植えたら水をやりたくなる人々なので、ホース引っ張ってきて水をやっているうちに本降りになりました。これで傘さして水をやっていれば地域全体認知症に認定でしょうが、かろうじて正気は残っていてよかった。

 雨で外に出られないので、昨日買ってきた「カエルの楽園2020」を読みました。

 前作、「カエルの楽園」から、今回のコロナ騒動を交えた続編となっていますが、前回作ではウシガエル(ニーハオ)に食い殺されてガタガタになってしまったカエルの楽園。今回は別の次元へと世界が飛んで時代がウシガエルにやられる前に戻っています。

 登場人物もワンハンドレット(百田尚樹)、イエストール(高須クリニックの委員長)、プロメテウス(安倍総理)、ツーステップ(二階幹事長)、ノツボ(兵庫県知事)、スモールグリーン(小池都知事)、バードテイク(石破さん)、デイブレイク(朝日新聞)など想定が以前よりわかりやすくなった。

 結構面白かった。

 地元の老人の頭目。97歳の将校が娘に拉致されて東京に連れ去られました。

 娘たちはみんなお江戸住まいで一人でこちらで生活していましたが、バードゴルフのやりすぎで、このところ雨が降ると腰が痛いと言うので一番上の娘さんが迎えに来ました。

 みんなに「給付金目当てで連れ去りに来たんか?」とからかわれて「バカ言ってんじゃねぇよ。父ちゃんのことでみんなに迷惑かけたら申し訳なかっぺや!」と笑い転げてましたが、さすがこの地で生まれ育った元気よさ。

 畑にはホウレンソウが育っているので「みんなでとって食ってくれ。」と言ってましたが、梅雨明けになったら涼しいこちらに戻って来ると言うので、ほうれん草の後に何か植えておかなければならねぇなと相談中。

 お盆や彼岸のお墓の草刈りはもう何年も私がやっているので、今年も同じようにやる予定。

 「いつもいろいろ手伝ってもらってすまねぇな。」と「軽トラの座布団に使ってくれ。」とクッションのようなものをもらいましたが、洋式トイレの蓋にかぶせるカバーでした。いい味出しているのに連れていかれるのは惜しいなぁ。

 この将校の隣の家のおばあさんに昨日ひと騒動あったようです。私は下界に行っていたので知らなかったのですが、昨日は敬老会のイベントの日で、イベントが中止になったので仕出しを持って行ったところ、鍵がかかっていて誰もいない。昨夜はいたのに。

 息子さんに連絡すると「何も聞いていない。」

 こりゃぁ、夕べ寝ている間にぽっくりと?と、隣の家がカギを預かっていたのであけてもらって、数人で家の中を探しましたが誰もいない。

 結果は病院に通院する日で出かけていただけだったのですが、プチ徘徊騒動になるところだったようです。

 そんなこともあって将校の娘さんもあわてて父親を連れ去りに来たのでしょうが、大正生まれが片っ端から病院などに入ってしまったので、いよいよこの地区に現役の大正生まれがいなくなってしまいます。

 昭和初期世代。なぜかみんな耳が遠い。耳が聴こえないからお互い勝手なことを言っているのだけど「そうだよなぁ」となぜか会話は成り立つ不思議な人たちです。

 役者は豊富だなぁ。

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傘がない

2020年06月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 ジャーンジャンジャーン ブロロブロロ(ピアノの音)ジャーンジャンジャーン

 ♪田舎では(ジャンジャン)自炊する(ジャンジャン)年寄りが(ジャンジャン)増えている 今朝来た(ジャンジャン)新聞の(ジャンジャン)おくやみに(ジャンジャン)目を通す 行かなくちゃ 告別式に行かなくちゃ 義理人情で行かなくちゃ 傘がない~(ジャンジャンジャンジャン)♪

 井上陽水が「傘がない」を世に出したころは画期的だったそうです。それまでフォークソングのテーマは「私たち」だったのが「私」の一人称に移る時代の転換期だったようです。

 私は小学生だったので、そんなことな~んも考えないでラジオいじりに没頭している時代でした。

 確かに、世代的に「私たち」と言うのがピンとこない世代ですし、そこには「私たち」と自分以外を絡めることによって責任逃れする曖昧さを含んでいる気もします。

 これはロシアで感じたことですが、ソビエト時代は自分を含めた「мы(私たちは)」が主語でしたが、ソビエトが崩壊してロシアになると「я (私たちは)」の一人称が主語になるしゃべり方を特徴的に感じました。

 すごく哲学的な始まり方をしましたが、下界にお葬式に行くのに傘がない。

 雨が降る中、外出するときに傘をさして出て、軽トラの荷台のシートの下に傘を突っ込んでは忘れてしまうので、そこにあるのはわかっている。さてさて、どうやって軽トラまでたどり着こうか?土砂降りの雨の中。

 雨合羽着て外に出て軽トラの荷台のシートの下から傘を引っ張り出してきましたが、その数7本。一気に玄関は傘だらけになりました。年に2-3回繰り返される行為ですが、全然改善されません。

 お出かけついでに永井食堂でもつ煮定食を食べてきました。行列のできる店ですが、こんな雨にもかかわらず外には客が並んでいました。かつてはトラック屋さんや職人さんたち仕事のおじさんたちのたまりまで、女性が入るのははばかられる店でしたが、もつ煮が注目されて一般民間人が入り込むようになり、我々小汚いおじさんが入りにくくなってしまった。

 土曜なので狭いカウンターには家族連れがいっぱい並んでいました。

 もつ煮定食のもつ大盛りが毎度の定番です。770円。

 ソーシャルディスタンスも何も、定食のお盆を横に置くことも許されないぎゅうぎゅう詰めの店内。背中には拳一つ分の余裕しかないので腹がカウンターにつかえる。

 私の後に8人組が来ましたが、空いた席から一人ずつ入れられたのでバラバラにされたようでした。皆言葉もなく黙々と食べて店を出る。いつもの一人飯と変わらないのもいい。

 今日は県外ナンバーの車が多かったな。

 東北の震災で注目された「絆」がコロナで崩壊?人と人との距離が遠くなっていく感がありますが、今までが近すぎたのかな?

 それでいて、「私」から「私たち」にまた向かいそうな共同感。案外これがパンデミックを抑えた「忍耐力」の根源かもしれないけど、秩序は押し付けられるものではなく内から湧き出ることが重要なんですね。民度の差ですね。

 あとは議員の「民度」を上げることだと思いますが、恥を知らないことでのし上がってきた人たちですからねぇ。

 昨日は汗だくになりましたが今日は一日雨で冷え込んでストーブつける寒さ。でも、ストーブの上で煮物を作るほど長時間つけていられない中途半端な寒さ。

 こういう時には寝るに限る。

 

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復活の日

2020年06月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 知人が「この映画、今のことを予測していたみたいで面白いぞ。」と「復活の日」のDVDを貸してくれました。

 スパイに持ち出された殺人ウィルスが蔓延して人類が滅亡するという小説で、今回のマスク騒動や感染者ヘイトなどを見ると、正気を失う人は小説と似たり寄ったりだなと思ったもんです。

 小松左京の原作は東京オリンピックの頃に書かれたものですが、映画化されたのは昭和55年。

 この時のことはよく覚えているんです。昭和55年の今頃で、初めての衆参同時選挙が行われていました。そのさなか、大平総理が急死して「どうなるんだろう?」と思いながら、映画館の前に「近日公開」のこの映画のポスターを眺めてました。

 あの年は野菜が高騰した年で、ラーメンの具にワカメが確固たる地位を築き上げた年で、雨の多い梅雨時でした。

 衆参同時選挙で年齢住所偽って選挙事務所でバイトやってたんです。バイク持ち込みで。日当5000円になればうれしかった学生バイトの時代に6500円の賄付き、余った弁当持ち帰りOKと言う破格の好条件で、思想信条など銭でどうとでもなる貧乏学生ですからありがたいことこの上ない。

 当時はどこそこの選挙事務所はこんな弁当が出た。なんて、応援者にふるまう弁当まで競っていた時代だったので、暇な年寄りが選挙事務所巡りして昼飯をあさっていて、その年寄りを囲い込むためワゴン車で送り迎えしてお駄賃貰う副収入もあったので、選挙っていいもんだなぁ、ずっと続いてくれねぇかなぁ。なんて思ったもんでした。

 結果、うちの先生見事次点で落選し、用意した赤飯はこれまた大量にお持ち帰りできたのですが、候補者や支援者以上に「この先どうしよう。」と不安になる学生バイトでした。

 こうして稼いだ金で映画・・・見に行けなかったですね。

 小説は高校生の時に読んでいましたが、同級生に今でいうならSFオタクがおりまして、小松左京、筒井康隆、星新一などをしきりに薦めてくれました。

 その頃「復活の日」が映画化されるという話が出てましたが、かなりグロテスクな部分も出てくる小説だったので難しいんじゃねぇかな?と思ってましたが、そこは深作欣二監督ですからグロいのはお好き。

 草刈正雄はじめ生き残った人類のボロボロの衣装と不釣り合いな清潔な顔が印象的でしたが、チベットで同じようなファッションの人々に出会った時、強烈な匂いで近づけなかった。映画は匂いが出ないからいいですね。

 40年も前の映画だったのか?と、今更ながら歳月を感じますが、米ソ東西冷戦の時代でした。東ドイツが重要な役目をしていた。

 今やソビエトに代わって悪役街道を驀進する中国ですが、取り巻きの国を考えると、かなり雑だ。

 さて、のんびり映画観賞しよう。

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梅雨入り!

2020年06月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 関東も梅雨入りしたようです。

 午後には雨が降ることは予想されていたので、雨になったら畑の世話でもなんて悠長に構えていましたが、とんでもない豪雨でした。

 お江戸では東京プリンアラモード解除だとかで接待を伴う飲食業の規制も緩和されるのだろうか?小池さんの都知事選出馬宣言へのタイミング狙いのような気もしなくもないけれど、まともな対抗馬も出てこないのでまた4年間停滞するのかな?

 こちらは最近熊がうろついているので、悠長に夜の外出など身の危険が高いのですが、今日は昼間からシカが騒いでいました。

 早朝から直径50cmほどのスギの木を一本切り倒して運びだす計画でしたが、雨が降る前にそそくさと完了しました。

 コロナで亡くなる人は男性の比率が高いらしく、血液型がA型で薄毛の人が多いのだとか。志村けんさんも薄毛だったな。

 雨で仕事にならなくなったのでオジサンたちはお茶飲みながら身の回りの薄毛のA型リストを作りました。

 薄毛は見てわかるけど、血液型はわからない。でも、亡くなってから後悔するより後腐れないように薄毛の人に親切にしておこう。

 一人、明確に薄毛のA型のおじさんがいるのだけど人畜無害の人なので、死んじゃうのかなぁ、かわいそうだなぁ。と、まだコロナ感染していないけれど同情が寄せられました。当人。そんな風に見られているとはこれっぽっちも気にしないで、今朝もキュウリ畑の手入れに行ってました。

 ニューヨークでは早くも第二波到来とかで騒ぎになっているようですが、まだ第一波が終わったわけでもなさそうですし、気が早いんじゃなかろうか?

 ヘイトを口実に集まった人たちが店などを襲って略奪しているようですが、案外これもウィルスが寄生して支配された人たちが新たな感染先を求めて集まっているのかも?こういうところから第二波が始まってバイオハザードの映画になるんですな。

 昨年は環境少女出現で環境問題のコンセンサスがなくなってしまったので、新たな寄生先を人種問題に変えたようですが、やってることがあのざまなのでもはや誰も同情できない。ベトナム戦争問題の第二段にはなりそうもないですね。

 デモから発生する第二波かな?

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梅雨入り直前

2020年06月10日 | 日記・エッセイ・コラム

 東海地方まで梅雨入りになったようですね。こちらの晴れ間も今日までみたいです。ここからひと月少々は雨雲との駆け引きです。

 ログをポストアンドビームで組んでトラックの車庫作りを始めてます。

 ようやく材料がそろったので皮むきをしていますが、炎天下の作業は山仕事よりきつかった。

 屋根材にする材木は製材してもらうことにしましたが、製材所で計算してもらったらまだ板になる材木が足りない。太めのスギを2本ほど切ってこなければならない。

 今は材木つくりに最高に悪い時期。いわゆる、最悪の時期。木は水をたっぷり吸っているし、ややもすると虫が入る。乾燥させても狂いやすいのですが、そこは「釘で強引に打ち付けちまうべぇ!」力わざです。

 私が小学生のころまでは牛に牛車を引かせて材木積んで持ってくれば、山仕事のおじさんは自分へのご褒美に帰りに酒屋の裏で缶詰肴に一杯飲んで、酔いつぶれたら牛舎に乗せてやれば牛が家まで送ってくれる自動運転システムができていましたが、今や材木は安すぎて手間賃も出ない。

 昭和30年代初めに木材の輸入自由化が決まり、私は林業が衰退して死に絶えていく光景を眺めながら育ちましたが、その代わりに工業がけん引してくれると期待していました。でも今やそれらも国外に出て作るご時世。

 群馬県は県知事を元国会議員の山本一太がやっているのですが、前の知事の業績を否定しているのか、県内産材木を使った新築に対する助成金を突然打ち切ってしまったために、製材屋さんはコロナ以前に危機が押し寄せてました。

 目先に見えるものにしか反応しないパフォーマー。軽さも相まってそんな風評が飛び交いだしています。

 昨年は愚策としか言いようのない法律が通過しました。働き方改革、外国人雇用の関する法律、レジ袋有料化法案。こうした無駄な法案が通ると不思議と災害が起きる。

 リーマンショックの時も金融の総量規制が施行されたものですから、中小企業は資金繰りが難しくなって次々外業する時代になってしまいました。あの頃、半年ほど100kmほど離れた街に通っていましたが、夕方帰るときについていた工場の明かりが日に日に消えていく。あ、こりゃ大変な不景気になるなと思ったもんです。

 民主党政権の頃は就職氷河期で、スキー場に来る学生バイトの多くは卒業後失業者と言う暗い世相でしたが、企業が次々と国外に出て行ってしまったのもこの時代で、政権が後押ししていました。そして大震災。

 リ-マンショックにしても今回のコロナ騒動にしても、影響の少ない日本ですが、雰囲気がそうさせてくれない。

 世情の風の影響が少ない沈んだままの山間僻地なので、これ以上落ちようはないけれど、上を見上げるに頸椎ヘルニアで首が痛い。

 ♪Let it go Let it go♪ほっといて!て感じですね。ネズミー映画のアナコンダと雪の女王だっけ?

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ブサカワ

2020年06月09日 | 日記・エッセイ・コラム

 ブサカワ(不細工でかわいい)犬として有名になった「志村動物園」のわさおが多臓器不全で亡くなったそうです。13歳。

 白い秋田犬はあまりなじみがなかったのですが、わさおで一気に有名になってしまいました。

 秋田県から海岸沿いに青森県に入り北上していくと鰺ヶ沢と言う町に入ります。かつては舞の海の出身地で有名になりましたが、今はわさおの町で有名になりました。

 イカが有名な土地で、海辺などにイカを焼く店などが道路に立ち並んでいて、わさおのおかあさんはそこで以下を焼いていた人だそうです。迷い犬でフラフラしていたのをこのお母さんに拾われて育てられたそうですが、わさおのお母さんは3年前に亡くなってしまいました。そして、志村けんも死んじゃった。

 秋田県の能代を越えて、五能線が走る八森から深浦へつながる街道が私は大好きで、意義手に白神山地を眺め、左手に鉛色の日本海を見ながら荒々しさを感じながらドライブがたまらないんですね。

 深浦に入って岩肌の海岸に下りるとシーフード野菜が勝手に生えている。これをむしってきておむすび食べながら海藻食べるのがいいんですよ。貧乏やっててよかった!って思えてならない。

 街道筋に焼き魚売っている店があり、ハタハタを焼いたものを買って食べましたが、こちらで入手できるハタハタと全然違うおいしさ。なるほど、♪秋田名物八森ハタハタ♪と歌われるだけのことはある。

 ハタハタは越後の新発田あたりに行くと獲れるようですが、本場はそこから北に向かってですね。

 青森と言うとガザエビと言う見たことがない虫のような海老のような虫を食べるようですが、イカをよく見かけたなと思いだしました。干したスルメがいたるところの料理に出てくる感覚があります。こちらではスルメは高価で貴重なので、正月の飾り物が下がってくるのが楽しみでしたが、こっちの人は頻繁に食っているんだろうな。なんて羨ましく思いました。

 たまたま昨夜からイカと里芋で煮っころがしを作っていたのですが、この汁をご飯にかけて食べるのが好物です。

 わさお亡き後ブサカワ秋田犬を背負うアキタ君ですが、ブサカワバカ犬になってしまったのでとても重責を担えるような状態ではありません。

 最近、野良ネコ夫婦の子分になってしまったようで、ドッグフードをやるとまず野良ネコ夫妻が食べて残りをアキタ君がもらっているありさま。野良ネコには従順でも飼い主には上から目線らしく、団塊の世代の学生時代みたいなもんです。

 ブサカワが犬ばかりではなく、おじさんにも日が当たればうれしいのだけどね。

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穏やかな一日

2020年06月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 何事もなく穏やかな一日でした。

 なので、今日はこれまで。と言いたいのですが、何やら書かないわけにはいかない。

 朝、キュウリ農家のオヤジさんと会って給付金の話になりました。

 こちらは免許証の写しなどの添付書類をつけて口座などを書き込んだ用紙を役場に出せばいいだけなのですが。役場の事務処理能力を考えると「今月中は無理だっぺな。」とあきらめ顔でしたが、一人1万円分の商品券は霊験をあらたかにしているようで、近所のスーパーなど忙しいみたいです。

 国から出る10万円の一番悪い使い方は?と話題になったら「貯金だっぺな。」

 確かにそれでは経済の潤滑油にならない。このオヤジさんのところでは夫婦と婆ちゃんと息子夫婦に孫二人の7人家族なので、総額70万円になるのだとか。農業の助成金と合わせてトラクターを買う頭金にするのだとか。

 一人暮らしに床下に猫2匹では10万円にしかならないけれど、家族で考えれば大金になりますな。内縁の妻に隠し子でもいればよかった。

 山の弁当。今朝は面倒なので、サケの切り身を二つ焼いて一つは弁当に、一つは身をほぐして猫の朝飯にしましたが、弁当を食べて残った皮と骨は持ち帰って猫の晩飯のおかず。どう考えても、猫のほうが魚の取り分が多い。

 このあたり、国はどう考えているのだろうか?見解を問いたい。

 横田滋さんの葬儀がしめやかに行われたようです。

 今頃になって国やメディアが拉致問題を取り上げるようになりましたが、ほどなく公開される映画「めぐみへの誓い」のエンディングにはこの映画つくりに協力された方々のお名前がでるので、したり顔でものをいう評論家や政治家の踏み絵になりますね。

 ひそかに赤いライトアップの都庁のような国民感情が起きるのかも。

 疫病問題も含めて、悪しき隣人とは距離を取り付き合わないがこれからのやり方だと思いますが、家の隣にヤクザの事務所があるような日本の立ち位置なので、頭が痛いわな。

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休めない日曜日

2020年06月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 このところまた感染者が増えたみたいで、東京都庁が赤く怒りの色になっているようですね。

 東京プリンアラモードですか?パフォーマーの小池さんがわけのわかんないこと言いだしているので、この調子でいけばまた自粛があるのかな?

 ストロベリームーンの満月は曇っていて見られなかったけど、お江戸都民は赤都庁を眺められたんですね。ツインタワーが大魔神の怒りの顔に見えます。

 あまり都内がひどいことになると都庁がグワ~ンと隆起して庁舎を頭に乗せた大魔神が出てきて、歌舞伎町のホストクラブを中心に都内をぐちゃぐちゃに破壊する。このどさくさでいつの間にかウィルスは消滅して、小池さんは石にされて地面に埋め込まれてしまう。

 やがて温和な顔になった大魔神は再び新宿の地下に沈んで、青い光の都庁が戻ってくる。

 久々に茶屋が再開されたので顔を出してきました。

 茶屋では蛍が出る沢の手入れについての話題が出ましたが、昨年の台風で川を渡る場所が流されてしまったので、遠回りして整備に行かなくてはなりません。その前に、そんな遠回りして蛍を見に行く人もいないと思うけど、そろそろ来週あたりから出てきそうな暑さになってきました。

 90代を中心に地元の年寄りが集まって無事を確認していましたが、このところこの界隈で葬式が連発しています。

 例年年末から4月頃までの寒い時期に亡くなる人が多いのですが、今年はウィルス騒動で皆健康に留意したせいか冬は乗り越えましたが、春になって温かくなりだしたらばたばた亡くなる状態。

 今日はお通夜2件行ってきました。

 何とかしなけりゃならねぇな。なんて話になりましたが、老衰ばかりは何としてみようもない。

 地域防災の責任者なんだから何とかしろ!ということになり、こういう国難の時なんだから英霊にひと頑張りしてもらおうか、と、忠霊塔の草刈りに行ってきました。

 前回はマーガレットの花が咲く季節だったのであまり広く草刈りはしなかったのですが、そろそろ花も終わるので、英霊の皆さんお休みのところ申し訳ないけど、もうひと頑張りしてもらえねぇかねぇ、と、きれいに掃除しておきました。

 この春は薬師様のお祭りをしなかったので、薬師堂も掃除しておきました。

 疫病のための神様なんだから活躍してもらわねばなりません。

 いつもこうした作業を手伝ってくれる70代のおじさんが週明けに緑内障の手術をするというので、一つよしなにとお願いしておきました。話では一泊二日で退院できるのだとか。

 地域防災の究極の最終手段。

 神頼みですね。

 Youtubeで「泣いてたまるか」を見ました。

 昭和42-3年ごろだったかな?7時からウルトラマンで、8時になると泣いてたまるかが始まるのが日曜で、ウルトラマンが始まる7時は時計の見方が分かったんです。

 泣いてたまるかが始まる8時はよいこが寝る時間で、あまりリアルタイムで見た覚えはないのですが、いくつかの話は憶えています。

 泣いてたまるかの監督の一人に私の高校の先輩がおり、父の2年くらい上だったと聞いているので昭和5年生まれくらいか、オープニングのテーマソングとキャストにその名があると「今日はシゲさんの監督だ。」なんて言ってたのを憶えていますが、監督は名前しか出てこなくてテレビには顔が出ないので、何をしている人なんだろう?と幼稚園児は思ったものです。

 「泣いてたまるか」は渥美清主演の週と青島幸男の主演の週があって、ほかにも中村嘉葎雄の主演の回もあったかな?毎週主演が違うのですが、子供的にはそのころ放送していた「意地悪ばあさん」でなじみがあった青島幸男のほうが親しみがありました。

 昭和40年代初頭の日本ってこんなだったのかな?大して変わっていないような気がしていましたが、ずいぶん変化しています。

 この動画の回は記憶にあります。不良高校生、当時問題になっていたのでしょうが、まだこちらでは集団就職なんてのがあった時代に、高校に行かせてもらって不良になるのは甘えていると両親が話していたのを憶えています。また、生徒を殴った教師が罰せられる世相というのもこのくらいから始まったのでしょう。

 半世紀前ですね。

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ボケの日?

2020年06月06日 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は山仕事がお休みなので畑仕事をしてきました。結局汗まみれになった。

 我が家から300mほど離れた家の付近で自営業の猫たちが昼寝していたので、チャンスは今しかない!

 町から出た商品券で焼き肉を買ったので食べるチャンスを見計らっていましたが、縁の下に住み着いている自営魚の猫がいない今なら独り占めできます。

 ガスコンロで炭火を起こして、七輪に炭を入れて外に出ると・・・奴らはすでにそこにいた。

 6月6日。ダミアンの日だった。

 玉ねぎやピーマンもあるのに奴らは肉しか食べない。ホルモンよりも赤身の肉ばかり狙う。でも、麒麟淡麗は狙われない。発泡酒だからだろうか?

 猫二匹分の商品券も出してもらえれば、地域活性にもっと貢献できるのに。

 焼き肉食べながら考えた。

 獣肉を食べることが禁じられていた時代、ウサギは耳で羽ばたいて空を飛ぶんだ、鳥なんだと一羽二羽と数え、イノシシの肉は牡丹の肉だ、馬の肉は桜の肉だと方便を使ってきた庶民。ニダやニーハオの嘘も付き続ければ真実になる。とは全く異なり、嘘は嘘と百も承知で「そういうことにしておくか」と言い分ける「方便」これは知恵のなせる業かもしれない。

 麒麟淡麗。ビールじゃおまへん発泡酒どす。さらに、第三のビールってのもあるらしいけど、酔っぱらっちまえば、麦茶飲んだってわかりはしない。

 売れれば税金かけたがる国に対しての方便とも言える巧みな税のかわし方。日頃のまないから酒税なんて気にしたことはないけど、安けりゃそれはそれでありがたい。

 ピョートル大帝の髭切は、つまるところ髭に税金かけたわけで、その他、スイカ税など、やたらと課税して銭集めしたロシア帝国。

 そういう意味では東北震災の時に復興税なんて作ってしまった日本だって侮れないあざとさ。この災難を何とか協力してと思う国民の心に見事に憑依し、天災に増税をしてしまった稀有な国です。大体こうした災害の時は減税して国民負担を減らすんだけど。

 コロナ増税もあるのだろうか?やらかしかねない財務省。

 コロナと言えば。

 コロナで救急搬送されたおばあさんが出たとかで情報が錯綜してました。結果的には「転んで救急搬送」が「コロナで救急搬送」に聞き違えられて情報網に流れたのですが、時期が時期だけに穏やかじゃありません。

 もしコロナならこの地域第一号で歴史的快挙ですが、転がりそうになって手をついたら骨折してしまったようです。どのあたりで「転んで」が」「コロナで」になってしまったのかは定かではありませんが、都会に住む子供たちには「コロナで」で伝えられてしまったようで、えらく取っ散らかった状況になっていたようです。

 「転んで」と「コロナで」を聞き違える半ボケ高齢化地帯ですが、人生経験は妙なところで生かされて対応準備が早い側面もある。

 コロナで死んだ場合葬式があるのかどうかわからないが、14日が日曜だけど友引なので、平日に葬式というのも困るし、21日の大安まで持ちこたえてくれると助かるなぁ、このところ葬式が続いたので、できれば給付金が出てからのほうが経済的にもありがたいから、今死なれちゃ困るなぁと、結構みんな切実に思っていたようです。できれば7月頃まで持ちこたえれば49日前で今年の新盆は免れる。

 カレンダー見ながらそんな相談をしました。どうもその背景には志村けんさんのことがあるみたいで、入院して一週間程度で亡くなっちゃったもんだから、それを基準にして勝手に命日まで算出してしまう手際よさ。経験って重要だよね。

 骨折した左手は腫れが引けるのを待って改造手術になるみたいですが、大事に至らなくてよかった。

 日に日にこうしたことが日常的になっているので、そのうち違和感も感じずに輪の中に入ってボケまくっているのかもしれない。

 老いもまた良いもんです。

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無念ですね

2020年06月05日 | 日記・エッセイ・コラム

 山の中での作業でしたが汗が長靴の中にたまるほど猛暑でした。猛暑というより、蒸し暑くて汗が引かないといった感じでした。

 土曜は作業を休もうと日没コールドまで仕事してきたので大汗をかきました。

 家に戻って風呂に行き、夕飯も食べずに寝てしまったので夜明け前に夕食を作りました。

 寝ぼけ眼で朝からオムライス。せっかくだから梅酒も飲んでまた寝ました。

 北朝鮮拉致被害者、横田めぐみさんの父親の横田滋さんが亡くなりました。老衰だそうです。昭和7年生まれなので私の父と同年ですが、「老衰」と呼ばれる年齢なのか。

 横田めぐみさんの拉致事件があったのは昭和52年で、この頃、日本海側でカップルなどがさらわれるという事件が起きているのを雑誌でミステリー風に紹介されていたのを憶えています。

 あの時点で警察も気が付いていたのではなかろうか?と思えてなりませんが、中国は文化大革命が終わったころでソビエトという脅威が目前にあり、北朝鮮など庶民の眼中になかった時代だったと思います。世情を思い返すと世界各地でハイジャックが大発生していました。

 よど号事件が起きて連合赤軍が北朝鮮に亡命したのが昭和45年で、こいつらが日本人拉致事件に大きく関与していることは明白ですが、「人権」をとり違えていた時代でしたね。「人権」を盾に巨悪を見逃した無責任の付け回し。嫌われることを恐れた「見せかけの仏顔」が魔を呼び込んだ。

 果たして、金ちゃんが生きているのか疑問ですが、ああ言う国は滅ぼさなければなりませんね。

 滅ぼすのはたやすいと思うのですが、問題はその後で、関わりたくはない。今も未来もこの世の地獄ってところなんでしょうが、当人たちが「変える」という意思がない限りは何をやっても無駄。プロレタリアートの行く先なんてこんなもんでしょう。

 冷ややかに怒りだけがこみあげてくるけれど、こういう感情をいにしえの人なら「悲し」と表現したのでしょうか?

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ミラノ風

2020年06月04日 | 日記・エッセイ・コラム

 妙に暑い一日でした。今年初めてアブに刺されましたが、アブが出てくるときって気温が30度を超えた日が多いので、そのくらいあったのだろうか?

 お墓付近の藪を刈り払う仕事をしていたのですが、この家のお墓の戒名には皆「天」が入っていました。

 ちなみに写真は対象中ごろの墓石ですが、夫婦ともども「天」が入っている。

 「天」「空」「星」。隠れキリシタンが多かったと思われるこの土地では戒名にこの文字が入っていればたぶんコロビ(隠れキリシタンだったけど表向きは仏教徒を装っていた)と考えられます。

 天保年間の墓石などもありましたが、旧家ですね。

 戦没者もいたようで、昭和20年の2月にビルマのラカインで亡くなったようです。ラカインと言えばバングラデッシュとの国境に近い地域で、多くの死者を出したインパール作戦のあった地域です。昭和20年にはインパール作戦はすでに終わっていましたが、20年の1月にラムサー島の基地をめぐって英仏との戦線が始まっています。

 26歳ですか。大正10年位のお生まれだろうか?生きておられれば100歳か。

 「ビルマの竪琴」の水島上等兵のモデルになった昭和村の雲昌寺住職の中村一雄さん(2008年に亡くなってます)が大正5年生まれだったかな?戦後、ビルマとの民間交流に大きな貢献をした人物でした。

 中村住職にうかがったビルマ戦線の話などを思い出しながら作業してました。

 暑くて汗が止まらなかったけど、おかげさまで、一部の連中を削除すれば日本人はみな元気で暮らしてます!と、いい仕事に立ち会えたなと感謝しつつ日当たりと風通しが良い墓地になりました。

 暑さにめげず明るく働いていればいいこともあるもんで、伸びすぎたほうれん草をもらいました。

 ほうれん草は茹でて保存。

 昨日から画策していたミラノ風カツに挑戦してみました。

 果たしてミラノでこんなもん食っているのかはさておき、オリーブオイルは昨年末にもらったエトセトラ婆ちゃんオイルもあるし、ナポリタン用の粉チーズがそろそろ賞味期限切れになるので、何か作ってみようと思いつきました。

 金色になればミラノ風だと聞いたことがあったので、チーズで黄金色?と思ってましたが、世の中甘くなかった。

 さらに、パン粉買っておくの忘れたので、わずかばかり袋に残ったパン粉を強引にこすりつけて作ったもんだから、途中で落ちてしまいました。

 でも昨夜から下味付けこんでおいたので、何とかなりそうな出来でした。

 デザートはプリンアラモードか東京アラートか?

 88円で売られていたフルーツプリンにしました。

コメント (3)
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やはり野に置け

2020年06月03日 | 日記・エッセイ・コラム

 ついにきました!アベノマスク。

 夕方、山から下りてきたら郵便受けの中に入ってました。なんだか、広告のサンプル品のような感じでした。でも、なんだか日本人として認められた気分!全然届かないから忘れられていたのかと思った。

 開封はせず、そのまま仏様にお供えしてとっておく予定です。

 予定では100年後にまた新たな感染症が蔓延することでしょうから、その時に子孫が・・・いないんだけど、この場合どうすればいいのかね?

 ま、それはさておいて、配給品ってのが戦時下を思わせるようで緊迫感がありますね。

 私が幼少の頃は祖父の家に戦中の軍票や債券なんてものが保存してありましたが、本当にただの紙切れになってしまいました。マスクだからただの布切れにはならないと思いますが、記念にとっておこう。

 今日伺った農家の裏庭にクマガイソウが密生してました。

 昨年亡くなったおやじさんが育てていたようですが、花のシーズンはもう終わっていました。

 標高2000m付近の山の中にクマガイソウが群生している場所を知ってますが、7月の梅雨明け頃に花を咲かせてました。

 熊谷直実の名をとった花で、平敦盛を討ち取る物語は平家物語の名場面ですね。

 人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり

 織田信長がお気にだった幸若舞の「敦盛」も、この物語からできた芸能です。

 ちなみにクマガイソウはこんな花。

 当然、アツモリソウってのもありまして、こちらも貴重な山野草です。

 手に取るなやはり野に置け蓮華草 江戸時代に兵庫県の加古川あたりの俳人滝野瓢水が読んだ俳句と言われてますが、女郎を見受けしようとした友人をいさめる句だったそうです。

 山野草はその自然の隙間に何とか根を下ろして咲いているから尊いのであって、見たければ山に行けばいい。体力が続けばですが。それを取ってきて自宅で育てる、というのは私の概念にはないことですが、非難はしません。

 結構いろいろな山野草が家の周りに植えられているのですが、一生懸命手入れして育てていたんでしょうね。でも、子供たちは雑草の仲間程度にしか感じてないみたいです。

 今日はアブが飛んでいるのを見かけました。どうりで暑いわけです。

 冷蔵庫に水出し緑茶を作っておいたのですが、家に帰ってきてちょこちょこ飲んでいたら1リットル飲み切ってしまいました。

 まだ暑さ慣れしていないので妙に疲れました。

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プリンアラモード

2020年06月02日 | 日記・エッセイ・コラム

 夕方から土砂降りの雨になりました。ちょうど風呂に行こうと用意していた時で、今日は温泉あきらめて自宅の風呂に入りました。

 町の広報に今頃になって「消毒」をメインにしたコロナ対策のお触れが入ってきました。

 「次亜塩素酸ナトリウム」つまり、ハイターを水で割っただけのものですが、難しい言葉で書くとなんだかありがたく感じます。まるで、不摂生で休場した相撲取りの病名のようです。

 第二波が来ることは大方の人が覚悟しているようですが、それならこうした落ち着いた時期にマスクやハイターなどを確保しておくべきでしょう。ハイターなんか余分にあっても洗濯や掃除に使うものですから困るものでもない。

 お江戸では小池都知事が東京アラートなるものを発令するみたいですね。

 カタカナ言葉ですから本気ではないパフォーマンスなんでしょうが、東京アラートと聞いて中原理恵の「東京ららばい」が頭に浮かんでしまいました。昭和53年ごろの歌かな?

 そういえば、あの頃、歌詞にカタカナが入る歌があふれてました。「飛んでイスタンブール」なんて歌もありましたし、桜田淳子は「サンタモニカの風」だったかな。

 ララバイが子守歌で、イスタンブールはトルコの町の名前で、トルコと言っても決した皆さまがご想像しているようなところではなく、中東とヨーロッパの間にある豚肉食べない国で、イスタンブールはヨーロッパ側にある街ですね。サンタモニカって?当時、これだけは何のことかわからなかった。

 東京アラートよりプリンアラモードのほうが好きです!

 このところまた感染者が増え気味みたいですが、死者数はもう一息でゼロになりそうですね。何においても良い方向に向かっているので、それは良しとして警戒は怠れません。

 なんだかんだ言われてますが、厚生労働省は的確に良い方向に向けて手を打っていましたね。クルーズ船の軟禁状態の時も、世論や事象専門家の意見を聞いていたら、今頃イタリアになっていたかもしれません。

 「このハゲぇー!」で議員やっていられなくなった豊田真由子という議員がいましたが、元厚生官僚で2009年のインフルエンザ流行の時に国際機関相手にいい仕事していたらしいです。あの頃はまだWHOがまともに機能していたのでパンデミック宣言が出たと記憶していますが、H1N1とか豚インフルエンザなんて呼ばれてました。

 官僚としては優秀だったけれど、政治家になったらその重圧に耐えきれなくなって発狂したってところなんでしょうが、国際テロ組織の手先になっている左巻き議員なんぞよりよほど国民のためになっていたんじゃなかろうか?

 USAではデモが店舗などを襲撃する暴動になり、昔の言い方をすれば一揆から打ちこわしへと暴挙が進んだわけですが、トランプさんが状況によっては軍隊出動もありうると言い出したようです。元々、警官に取り押さえられて死んだ犯人は詐欺か何かで逮捕されるときに抵抗して押さえつけられたんでしょう。その犯罪のほうはどうなったんですかね。

 犯罪犯しておいてマイノリティーだから、黒人だから、在日だから、などと騒いで許されるというのならむしろ人種差別の助長でしょうね。こういう人たちなら何をやってもいいということになってしまう。犯罪は犯罪で冷静に裁くべきでしょうね。犯人が死んでいたとしても。

 私は、テロは容認しないけれど否定もしないんです。虐げられて発言の機会さえ持てない人たちが立ち上がる最後の手段だと思っています。でも、テロを気取った暴徒は別物です。発言にチャンスさえ自らつぶして自分の勝手のために暴れているだけの者たちはテロリストでもなくただ単に下劣な暴徒です。

 もっとひどいのはこうした人たちに憑依して自分は安全な場所で混乱を楽しんでいる者たちで、淘汰というのがふさわしいかと。

 人道を逸脱したら人ではないから人権もない。

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日陰の日

2020年06月01日 | 日記・エッセイ・コラム

 コロナ対策の地域振興の商品券が届きました。1000円券が10枚。使用期限は11月30日まで。

 近くのスーパーで使うことになるのでしょうが、1000円というのは結構高額。いつも1000円未満を目安に晩飯の総菜などを買ってくるので、1000円超えないと使えない。

 醤油もあるし、ごま油は先週買っちゃったし、さてさて、何に使おうか?なんて考えているうちに期限が来てしまうこともあり得るので、遠慮しないで使わせてもらおう。

 近所の80代のおばあさんのところに給付金の10万円の書類が届き、申請書の書き方がわからないというので行ってみました。

 添付書類に免許証、パスポート、マイナンバーカード、在留カード、特別永住者証明書の写し。とありましたが、これを全てそろえなければならないと思っていたようです。

 在留カード、特別永住者証明書の写しったって・・・顔が・・・ニューギニアの原住民系の顔だからかな?以前、マイナンバーカード登録が始まったときに、私が写真を撮って申請していたから、マイナンバーカードはすぐに見つかったので、一緒にコンビニに行ってコピーを取って、書類の書き込みを手伝ってポストに投函してきました。

 ところで、私の10万円申請書はいつ届くのだろう?そろそろかな?山仕事の道具買えばおしまいなんだけど。

 今後のことが心配されるアフリカのコンゴではニーハオウィルスのパンデミックに加えてエボラ出血熱が出始めているようです。アフリカにはニーハオ企業が大挙して押しかけているので、お持ち帰りがあるのかな?と懸念してしまいますが、エボラより先にバッタが驚異かも。

 バッタではないけれど兵庫県ではカメムシが異常発生しているようです。こちらでも確かに例年より多く見かけるカメムシですが、冬が異常な暖冬だったからだろうか?と思ってました。カメムシは一年おきに量が増えたり減ったりするのですが、前回九州で大量発生したのは2017年の晩秋だった気がします。今年は量が多い年ではないと思うのですが、不吉な予感が。

 例年、晩秋になるとカマキリの卵の位置で積雪の量が想定できるのですが、昨年の晩秋はカマキリの卵を見かけなかった。その影響なのか?積雪の異様に少ない冬でした。

 山の自然の中に何かヒントがあるのかも?と、暗い森の中を歩いていたらヒトリシズカが咲いてました。

 まさに日の目を見ない日陰の花ですが、これを静御前に例えてその名をつけたいにしえの人の英知と慈悲に敬服しつつ、やや日当たりの良い木陰に向かったらフタリシズカも咲いてました。

 これもまた日の目を見ない日陰の花ですが、ヒトリシズカよりは勢力が強いので里のスギ林の中などにも咲いています。

 もう少し上った雑木の根元にユウレイバナとも呼ばれるギンリョウソウが咲いてました。

 ムーミンに出てきそうな色素のない薄気味悪い植物ですが、子供の頃は死体の上に生えると聞いてました。

 今日は一日曇り空だったうえに日の当たらない森の中だったので、日陰者のあっしの人生そのものさ。

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