のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

卑しい人たち

2020年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 一日中「これでもか!」とばかり雨が降り続きました。

 通常少しはやむ時間帯があるので人作業ともくろみましたが、そんな気配もないので、喫茶店に行ってビッグコミックシリーズを読んできました。いよいよゴルゴ13にウィルステロが出てきましたな。

 ゴルゴ13は時代と平行か半歩先を描いているのが面白いのですが、今回のウィルス騒動のような事件があると現実が先に進んで行ってしまう。なかなかこの問題を絡めた物語が出てこないので、作者も大変だなぁということは察していましたが、陰謀論でなければゴルゴ13の出番がないですからね。

 ウィルス騒動も終息に向かいつつある雰囲気ですが、数字の上では世界では今日が最多感染者記録になってしまったし、お江戸中心に日本でもまた感染者が増えている。それなのに都庁の赤いライトアップはやめたようで、なんだか都知事選の都合に合わせているみたいな気もします。

 WHOがニーハオ批判をしたそうで、そこにテドロスさんが絡んでいるかは別にして、てめぇらの存続が危うくなってきたから必死なんでしょうね。USAは着実にWHOに代わる機関を作り始めていますし、これも時代の流れですね。

 WTOだって今や内紛状態で機能していないので、南ニダが日本の戦略物質輸出規制が云々と提訴したところで、今はそれどころじゃないという状態。

 「皆で」がだんだん怪しくなっていくご時世になりましたね。

 近代オリンピックはヨーロッパの貴族が始めたことで、スポーツなんてものは貴族の道楽だった。余裕のある人がやるから、それを飯の種にしているプロよりは高貴なことだったんです。だからアマチュアが偉かった。

 ラグビーなんかいまだに審判一人ですが、元々審判は貴族が圧倒的な威厳と責任を持って勤めていたので、その判定に選手は文句はつけなかったし、偏った判定をすれば名誉が失われる。相撲だって行事は刺し違えた時に腹を切る覚悟を示すために模造刀をさして土俵に上がってます。

 庶民の国USAが出てきたあたりで「皆で」になったものですから、「公正」のために審判の数も増えるんです。今なんか協議を停めてビデオを見るんでしょ。

 どこぞのサッカーワールドカップで審判買収したなんて疑惑の判定が相次いだことがありましたが、勝手なんぼのプロの世界ですからね。アマチュアの精神は二の次。

 スポーツの大会で「負け方」を見るとその国のありさまが分かりますね。負けてなん十分も座り込んでいたり、見苦しい選手が出てくるのは卑しい国。

 国連などの国際機関だって当初はアマチュア精神で成り立ったと思うんですよ。故に閣僚経験者などを代表にしなかったもんですが、今やお国の名誉をかけての場になってしまったもんですから、「人類の理想」なんてものはなくなってしまった。

 国に物言える人たちから国からの御用聞きが集う場になってしまった。

 銭金に屈する人が代表に出てくるようではもはや説得力もないでしょうが、USAの暴動だって「人権」でたたかれている某国が人権ブーメランを放り投げた気もします。

 冷ややかに品格を確かめたいですね。

コメント
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