のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

傘がない

2020年06月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 ジャーンジャンジャーン ブロロブロロ(ピアノの音)ジャーンジャンジャーン

 ♪田舎では(ジャンジャン)自炊する(ジャンジャン)年寄りが(ジャンジャン)増えている 今朝来た(ジャンジャン)新聞の(ジャンジャン)おくやみに(ジャンジャン)目を通す 行かなくちゃ 告別式に行かなくちゃ 義理人情で行かなくちゃ 傘がない~(ジャンジャンジャンジャン)♪

 井上陽水が「傘がない」を世に出したころは画期的だったそうです。それまでフォークソングのテーマは「私たち」だったのが「私」の一人称に移る時代の転換期だったようです。

 私は小学生だったので、そんなことな~んも考えないでラジオいじりに没頭している時代でした。

 確かに、世代的に「私たち」と言うのがピンとこない世代ですし、そこには「私たち」と自分以外を絡めることによって責任逃れする曖昧さを含んでいる気もします。

 これはロシアで感じたことですが、ソビエト時代は自分を含めた「мы(私たちは)」が主語でしたが、ソビエトが崩壊してロシアになると「я (私たちは)」の一人称が主語になるしゃべり方を特徴的に感じました。

 すごく哲学的な始まり方をしましたが、下界にお葬式に行くのに傘がない。

 雨が降る中、外出するときに傘をさして出て、軽トラの荷台のシートの下に傘を突っ込んでは忘れてしまうので、そこにあるのはわかっている。さてさて、どうやって軽トラまでたどり着こうか?土砂降りの雨の中。

 雨合羽着て外に出て軽トラの荷台のシートの下から傘を引っ張り出してきましたが、その数7本。一気に玄関は傘だらけになりました。年に2-3回繰り返される行為ですが、全然改善されません。

 お出かけついでに永井食堂でもつ煮定食を食べてきました。行列のできる店ですが、こんな雨にもかかわらず外には客が並んでいました。かつてはトラック屋さんや職人さんたち仕事のおじさんたちのたまりまで、女性が入るのははばかられる店でしたが、もつ煮が注目されて一般民間人が入り込むようになり、我々小汚いおじさんが入りにくくなってしまった。

 土曜なので狭いカウンターには家族連れがいっぱい並んでいました。

 もつ煮定食のもつ大盛りが毎度の定番です。770円。

 ソーシャルディスタンスも何も、定食のお盆を横に置くことも許されないぎゅうぎゅう詰めの店内。背中には拳一つ分の余裕しかないので腹がカウンターにつかえる。

 私の後に8人組が来ましたが、空いた席から一人ずつ入れられたのでバラバラにされたようでした。皆言葉もなく黙々と食べて店を出る。いつもの一人飯と変わらないのもいい。

 今日は県外ナンバーの車が多かったな。

 東北の震災で注目された「絆」がコロナで崩壊?人と人との距離が遠くなっていく感がありますが、今までが近すぎたのかな?

 それでいて、「私」から「私たち」にまた向かいそうな共同感。案外これがパンデミックを抑えた「忍耐力」の根源かもしれないけど、秩序は押し付けられるものではなく内から湧き出ることが重要なんですね。民度の差ですね。

 あとは議員の「民度」を上げることだと思いますが、恥を知らないことでのし上がってきた人たちですからねぇ。

 昨日は汗だくになりましたが今日は一日雨で冷え込んでストーブつける寒さ。でも、ストーブの上で煮物を作るほど長時間つけていられない中途半端な寒さ。

 こういう時には寝るに限る。

 

コメント (2)
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